写真のレッスン(1) 先生の話
しばらくCANONのAPS-C機を使っていて、簡単なブツ撮りは自分でやっていたけれど、モデルを使ったりするような撮影は自信がなくて、友人のカメラマンにお願いしてきた。
でもそろそろ自分でもちゃんとした良い写真を撮れるようになりたいと思い、フルサイズ機購入と写真の個人レッスンを受けてみることを決意。
申請したレッスンは約30時間、あっという間に終わってしまった。
レッスンを受けたからといって写真の腕があがった実感はなく、いかに今まで何も考えず何もわからずシャッターを押していたのかということを再認識しただけかもしれない。
しかし、写真とはなにか?という根本的なことを含め、先生であるプロの写真家独特な哲学が聞けたこと、写真家が被写体にどうアプローチしてシャッターを押すのかを垣間見ることができたのが何より興味深かったので、その備忘録。
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ずっとマンツーマンで教えてくれた先生はナポリ出身、長年ルポルタージュ専門で写真を撮ってきたという、ちょっとワイルドで、どこから見てもいかにもカメラマンなオーラ漂う人だ。
彼が初めて写真を売ったのは12歳の時。
ある日、家にいると外から銃声が聞こえ、父親のカメラを持って飛び出してみると、路上に横たわるナポリマフィアの死体。まだ警察も来ておらず、銃で撃たれ血を流して横たわる死体の写真を12歳の少年が誰よりもいち早く撮り、それを地元新聞社へ持って行って売り込むという、今ではさすがにナポリでもそれはないんじゃないかという日常が、今から半世紀ほど前にはあったようで、その後も子供ながらにコンスタントに新聞社に写真を売りこみ続け、それはもちろん好評だったとのこと。
地元の偉い警察官だった高圧的な父親に対する反逆心が、幼い頃から現在に至るまで変わらない、己の行動力の源だと語る彼が現在居を構えるのは、かなり辺鄙な山の上の一軒家で、私のレッスン当時、冬に備えての薪集めに余念がなかった。レッスンが始まるとまず、薪がどれだけ集まったかという雑談から始まり、ひとしきりカメラと無関係な話をして唐突に「じゃあこないだの大判カメラについての続きだけどね」みたいな感じで授業が始まるのだった。
自由人ていいなあ。
近年はNIKONのデジタルも使うけれど(D1だったかな)、愛用機はアナログのライカ、オリンパス。屋外撮影でちょっと使わせてもらったら、レンズやミラーが塵だらけで、それを指摘しても「おお、そうか」程度の反応で特に気にしていないようだった。先生の写真をみせてもらったが、精神病棟でかなり眼光鋭い人たちを檻越しに撮った薄暗い白黒写真とか、思いつきで飛び乗った夜行バスで辿り着いたルーマニアで密着したジプシーファミリーの写真とか、そんな写真を撮るにあたって、レンズの塵なんて取るに足らないことなんだろうな。もしくは強度の老眼のせいで、フィルム残数のメモリなんてとてもじゃないが老眼鏡なしでは見えないと言うから、塵の多さもわかっていないのかもしれない。しかしその目で瞬時にピント合わせができるというのは神業というほかない。
授業のこと、学んだこと、まだ学べてないこと、一緒に課外撮影でフィレンツェの中心街を歩き回った時のことなども書きたいと思う。
というわけでつづく
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