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他人のため? 自分のため?

昨日は、アッサリと「言ってしまえば他人の評価なんかどうでもいい、やるか、やらないか、だ」なんて書いた。

しかし評価というものは曖昧で、自分だって他人のような評価をしてしまう(自分のすることに対して)から厄介だ。

たとえば、「自分ために書いている」という言い方をする。

ぼくもたまにしているかもしれない。それはおそらく、書くということは読んでくれる他人のために行われる行為なのだ、という認識を揺さぶろうとして言っているのだろうが…

しかし、誰に向かって書くか(つくるか)というのは、難しい(いや、"面白い"と言っておこうか)問題だ。

読む人がいないと感じていたら、書くだろうか。

この問いに、ぼくはまだハッキリとした答えを出せていない。

手紙は、読んでほしい相手が決まっている。絶対に"届く"と決まっているわけではないが。

社会に出回っている本の多くは、不特定多数に届けようとして書かれて(つくられて)いるだろう。

しかし具体的に、ひとつひとつあたってみると、これが、じつはけっこう曖昧だということに気づくだろう。

ある特定のひとりにあてたものが、よくよく読んでみるととてつもないひろがりをもっていたりする。逆に、不特定多数にむけて書かれたベスト・セラー本が、じつはあるひとりの人に向けて書かれているということがある。

同じように、自分のためにだけ書かれたはずのものが、果たしてほんとうに自分のためだけのものなのか、というのはじつは曖昧なんだ。

ここまでの話は簡単で、誰でもわかるだろうとぼくは思っている。問題はこの先だ。

書いてる自分ですら相手にしていないものがあるのである。

(つづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、4月6日。今日は、庭の山椒の話。

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