他人のため? 自分のため?
昨日は、アッサリと「言ってしまえば他人の評価なんかどうでもいい、やるか、やらないか、だ」なんて書いた。
しかし評価というものは曖昧で、自分だって他人のような評価をしてしまう(自分のすることに対して)から厄介だ。
たとえば、「自分ために書いている」という言い方をする。
ぼくもたまにしているかもしれない。それはおそらく、書くということは読んでくれる他人のために行われる行為なのだ、という認識を揺さぶろうとして言っているのだろうが…
しかし、誰に向かって書くか(つくるか)というのは、難しい(いや、"面白い"と言っておこうか)問題だ。
読む人がいないと感じていたら、書くだろうか。
この問いに、ぼくはまだハッキリとした答えを出せていない。
手紙は、読んでほしい相手が決まっている。絶対に"届く"と決まっているわけではないが。
社会に出回っている本の多くは、不特定多数に届けようとして書かれて(つくられて)いるだろう。
しかし具体的に、ひとつひとつあたってみると、これが、じつはけっこう曖昧だということに気づくだろう。
ある特定のひとりにあてたものが、よくよく読んでみるととてつもないひろがりをもっていたりする。逆に、不特定多数にむけて書かれたベスト・セラー本が、じつはあるひとりの人に向けて書かれているということがある。
同じように、自分のためにだけ書かれたはずのものが、果たしてほんとうに自分のためだけのものなのか、というのはじつは曖昧なんだ。
ここまでの話は簡単で、誰でもわかるだろうとぼくは思っている。問題はこの先だ。
書いてる自分ですら相手にしていないものがあるのである。
(つづく)
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、4月6日。今日は、庭の山椒の話。
道草の家2階の"ひなた工房"、4/20(土)に「横浜馬車道エキナカフリマ」に初出店します。詳しくは、新しくできた"ひなた工房"のウェブサイトをご覧ください。
※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。