Drag Queenから学ぶ自分らしい人生の過ごし方
昨日、福岡市立美術館で開催されている「Drag Queen -No Light, NoQueen-」に足を運んだ。
この写真展の中で、Drag Queenから学ぶことや人生の教訓がいくつも存在したため、文字起こしをしている。
この写真展のために福岡に来たのだから(少々興奮気味だ)。
Drag Queenとは
Drag Queenとは、「Dress as a girl」の略称で、一般的に女装する男性を指す。
フォトグラファーのヨシダナギさんが、女性の性をモチーフとして自己表現へと昇華する彼女たちを撮影した作品集を昨年販売した。その写真展が現在開催されている。
ヨシダナギさんについて
ヨシダナギさんは、アフリカをはじめとする世界の先住民族を主に撮影しているフォトグラファーであり、2016年に発売した作品集「SURI COLLECTION」は、第48回講談社出版文化賞の写真賞を受賞した。
彼女の唯一無二な色彩と直感的な生き方、作品から伝わるメッセージ性はとてもユニークである。
人間とは立ち姿だ
ヨシダナギさんの写真で最も多いポージングが立ち姿だ。彼女曰く、アフリカの先住民族は立ち姿が美しいのだ。どんなに綺麗な顔立ちをしていても、立ち姿が美しくない方もいらっしゃるみたいがだ、アフリカの先住民族たちは総じて立ち姿がかっこいいのだ。
彼女にとって、立ち姿とは生き様そのものだという。その人の人間性や価値観、プライドなど全てが立ち姿に表れる。アフリカの先住民族たちは堂々とした立ち姿で、後光が指すような輝きを見せる。その表情や姿からは、自分たちへの誇りを感じられる。
綺麗な写真を撮るフォトグラファーさんは沢山いらっしゃるが、彼女の写真ほどかっこよくて見惚れてしまう写真は存在しないだろう。
写真を撮影するときに、先住民族の方々と1人の人間として仲良くなりたいという興奮というか好奇心が伝わってくる。その好奇心が写真の色味を引き出すのだろう。
クイーンたちは美しい
今回、Drag Queenの作品から伝わるものは「自己表現することの自由と痛み」である。
この彼女たちは、これまでの人生で数々の困難や苦難を乗り越えてきた。中には、厳重なクリスチャンでありながらゲイである方もいた。彼女はゲイであることを両親や親友に中々カミングアウトできず、打ち明けた際は勘当された経験もあると語っていた。
人生の中に存在する生きづらさを心に宿しながらも、本来の自分を曝け出しありのまま自己表現する彼女たちの表情に釘付けになってしまった。
ヨシダナギさんの写真からは、クイーンたちへの尊敬が垣間見える。構図やロケーション、衣装など全てがクイーンたちのステージとなっており、クイーンたちのために施されているとさえ感じてしまう。
そんな彼女たちの姿に私は感銘を受けた。
写真を鑑賞して「綺麗」や「うつくしい」という言葉だけで片付けたくなかったが、それ以上の語彙は自分の脳みそにインストールされていないことにとても悔やんだ。
自分の美意識を破壊された気分だ。とても清々しい。
奥深くて神秘的で、なおかつ迫力がある。
澄み切った綺麗さじゃなくて、異彩だけど純粋で情熱的な姿だった。
この衝撃が頭から離れない。
写真で何を残すのか
可愛い子を可愛く撮影するのは意外と難しくないかもしれない。
そう考えると、自分は写真を通じて何を伝えられるだろうか。
写真にメッセージを込められるかどうか、モデルの方と親密になって人生に触れられるかどうかは写真家の大きな意義かもしれない。
ヨシダナギさんの写真からは「そのままの自分でも美しい」というメッセージが込められているのかもしれない。単純に、自分がそう感じているだけかもしれない。
現代では、評価経済が主流となり誰もか他人からの賞賛を求める。飽くなき承認欲求に駆られているのかもしれない。
いいね数とフォロワー数を機にすることに辟易としているかもしれない。写真を撮るのが好きという純粋な気持ちが、いつの間にかいいね数を稼ぐだけの生産活動になっている気がした。
こんな世の中だからこそ、ヨシダナギさんの写真や生き方が心に刺さったのかもしれない。
彼女の直感的な生き方を覗いてみたい方は、是非とも書店で彼女の本を手に取ってもらいたい。