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短編小説:もういない君の手を握る(3/3)
中編(2/3)はこちら。
-----------(続き)-----------
槻の木祭の当日は朝からよく晴れていた。
オープニングセレモニーが終わり、クラスのわたあめ店の手伝いをしてから私は軽音部の部室に向かった。
軽音部の体育館ステージは午後からだが、希望があれば午前中のうちに交代で部室で練習してもよいことになっている。部室に到着すると先輩たちのバンドがちょうど練習を終えたところだった。
おつかれさまでーすと先輩たちを見送り、部室に入ろうとしたら背後から肩を叩かれた。
「同じクラスなんだから声かけてよ」
私と同じ、レインボーカラーのクラスTシャツ姿の優が立っている。
「ごめん、気づかなかった」
もちろん嘘だ。
女子たちに囲まれ、上手なわたあめの作り方を伝授するのに忙しそうだったのでわざと置いていった。
人見知りだった優が懐かしくて恋しくてたまらない。
無言で練習の準備をしていたら間もなく伊月も現れ、早々に演奏予定の三曲を通す。
「ばっちりじゃないかな」
演奏を終えて優が満足げにエレキギターを下ろし、伊月もそれに同意する。
もともと伊月は中学時代からエレキベースをやっていて軽音部でも頭一つ抜けていた。優の演奏の腕が上達したことで、伊月のエレキベースも以前より活きたものになっているのは事実だ。
つまり、《トライアングル》としてはかつてないデキの演奏ということだ。
「ステージ、楽しみだね」
笑顔で優に話しかけられ、だけど私は素直に頷けず片づけを始めた。
次のバンドに部室を譲らないといけない時間が近づき、優と伊月も各々の楽器をケースにしまう。
「じゃ、あとは本番で」
そう軽く手をふって一人先に部室を出ようとしたら、「待って」と優に引き留められた。
「岬ちゃん、文化祭、誰かと回る約束してる?」
「……してないけど」
「じゃあ、今年も僕と回らない?」
去年の槻の木祭は一日目の午後だけ優と一緒に回った。
特に約束していたわけじゃなかったけど、のんびりしていたせいかクラスの男子たちに置いていかれ、一人で所在なさげにしていたので私から声をかけたのだ。
――一人なら一緒に見に行かない?
なんでもない風を装いつつも、心の中ではものすごく緊張してたし声も震えかけてた。
いくら普段から仲がよくても、付き合ってもない男子に自分から声をかけるには勇気がいる。
不自然じゃないか、引かれたらどうしよう、なんて心臓が止まりそうだったけど、優は「行く!」と笑顔で応えてくれた。
けどたった今、去年の私みたいに誘ってくれた優の口調は軽かった。
あまりに軽くて余裕すら見て取れ、ものすごくイラッとする。
「遠慮しとく。優と一緒に回りたがってる女の子ならたくさんいるよ」
「僕は岬ちゃんと回りたいんだ」
もしこの台詞を以前の優に言われたのなら、私はきっと顔を赤くしながら「喜んで」と応えた。
こういうことを言えるキャラじゃなかった以前の優の言葉なら、それはとても重たいもののはずだから。
だけど、今の修理済みの優のことが私には全然わからない。
前より明るくて雄弁になったけど、それだけだ。
廃部員回収部に行こうとして止められたあの日を境に、私は練習以外では優のことを避けてもいた。
こうやって誘われる意味がわからない。
「私といても楽しくないよ」
「そんなわけないよ」
「じゃあ今、私と話してて優は楽しい?」
考える間もなく、優はやわらかい笑顔を私に向ける。
「もちろん」
修理前の優は人の顔色を窺いがちで、でもそれは裏を返せば人の感情に敏感だったということだ。
今の優は何もわかってない。
「私は楽しくない」
私がそう言った直後、笑顔を落としたような無表情になって優は無言で部室を出ていってしまう。
傷つけた、と気づいたときには遅かった。
足音は遠ざかりもう聞こえない。伊月が優を追いかけるように部室を出たものの、すぐに私のところに戻ってくる。
「さっきのはやりすぎだよ、岬」
「……ごめん」
「謝るなら優に謝るべきだ」
次に部室を使う部員たちが来てしまい、私と伊月は部室を出て特別校舎の廊下の隅で立ち止まった。
文化祭の喧噪が遠い。
伊月はイラ立った様子で口を開く。
「そんなに優が嫌い?」
答えない私へのイラ立ちを押さえ込むように、伊月は腕を組んで私を見下ろす。
「優は変わったんだよ」
「そうだね。ダメな自分を修理して、私の知らない誰かに変わっちゃった」
「確かに変わったけど、でも優は優だよ」
伊月の言うことが正論なんだろう。頭ではわかってる。でも、だけど。
「私は伊月みたいに簡単に受け入れられない」
腕を組んだまま伊月は目を閉じたが、やがてゆっくりと開いた。
「優には言うなって言われてたんだけど。――先に謝っとく。悪い」
「何それ」
「八月に入ってからかな。俺、優に『岬ちゃんがおかしい』って詰め寄られて、あのこと話した」
伊月の言う「あのこと」がなんなのか、すぐにわかって血の気が引いた。
「優が……優が知ってるの? 本当に?」
伊月は少し屈んで私の目をまっすぐに見つめる。
「優は今日のライブのために自分を変えたんだよ。今日のライブは絶対に失敗できないって、岬のために自分ができることはこれしかないって。だから――」
「私……優と話してくる」
伊月に宣言するやいなや私は走りだしていた。
「走っちゃダメだ!」と伊月の声が追いかけてきたけど、私はかまわず両足を動かした。
人の多い廊下を駆けながら考えた。
