繰り返し書いたり話したりしていることだけれど、ぼくの個人的な3.11は、「活字の断食」などというケッタイな(?)試みを実行している最中に起きた。3.11によって、府中市の隅っこで孤独に押し潰されそうになりながら、何とか生きていたぼくの日常はまた一度、リセットされたようになった。
前年の夏から毎日、書いていた「道草のススメ」は、その「活字の断食」の開始と同時に(調べてみたら)3月9日で途切れている。
12日には震災のことを書いているので(生存確認のために始めたブログだったのだ、再開は必要だと思った)書かなかったのは、わずか2日だ。
「活字の断食」は、その期間、"読む"をしない、ということなのだが、おそらくその時の自分はインターネットをつなげるのも… もしかしたらパソコンを開くのすら嫌だった。
しかし、3.11が起こって、もっとも頼りになったのもインターネットだった。
『アフリカ』第14号(2012年5月号)で、ぼくはこんなことを書いてる。
その写真、「道草のススメ」に残っている。
その前日には、こんなことを書いている。
※文中にあるリンク先のブログ、まだあります。それもぜひご覧ください。
大平洋戦争のあとに生まれた文学作品で、ぼくの心を打つのは、悲惨な事件を大局的に総括したようなものではなく、個々の、ある意味ではちっぽけな、一隅の想いのような証言であり、作品だ。
同じようなことが、3.11にかんしても、感じられる日が必ず来る。いや、もう来ているのかもしれない。それから、3.11も、太平洋戦争も、その間にあったいろいろなことも、まだ、終わっていないのだという気がする。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月 11日。今日は(我が家にとっては)陣痛記念日でもあります。※毎日だいたい朝に更新しています。