クイモノは残さず食べなさい
好むとも好まざるとも有名人は影響力を持っている。2024年現在、最もこの影響力を持っている日本人は大谷翔平さんだと僕は思っている。趣味嗜好が多様化した昨今、昭和以前に存在した国民的スターは今後誕生しないという話が囁かれる中、実績と人格を持って国民的スターになった彼はその一挙手一投足を常に注目されている。ただこれは好むとも好まざるともというべき案件だ。彼の生業である野球に関して一挙手一投足取り上げるのであれば、仕事の範疇として彼はメディアへ真摯に対応するだろう。それでも最近は彼の家族や仕事のパートナー、同僚や対戦相手、ありとあらゆるものが取材の対象になっている。報道が過激化して弁えるべきラインを超えているのではないか。日本は彼を当然のように祭り上げ、連日報道しているが、恐らく彼がプレーしているアメリカの報道とは温度差が大きいだろう。彼が日本のメディアにうんざりしていたってそれは責められるものではない。世界最高峰の舞台で戦っている彼のことを、各家庭に伝え、国民をあげて応援するのは結構だが、どうも今のまま行くと彼を食い物にしてしまうのではないかと心配する。当然のことだが、彼だって常に世界を驚愕させるような成績を残せるとは限らない。野球は精密さと高出力を極めて高いレベルで両立させることを求められるスポーツだ。相反するこの二つの事柄を一つ一つのプレーで同時に発揮するからこそ、他のスポーツに比べ失敗が多いと言われるゲームバランスになっている。だから大谷選手でも失敗することが当たり前なのだ。今後彼が成績を落とした時、メディアはどのように報道するのだろうか?彼がプロ野球の世界に入ってきた時、彼の目指す投手と野手の両立は悉く否定された。その後彼は実績を持って世論を覆し、今では神様のような扱いを受けている。この両立が出来なくなった時、あるいは、メジャーリーガーとして活躍できなくなった時、彼も神ではなく人だったのだ、とかいうのだろうか。でも彼はいつだって自分を成長させてきただけなのだ。自分のプレーを向上させることが、日本の野球の常識を覆すことと同義になり、今ではMLBの歴史を変えることと同義になっている。そう考えれば、いつだって彼は人として懸命に生きてきただけなのだ。ゲーテはミケランジェロの手によって礼拝堂の天井に描かれた大フレスコ画を見て「この天井を見れば、我々人間がどれほどのことが出来るかわかる。」と言ったという逸話がある。ゲーテはミケランジェロの神懸かった仕事への素直な感想か、あるいは最大限の賛辞として、この言葉を口にしたのだろう。人としてどこへたどり着いたのか。そのことに言及している。ミケランジェロも人生を終えた後ではあったが、自分の人として歩みに対して、神のような扱いを受け、その成果の裏にある、当然の努力や葛藤を無視されるより、よほど報われたのではないだろうか。将来、大谷選手もどういう形であれプロ野球から退く時が来る。その時に僕たちは人として彼にどのような言葉を送り、どのように接するのか?まさか、調子の良い時はその身を食らい、落ち目になれば骨をしゃぶり、引退となって、過剰なまでの美談に仕立て上げて、骨の髄まで味わい尽くす、そんなことになりはしないだろうか?