2020年の夢 - 前篇
2020年も、残り3日です。今年は、長かった。今年は、短かった。今年は、中くらいだった。どんな言い方も「ですねえ」と言いたい感じです。
ここ( noteの「道草のススメ2020」)では、今年は「毎週、月曜に書く」と決めて、その通り、書いてきました。
2019年のように毎日書く方が、週1回書くよりも、書いている瞬間に使う労力を考えると 、楽です。とはいえ毎日書いている労力自体は他に生かしたいと考えて今年は週1回にしました。そして、それは、来年になっても続けようと思っています。
さて、今年、2020年の最初の回では、どんなことを書いていたでしょうか?
思えば、1年前の大晦日にぼくは高熱を出して、救急に行き、インフルエンザの検査をしましたが陰性で、しかし何か妙な症状で、数日寝て過ごしました。つまり、今年の正月はずっと寝てました。
「大根と新年」はその直後に書いてますが、こんなことを言ってます。
今年の目標? 正月に想定できている1年なんてすぐ変わるからね。それにしても新年早々にきな臭いニュースが続いていて、世界情勢を見ると非常に心配、不安が大きい。日本国内を見ても、ね… ぼくは東京をうろうろする仕事をしているのでオリンピックもたいへん心配、どうか無事で1年過ごせますように、と祈っています。
たしかに想定できなかった。今年は例年以上にできなかった。「オリンピックもたいへん心配」というのは、もちろんオリンピックが開催されることを疑っていないわけで、開催されたら、東京の街がどうなるか、何か悪いこと、面倒なことが起こらなければいいが… ということを世界情勢を見ながら言っている。ところで、「新年早々にきな臭いニュースが続いて」というのは、何でしたっけ?
その翌週、文章教室の話が出てくる。その、今年、最初の文章教室が行われた日が、自分にとっての2020年を決めた、という気も、今となっては、しないでもない。
ここで書かれている「モーニング・ページ」、もちろん今年も毎日(毎朝)書き続け、ずーっときてます。もちろんそれはずーっと続けるつもりです。誰にも邪魔されない、自分だけの時間が、そのノート(のページ)には流れています。ほかの何よりも贅沢な時間です。
とにかく毎日(できるだけ朝)、1ページを書いて埋める、というのが自分流のやり方で、何を書いてもいい、とにかく書けばいい。──そんなこんなで、2016年の春に書き始めたので、もう4年9ヶ月ほど続けている。
『アフリカ』は、今年は2冊、出した。まずは2月。
新型ウイルスの情報は入ってきていたが、まだウイルス自体が日本国内には入ってきてなかった(と思われる)頃。
その翌週になると、一気に"空気"が変わっている。
えーと、こんなふうに書き出している。
さて、新型コ(略)ナウィルスの騒動が、予想していた以上に大きくなり、えらいことになっている。政府の対応の遅れや甘さは、もうハッキリしており、腹もたつが、それ以上にいろいろと困ったことになってきた。
正直なことを言うと、そんなことを書いていたことを、あまり上手に思い出せないほど今年という1年は激動の年だった。
翌週になると、こんな調子になる。
いろんな情報が飛び交っていて、何が本当で何が嘘か、よくわからないということもあるし、ウィルスそのものの脅威に加え、ウィルスを恐れた人びとの行動が脅威になったり、こういう時には社会の抱える問題がむき出しになりそれも脅威になる。
そうやって書いているうちに、noteで、その「コ」から始まる三文字を一度でも書くと注意喚起(曰く「新型コ○ナウイルスに関係する内容の可能性がある記事です。」)が行われることに気づいて、はやくも嫌気がさしてきた。
たとえば、この週は古井由吉さんの追悼で書いているのだが、「コ」から始まるそのことばを少し書いてしまったので、「関係する内容の可能性」が出てしまったわけだ。
それで、そのことばを書くまいと決めたのが、その翌週だった。
が、そんなことを考えているのは、まだ呑気だった、と翌週には書いている。
たとえば、こうだ。
今日は、知っているひとがそのことで亡くなったというニュースに触れ、会ったことはないがよく知っているような気がしていたひとだ、これまでにもそのことで亡くなったひとはおり、今後増えるだろう、その中の1人にすぎないということはわかっているのだが、やはり"知っている"ということは大きくて、なんとなく気持ちの重さが違う。ただ彼は有名人だったというだけで、無名人(?)だって1人の死には違いないのに。
「会ったことはないがよく知っているような気がしていたひと」というのは、誰だっけ? そのことは、まだ思い出せる。──志村けんの訃報を受けて書いているのである。
その翌週には、いよいよ、
何となく鬱々としてきたのを感じている。
と言い出している。
その日から再び、毎日書こうというのを1週間ほどやっている。何か思うところがあったのだろう。
つまり何か、というと、何とかかんとか、生計を担ってくれていた仕事が見事に消えてなくなってしまったのだった。
さて、そうなると──ぼくは危機に陥ると、こういう思考回路に入ってゆく。
これじゃ暮らしてゆけないね。ダメだこりゃ。──とわかったら、気が楽になった。さぁ、また始めよう。どんな手からうってゆこうか。
なるほど。もうダメだとなったら、逆に晴れ晴れとしてきて、「よし、起き上がるまで、どうしていようか」となるわけだ。倒れたままで終わる気なんかサラサラない! 倒れたら、人は必ず立ち上がる。──ということばを、ぼくは最後に就職活動をした頃(12年前だな)に相談に乗ってもらった人から貰って、大事にしている。もうどうしようもなくなって、死んでしまうまで、死ぬことはない。何がどうなっても、図々しくとも生き続けよう、と。
それで、「祈り」ということばが、自然と出てきた。
かつてウルグアイの大統領だったホセ・ムヒカさんは、「成功」とは「倒れるたびに起き上がるということだ」と言ったそうだ。
(つづく)
さて、2020年のことは、2020年のうちに、じっくり振り返っておきたい。「毎週、月曜に書く」のルーティーンを崩して、年内にまた書きます。
※追記:「年内にまた書きます」なんて言ってますが、そんな余裕などなく、あっという間に年を越してしまいそうです。「2020年の夢」は2021年にみよう! ということで、またじっくり書きます。(2020-12-31)
道草の家の文章教室サポーター(小冊子)セットをつくりました。完全受注生産。1口1,000円(送料別)で1セット、お送りします。ご希望の方はコチラから(あるいはメールかSNSなどで)ご連絡ください。
『アフリカ』最新号(vol.31/2020年11月号)は、好評発売中。
アフリカキカクのウェブサイト、ウェブショップ、そして珈琲焙煎舎(府中市)でもお買い求めいただけます。
ウェブからでもご注文いただければすぐにお届けしますので、初めての方は少し緊張するかもしれませんけど、どうぞお気軽に。
下窪俊哉の20数年を辿るアンソロジー『音を聴くひと』も、ひそかな好評を得つつ発売中!
日常を旅する雑誌『アフリカ』のベスト・セレクション&モア『ウェブ・アフリカ』のvol.2(6/2020)は、メール・アドレス1本をご登録いただくだけで無料で読めます。ぜひどうぞ。