YESを言うこと
ここ数週間、自分の中に起きることと周りの世界に見えること。
そして、今まで見ないようにしてきたことが一気に見えるようになってきた。
過去の記憶も、自分の中に起きる違和感の感覚も、今ここではないどこかに行くことも、グランディングしてる感覚も。
そんな中、見たくなかったもの。
見ないようにしてきたものに直面した。
親子関係。
瞑想を始めた1年半前。
私は親に愛されてるのだろうか?
その探究から真白の恋という映画に出会い、私は愛されていなかったわけではないと思った。
この時期のことは詳しくはこちらを。
この半年、親子の関係の修復や子どもの頃にできなかったことの体験や親とのパートナーシップを意図して実家にいることにした。
苦しい時や寂しい時に
「おかあさん、ちょっと頭撫でて」と甘えることもできるようになってきた。
でも、心の奥底は常に寂しくて、虚しくて。
「私を見て」というような欲求は満たされず。
何が起きてる?と思いながらも見ないようにしてた。
見えるようになったら気づいてしまった。
この関係性の上に愛がないこと。
普通の子でいてほしい。
社会のフィルターを通して発せられる親の言葉。
両親の間の関係性。
私と両親との関係性。
そこに深い繋がりがない。
表面的な関係で、この人たちは"ここ"にいる私を見ていない。
世間では愛と謳うエゴ。
それに気づいたら、外に出たくなった。
ここは帰る場所ではあっても住む場所ではないのかもしれない。
そんな時に湧いて出てくるわなびば。
ど真ん中から伝える恐怖。
真正面から向き合う恐怖。
そこから半年逃げてYESを言う場所なのにYESを言わずに居た場所。
新たな一歩。
新たな旅。
そして、家を出る。
自己承認の旅の始まり。
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