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おふろであたたまろ

 寒い。秋はいったいどこへ行ってしまったのか。
 まだしばらく秋の実りを楽しみたかったのだが、わたしの心は早くも氷河に閉ざされていた。毒が回った土ではもはや豊かな実など成るはずもなく、根が腐って幹も枝も枯れゆくばかりだ。一刻も早く枯葉をかき集めて焚き火で暖を取りたい。そこで焼き芋をしたりマシュマロを焼いたりマイムマイムを踊ったりするんだ。(訳・しごとやめたい)

♢♢

 こういう時は、何はともあれ風呂である。
 発泡する入浴剤をふたつに割って、湯船の中で手のひらに載せると、両手から入浴剤が気泡と化し、シュワアァァァ…と音を立てながら溶けてゆく。
 気分はさしずめ、幽遊白書の魔界の扉編で、戸愚呂兄に邪念樹を植え付ける前に煙幕を張る時の蔵馬である。中学ニ年の頃、何度も真似して言っていた台詞を再び言ってみる。

「お前は“死”にすら値しない」

 わたしではなく会社で受けたストレスの方が永遠にわたしの幻影と戦い続けるさまを想像すれば多少溜飲が下がる気もするが、入浴剤を溶かしながら台詞を真似している状況が滑稽で、あはは!と声をあげて笑ってしまう。もしここが自宅の風呂場ではなく海藤優が“禁句”で支配する四次元屋敷だったら、この時点で敗北である。

 多少愉快になってきたので、さらに別の台詞も言ってみる。浴室は声がよく響くから、コンプレックスと紙一重な自分の声でもいつもより朗々と聞こえて気持ちがいい。

「皮肉だね 悪党の血の方が綺麗な花が咲く」

 怒りやら悔しさやらにシマネキ草の種を植え付けて花畑を作れないものか。倒したいものが自分にとって不快なものであるほど、芽吹いた種が内側から突き破って美しい花を咲かせるさまを思い浮かべられるので楽しい。

「切り札は先に見せるな」
「見せるならさらに奥の手を持て、か」

 しまいには一人二役やり始めた。この台詞、ひとつの台詞を因縁のふたりが分割して言っているところがものすごく痺れる。そもそも切り札を持てている状況がなかなかない人間はどうしたら切り札を持てるんだろうな。蔵馬がわたしの参謀だったらどれだけいいだろう……。

 蔵馬はあんなに美しいのに、目的や仲間のためならだれよりも汚い勝ち方をするところが好きだ。鋭く聡い目で一点と全体を見据えているところが格好良いと思う。

♢♢

 ちなみに、幽遊白書で今わたしが最も好きな台詞はこれである。わたしは魔界統一トーナメント編が特に好きなのだけど、躯に対する憧れは年々増すばかりだ。

「今ではこの右半身はオレの誇りだ 治す気もない」

 わたしも自分の人生を切り開いて、誇りを勝ち取って、そのために付いた傷や痛みをまるごと肯定できる生き方をしたいものだ。躯はあくまで弱さやトラウマ、負の感情をすべて内包した上でこう言ってみせるところが格好いい。わたしにとって理想の存在のひとりである。

 今夜はせっかく風呂であたたまった心が湯冷めしないよう、分厚い毛布に包まり休みたい。

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