見えなかったものを、そこに見る
たとえば、記録というもの自体は、面白いものではない。記録は、記録だ。
記録されたものの中には、あきらかに記録したいと思って記録されたものと、その周辺というか端にあるもの、一見したところ何でもない、どうでもいいようなものもある。
面白いと思って記録されたものをあとで見ると、その時の感動は消えて、なくなってしまっていることが多いような気がする。
でも、なんでもなかった(と感じた)ものを記録しておいて、あとで見てみると、そこには、あれ? ということがある。
たとえばスマホの写真がそうだけれど、いまは、記録しすぎる、というふうに思っている。なんのことはない自分のことである。
撮った写真の後ろには、撮られなかった膨大な数の写真(時間、光景、etc.)がある。そんなことはわかりきったことかもしれないが…
何かが聴こえると、聴こえなかった音があるわけだ。
見えないものを見て、聴こえないものを聴き、触れないものに触れる、というのが、想像する、創造する──"つくる"ということなんだろう。
(つづく)
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「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"は、1日めくって、12月10日。今日は、こどもたちのクリスマス会のこと。
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