匂わせるのは悪いこと?

匂わせが叩かれている記事を見ることがある。匂わせと表現されるぐらいだから大体が叩かれている。不倫をしていた当事者たちが匂わせ画像をあげていたとかそんな取り上げ方だが、なぜか、不倫をしていたことよりも匂わせていたことを叩くことに比重を置いているものがある。不倫はその後、法的な処置をとる事態に陥ることがあるので、非難するならそちらに目を向けそうだがそうではないらしい。記事を書く側からすればキャッチーな表現を使うことそのものに意義があって、それを使える題材が必要なだけなのかもしれない。流行りの表現を使えばおしゃれに仕上がった気持ちになる。僕もなる。病み付きになっているのかな?それを言えば闇バイトという表現もある。身近な言葉に聞こえて時事に興味が向かない人たちにも届きやすい言葉かもしれないが、犯罪行為であることを認識させるのであれば犯罪と表現する方が良いのではないか。匂わせの話に戻るが、仮に不倫などしていないただのカップルが自覚して匂わせの写真をSNSにあげたからと言って、それは悪いことだろうか?僕は犯罪とまでは考えられない。実際に自分がそれを行う立場になればそれは当事者たちだけの秘密を共有しているという密かな楽しみとして理解できる。そういう楽しみってあると思う。他人は馬鹿にされてると捉える部分があるのかもしれないが、それはやはり、悔しさとか、僻みとか、そんな感情が過剰に捉えさせているのではないか。有名人は未だに交際することが認められない環境にある。交際を公言すれば聴いてもないのに口にすることを叩かれ、黙って交際すれば隠れて交際していたと取り上げられ、交際疑惑を問いただされたから正直に答えればファンを裏切ったと叩かれる。当事者たちに正しい選択というものは存在しないのだろうか。それとも、それが許される根拠のない力が好感度というものなのか。好感度なんて他人が勝手に押し付けたその人の評価の集合体でしかない。芸能人の画面上の人となりもメディアと折り合いをつけた姿でしかない。どちらも他者の思惑が主体で本人たちは影響を受けているだけだ。自分たちで勝手に評価して、自分たちで勝手にルールを作り上げて気に入らなければそれを非難する。常に自分の思い通りにならないと気が済まない、小さい子供の駄駄を見ている気持ちになる。

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