第三言語の選択基準
歌を聴いていると時々思うのだが、日本人が作詞した楽曲は日本語と英語でほとんどのものが作られていてそれ以外の言語は極端に少ない。僕が例外として知っているのはサザンオールスターズの「Ya Ya(あの時代を忘れない)」とかEXILEの「Ti Amo」。この二曲は少しだけ日本語と英語以外の言語が使われていたはず。今ではkpopの人気が高く、韓国語の歌を耳にする機会も出来たが、やはり少数派ではあるし、それは海外の方の作詞のはずだ。日本人の作詞となると未だに日本語と英語以外に広がりをみせない。理由の大きいところは、書き手に知識がないことと、受け手の拒否感だろうか。受け手にも知識がないと書こうかと思ったが、英語や韓国語が拙い人でも、すでにある歌は楽しめている。もちろん、歌詞のない音楽も堪能している。そうするとやはり食わずもの嫌いをしている面があると思う。誰かがその歌の良さを口に出来れば、他の言語の歌にもみんな興味を持つようになると思うのだが、やっぱりそれにはその言語能力が必要になる。今のところ日本語と英語は義務教育で習う。英語が必修化しているのは時代ごとに理由は異なるだろうが、今は国が必要性が高いと規定しているからだろう。ただ、それ以外の言語については個人に学ぶ言語の決定権がある。それではその選択基準は何になるのか。一つは有用性。利用人口の多い言語。自分のやりたいことに必要な言語。そういったものになると思う。これとは別に好みというのもある。それこそkpopが好きだから韓国語といった具合だ。どちらが良いというものではない。好きなものには大変でも取り組めるという言い分もあれば本当に必要なものであれば嫌でも覚えるというような考えもある。ただこれは効率性だけに焦点を当てていて、僕には堅苦しく思うのだ。他国では3カ国以上の言語を学ぶこともざらにあるのかもしれない。そういった国の子供達はどんなきっかけからその言語を学ぶのか。例えば、曽祖父が普段使わない言葉を時々口にしていて気になったとか、そんな動機がありはしないだろうか。僕は言語の選択は個人に委ねるので良いと思っている。そして言語を学ぼうと思うためのきっかけを今までの価値観以外でも提示できる大人がいることは、根気のいる言語獲得という作業に最初の一歩を踏み出す子供達の助けにつながりはしないだろうか。
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