私は悔しかったのだ、と。
優は確かに不器用だし失敗も多かったけど、めげずに努力できる人だ。活動が緩い軽音部で、優ほど練習する部員はほかにいない。
失敗しても何度でもやり直すという『Starting over and over and over』の歌詞は、そんな優を想って書いたものだった。
だからこそ、優が自分はダメだと決めつけ諦めて修理してしまったことが、私は悔しくて悲しくて許せなかった。
……でも、そうじゃなかったのだとしたら。
二年三組の教室に優はいなかった。
スマホの存在を思い出して取り出してみるも充電切れで使えず、仕方ないのであてがないまま歩きだすも、普通校舎を一周しても優には会えなくて疲労ばかりが蓄積していく。
どこかですれ違ってしまったか、体育館にいるのか、それとも特別校舎に――
廃部員回収部。
廃部員回収部なる謎の部活が槻の木祭の出しものを用意しているとは思えなかったが、優が向かった可能性はなくはない。
普通校舎から特別校舎に戻って階段を下り、だが一階に到着したところで眩暈に襲われて座り込む。リノリウムの床が冷たい。息切れが収まらず身体が上下する。
〈負けたくなくて 少しでも近づきたくて 僕は君を追いかける〉
優に負けたくなくて、私もたくさん練習した。
ボイストレーニングや、肺活量をつけるためのランニングや筋トレも。
でも、がんばればがんばるほど私の持久力はなくなっていき、身体は軽くなるどころかどんどん重たくなっていった。
〈諦めたくない〉
午後のライブのために体力を温存した方がいいのはわかってる。たった三曲、十五分のステージでも今の私にはギリギリだ。
伊月に言われなくてもわかってる。
〈諦めたくないんだ――〉
拳を床に叩きつけて目を閉じた。
『Starting over and over and over』のメロディを聞き覚えのある物寂しい音楽が上書いていく。
『夕焼け小焼け』のオルゴール……。
「岬ちゃん!」
身体を軽く揺すられて目を開けると、目の前には探していた優がいた。
床に膝をついて私の顔を覗き込んでいる。
「身体しんどいの? 保健室行く?」
息苦しさはまだ残っていたもののだいぶマシになっており、首をふって見返した。
「どうして……」
「伊月から、岬ちゃんが走って僕のこと探しに行ったって連絡があったから……。ダメだよ、無理したら――」
「優は知ってたんだね」
一瞬不意を突かれたような顔をしたものの、けど優はしっかりと頷いた。
色んな検査をし、私の心臓に欠陥があるとわかったのは今年の春のことだ。
血を送りだすための弁の動きが悪く、激しい運動をすると息切れや眩暈が起こるのだという。
中学時代までは体育の授業くらいしか運動しなかったとはいえ、自覚症状はなかったというのに。
「岬ちゃんが僕にだけ教えてくれなくて、正直ちょっとショックだった」
「誰にも言わないつもりだったんだよ」
伊月に知られたのはまったくの偶然だった。
通っている病院で伊月の母親が看護師として働いており、届けものに来た伊月と鉢合わせたのだ。
「大したことじゃないんだよ。しばらく学校を休んで入院するし手術もするけど、術後がよければすぐに学校に戻れるし」
「でも、もうライブはできないよね」
学校に戻っても留年するかもしれないし、軽音部の活動を再開するのは現実的ではなく、この文化祭がきっと最後のライブになる。
優は祈りを捧げるように床に膝をついたまま、私の右手を両手で包み込む。
「僕は岬ちゃんの最後のライブを最高のものにしたいんだ。岬ちゃんが手術をがんばれるように応援したい。そのためにできることだったらなんだってする」
優の手は冷たくて気持ちよく、包まれた私の右手はたちまち熱を失っていく。
包んだ私の手を自分の額に当てて俯く優の猫っ毛に、私はそっと左手で触れた。
「そのために、廃部員回収部に行ったの?」
顔を上げた優は私の目を見つめて頷いた。
「僕なんかの失敗で、岬ちゃんの最後のライブを台なしにしたくなかった」
僕なんか、などと言わないでほしいのに。
「廃部員回収部で修理したらもう元には戻せないって説明された。別の自分になるけどそれでもいいのかって。それでもよかったんだ」
それでもよかった、わけなんてないのに。
「僕は岬ちゃんのためならなんだってするよ」
優の顔がふいに歪んだ。
あっと思ったときには両目から熱いものがあふれてこぼれ、頬を伝って落ちていく。
……優はバカだ。
たった十五分のライブのために、自分じゃないものになるとわかっていて修理されてしまうなんて。
さっき優がしたように、右手を包む優の手に私は額を乗せた。
……バカは私だ。
こうなる前にちゃんと言葉で伝えればよかった。そのままの優を認めてるって。大事なんだって。
好きなんだって。
バカとなじることも、ごめんなさいと謝ることももうできない。
元に戻せないならそんなことに意味はない。
だから私はひと言だけ口にした。
「ありがとう」
優は握っていた手を離すと親指で私の目元に触れた。
指の腹でそっと涙を拭い、やがて両手で私の頬を包み込む。
――以前の優だったら、私が泣いてたらティッシュを探して右往左往するだろうな。
その姿を想像して小さく笑い、私は頬に触れた優の手に自分の手を重ねて目を閉じた。
〈諦めなかったら いつか伝えられるかな〉
オルゴールの音は消えている。
もういない彼のための歌を、最高のライブが待っている。
〈了〉
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