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18年ぶりの上演に何を求めるのか?『泥人魚』鑑賞の記録

唐十郎と、宮沢りえ。

「この2人で、また演りますよ」と言われたら、チケットを取らずにはいられない。かつて、とんでもないものを魅せてくれたから。

2013年、Bunkamuraシアターコクーンで観た『盲導犬』で、宮沢りえさんに圧倒されて、「舞台女優・宮沢りえ」への興味が3倍増しになった記憶が、蘇る。

ミュージカルばかり観ていたから、そろそろストレートプレイも観たいと思っていたところに、『泥人魚』上演のニュースが舞い込んできた。

「宮沢りえ」「唐十郎」というキーワードだけで、もう観に行くことはほぼ確定なのだが、他の出演者を確認したところ、なんと愛希れいかさんが出演するという。

愛希れいかさんと言えば・・・
・『アリスの恋人』のアリス(2011年)
・『ロミオとジュリエット』のジュリエット(2012年)
・『エリザベート』のエリザベート(宝塚でも東宝でも!)
・『イリュージョニスト』のソフィ(2021年)
など、ミュージカル界では出演作も多い人気者。私の敬愛する明日海りおさんとの関係も深い。ストレートプレイは初めてだという。

ううむ。観に行かないという選択肢が、私にあるのだろうか。

と言うわけで、さして悩むことなくチケットを取った。
Bunkamuraのチケットサービスが用意してくれた席は、私がシアターコクーンでいちばん好きな距離感の席だった。Bunkamuraさん、分かってくれてるじゃない?と少し嬉しくなる。

波の音とカモメの鳴き声

少し早めに、シアターコクーンに到着した。Bunkamura近くのスターバックスで軽く昼食を取り、マチネに備える。

席に着くと、会場には波の音と、カモメの鳴き声が。
控えめな客席のガヤガヤの、BGMのようだった。

すでに、私たちは『泥人魚』の世界の中に取り込まれたようだ。
開演と同時に、波の音は大きくなり、世界は暗転した。

ギロチン堤防の向こう側とこちら側

物語は、やすみ(宮沢りえさん)より蛍一(磯村勇斗さん)の視点で進んでいく。理想と現実、オンナとオトコ、詩人とまだらボケの老人。ギロチン堤防の向こう側とこちら側を隔てるのは、いったい何なのだろうと思う。

金物店に出てくるブリキの板は、明らかにギロチン堤防のギロチン板を模したもの。ブリキの板を使って作る湯たんぽは、鱗の比喩だろうか。ギロチン堤防をぶっ壊し、桜貝の鱗が諫早湾に返ってくることを、蛍一は夢見ている、ということか。

いやいや。ここは小難しく考えず、唐十郎独特の詩的な世界観に身をゆだねたほうが楽しいだろう。

ハハッと笑えたと思ったら、美しい言葉に彩られたセリフが胸にくる。緩急の効いた、アングラ独特のテンポが詩的な言葉たちを際立たせる。

と、見えてくるのはギロチン堤防のこちら側で悪戦苦闘する、名もなき人たち。資本主義に飲み込まれ、男性中心の論理に飲み込まれ、あるものは堤防の向こう側に思いを馳せ、あるものは徹底的にこちら側で生きる道を探す。

桜貝の貝殻といい、鱗といい、ラストといい、詩的で美しい言葉たちといい、唐十郎氏は本当にロマンチストだなと感じる。

でも、ちょっと古臭くはないか。これ。
プロジェクションマッピングやら何やら、新しいことを取り入れてはいるけれど、唐十郎氏の女性とか少女性とかに対する、ある種の幻想を感じてなんだかちょっと、違和感をぬぐえないのだ。

オンナって、少女って、そんなに神聖なものだろうか。

『泥人魚』の初演は2003年。私はまだ20代。恋愛ドラマ観てボロボロ泣いてたころだ。そのころの戯曲としてはべつに古くない。

恋愛ドラマと言えば、最初に印象最悪の二人が出会い、いろんなことを乗り越えて互いに恋ゴゴロを抱くようになり、咬ませ犬が入り、結ばれてハッピーエンド、みたいな時代。

だから、この作品だって、2003年的感覚から言ったら全然アリだと思う。
当時のファンタジーを否定するつもりは全然ないんだけど、『大豆田とわ子と三人の元夫』や『お耳に合いましたら』を毎週非常に楽しみにしていた身としては、同じファンタジーでもああいうの参考にしてくれんかな?と思う。

個人的には、この後月影小夜子やしらない二郎が、どんなふうに堤防のこちら側で生きていくのか?を知りたい。というわけで妄想している。

演劇に同時代性は不要、と言う意見もあると思う。
シェイクスピアはいつだって面白い。確かに。
だから、これは完全に「趣味の問題」だ。

もしかしたら、私の見方が相当浅いせいかもしれない。
何度か観たら、印象が変わるのかもしれない。

少なくとも、次に唐十郎作品を観に行くときは、いったん戯曲を読んでからにしようと心に決めた。

役者さんについて

全員素晴らしかった。

宮沢りえさんは言うに及ばないが、今回は処女性や少女性をかなり濃いめに背負わされた役だったように思う。可愛らしく演じ切っていてさすがだな、と感じた。

特に、磯村勇斗さん。ほぼ舞台に出ずっぱりの中、テンポの速いセリフ回しも、方言の朴訥な感じも、とても良かった。
蛍一はギロチン堤防の向こう側とこちら側の境目をゆらゆらしているような存在だけれど、その不安定さが上手く出ていた。

ぜひ、次も舞台に出てほしい。

そして、愛希れいかさん。
明日海さんとの共演作は何度も映像で観ている。『イリュージョニスト』のソフィも良かった。お芝居の上手さは何度も観てきた通りだった。

もともと男役の経験もあるだけあって、ある種男装の麗人っぽい、資本主義の権化のような月影小夜子をとっても可愛らしく演じていた。あの可愛らしさは、愛希れいかさんにしか出せないと思う。

個人的に、明日海さんと愛希れいかさんの並びばかり観ているせいで感覚がおかしくなっていたけれど、愛希れいかさんは異次元のスタイルで登場し、観客の度肝を抜いていた。

顔の小ささと足の長さと腕の長さのバランスが、とても同じ人類とは思えなかった。

おわりに

2013年、『盲導犬』に衝撃を受けた当時とは、私自身の作品を観る目がかなり変わっていることを実感した。

去年の私だったら『泥人魚』をどう観ただろうな・・・と想像してみた。それなりに楽しく観て、絶賛していたかもしれない。

『泥人魚』が駄作だとは全く思わないし、唐十郎氏らしい作品だし、何しろ

「独特の詩情と叙情とユーモア。すぐれた劇詩人で舞台の魔術師、唐十郎の集大成」と井上ひさし氏が絶賛した傑作戯曲

(泥人魚 ホームページ記載より抜粋)

だそうなので、私にハマらなかった、というだけだ。
いや、井上ひさし氏の言ってることはもっともで、いちいち頷いてしまうのだけど。

2003年の名作が、2021年も名作と自分に感じられるかどうか。
次からは自分に問うてから、観に行こうと思う。

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はるまふじ
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