"『アフリカ』に書く"ということの一例
先週は『アフリカ』最新号ができて、"売り出し中"になったので、毎日のように『アフリカ』のことを書いてきた。明日まで続けようかな。その後は、飛び飛びで書くと思います。
『アフリカ』に書くというのは、どういう感じなんだろう?
ぼくは企画して編集して(つまり原稿を集めて読んで、書き手といろんな話をして、コミュニケーションを繰り広げて)デザインまでしているから、単に「『アフリカ』に書いている人」とは言えない。だからよくわかっていないかもしれない。
いま、お配りしているチラシ(発送する中にも入れてます)には、何人かのコメントを載せてあり、読んでる人のコメントが多いけれど、執筆者からのコメントも1人だけ載せてあり、それはAさん(誰でしょう)の
「あぁ楽しくて恐ろしいことに足を踏み入れてしまったもんやなと思う。でも他のどこにこんな実験をやらせてくれる場所があるだろうか。」
というつぶやきだ。
じつはこれには前後があり、20冊目だった『アフリカ』2013年7月号に何人かに寄せてもらった小文のひとつ「一度だけのゲストのつもりで」という文章から。
書いているのは、高城青。少しご紹介します。
きっかけは些細なことで、夫の友人だった『アフリカ』編集人が家に遊びに来てくれたとき「軽いものでいいので書いてみませんか。」と声をかけてくれた。そのとき「書いていた」のはブログだけだったので、それぐらいのボリュームでいいなら、と一度『アフリカ』に雑記を書いて送った。
と、まぁ、だいたいいつもそんな感じで始まる。それが友人だったり、友人のパートナー(あるいは友人)だったり、どこかでたまたま会った人だったりはするが。
初めは字を書いていたんだけれど、今は何故か漫画ばかり描かせてもらっている。
これは2013年当時の話です(いまは字も絵も漫画も描いて(書いて)もらってる)。
「何故か」って本当は「字ばっかり書くのんイヤ。漫画描かせて。」とわたしが言ったからで、編集人はすんなり「いいよ。」と言った。彼はだいたいいつもこんな感じで、「イラストに短い雑記を付けたい。」「いいよ。」「イラストと詩を書きたい。」「いいよ。」である。思い付いたことを誌面で実験的にやらせてもらっているのだ。
「いいよ。」と言ったかどうかは忘れたが、そんな感じだったかもしれない。この話は、チラシに載せた「楽しくて恐ろしい」の話につながる。
編集人が最初に声をかけてくれたとき「タブーはないよ。」と言った。わたしはそれで、やろうと思った。いいよ。いいよと一緒に実験してくれるけれど、やりっぱなしは許してくれない。何を書いても描いても一段階突き詰めないと載せてはくれない。だからどんなにゆるく見える作品でもそういう気概でやっている。実は『アフリカ』は真面目で、書くひともそういうひとが集っているんだと思っている。
「一段階突き詰めないと」載せないと決めているわけではないけれど、こういうふうに見ているよ、と書いてくれたのは嬉しかった。また、それはある意味、当たっているかもしれない。
『アフリカ』は見た目は素人っぽいかもしれないが、じつはおそらくプロの仕事である。金はないが贅沢だ。ときどきいい加減だったりアヤフヤだったり(?)もするが。
また、以上の話は高城青さんの見た『アフリカ』(しかも2013年当時)であって、人によって変わるはずだ。いくつもの顔を持つ? そんなふうに言うとミステリアスですねぇ。ものは言いよう、なのであります。
その青さん、『アフリカ』最新号の到着と共に旅(出張?)に出たらしく、『アフリカ』のある風景をたくさん撮って送ってくれている。
この話のつづきは、また明日。
(つづき)
ちなみに、『アフリカ』に書いても原稿料は出ません。1冊500円で販売して、いろんな労力を考えると私の利益もたいしてない(どころかマイナスになる可能性だってある──どんな出版だってそういうリスクを負ってやるのだろうが)。それでもこれをやると何か救われるものがあり、長い目で見ると歓びがたくさんある。
その『アフリカ』最新号、発売中です。ご連絡いただければ郵送で直接、お届けすることもできますので、遠慮なくどうぞ。詳しくはコチラから。
「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、7月14日。 今日は、ちいさい"彼"の背中をご覧ください。
※"日めくりカレンダー"は、毎日だいたい朝に更新しています。