母の温度
2022年大晦日。
わたしは母と向き合っていた。
もう、ピクリともしない。
ほんの1週間前まで温かかった、白くて冷たい手。重たい足。
触れたわたしの手に、「死」とは何なのかが、否応なしに刺さる。
子どもの頃、保育園に迎えに来るのはたいてい祖父だった。母ではなく。嫌だったわけではない。朝「今日は迎えに来てね」と母と約束した日は、祖父が迎えに来ても頑として動かなかった。約束したのだから。約束は守らなくてはいけないのだから。あたりが暗くなってもじっと待っているわたしのもとに、実際母が来てくれたことは何度あっただろう。
結局、毎度毎度泣きながら祖父に手を引かれて家路についたことを、覚えている。
小学生のころから高校生に至るまで、母には怒られた記憶しかない。
朝起きてから夜眠るまで、よくあんなに叱ることがあったものだと感心してしまう。近所に響き渡るほど大きな声で毎朝起こされるのも、とても嫌だった。
いわれのない難癖をつけてきた男の子と殴り合いの喧嘩をして、ボコボコにした(もちろん後で相手の親御さんからお小言をちょうだいした)。なわとびやゴム跳びより、木登りや林の中を探検するのが好きだった。授業中は週刊少年ジャンプを読むのに夢中だった。お酒とかタバコとかは未成年のうちに経験するのがたしなみだった。キャッシュカードを作っていないわたし名義の預金口座を発見、勝手にキャッシュカードを作って勝手に全額使った。
なかなかひどい。叱られて当然の事ばかり。
1980年代の小学生女子としては珍しく「少年野球チームに入りたい」と言った時、母は入れるチームを一所懸命探してくれた。何チームも断られ続けてやっと見つけてくれた場所は、心地よかった。試合をするたびよそのチームの男子たちは、背中に向かって「立ちションも出来ないくせに」だの「おっぱい」だの、意味不明な言葉を投げつけてきた。さっきおっぱい相手に三振したくせに。言い返してやるのもアホらしい。今なら「お前らに生理はあるのか?多少体調悪かろうが、わたしはマウンドに立って、試合を作ってる」と吐き捨てるところ。振り返らずグラウンド整備に向かった。あんなチームに行かなくてほんとうに良かった。
叱られてばかりだったが、「勉強しろ」と言われたことは一度も無かった。小学生時代に母が見つけてくれたあの場所が心地よかったせいか、他人より1年よけいにかかってなんとか合格した学部には、女子が1割ほど。元々従順なタイプではなかったけれど、アルバイトをするようになってある程度の金銭的な自由が手に入ると、ますます母の言うことに耳を貸さなくなる反抗期継続中の大学生。
それでもなるべく夜10時ぐらいまでに帰宅していたのは、母への遠まわしな配慮。
彼について母に話したのとほぼ同じタイミングで、仕事が忙しくなった。毎日終電帰宅は辛いので、職場の近くで一人暮らしをしようとした。母は邪推した。保証人欄に判を押してはくれなかった。どこから出してきたのか、赤ちゃんをあやすガラガラを振りながら泣いている。そんなものまだ取ってあったのか。小さく丸まった母の背中は下手くそな芝居を見せられている程度のショック。卑怯じゃないかという思いが強く湧きあがる。
なぜわたしは、こんな風に母の事ばかり気にしながら、色んな決断をしなくてはいけないのか。なぜちゃんと一人で立てていることを、喜んではもらえないのか。あの日、迎えに来てくれなかったくせに。ずっとずっと待っていたのに。
もう、一人で帰れるんだよ。どうして笑ってくれないの。
3歳のわたしが猛スピードで走り去る。急にアホらしくなって、何も言わずにリビングを出ていった。
母へのありがとうとこんちくしょうが、こころの中にずっと同居していた。
結局、家を出ることは無かった。早く結婚して出ていきたかった。
あれから、25年が経とうとしている。
母の白く細く重い足は、何度触れてみても冷たい。
肌の温もりは、思い出の中にしかない。
そう感じた瞬間、母との温かな記憶が頭の中をめぐった。
ぜんぜん寝ない娘を代わる代わるあやしながら、夜通し一緒に起きていた夏の日。
縫ってもらった浴衣を嬉しそうに着る娘と手をつないで、一緒に写真を撮った日。
夕食を作れなくて、仕事帰りに家族みんなで実家に押し掛けた秋の日。
東日本大震災で帰宅困難になったわたしに代わり、子どもたちを迎えに行ってもらった寒い日。
不思議だ。40年以上娘でいたはずなのに、思い出すのはわたしが母となってからのことばかりだった。当たり前にそばにいる母ちゃんに甘えられるありがたさが胸にしみたのは、わたしの娘がいてくれたから。母がいなくなることは、この世で一番心地よい温もりを失うことだったのだと、突き付けられた。
散りゆく桜をながめながら、母の冷たくなった手がわたしに刻み込んだものをいま、見つめている。
袖を通して、身体が心地よいと感じた服。首筋にまとわりつく空気の湿度。足の裏に張り付いた砂。サングラス無しでは居られない、刺すような日差し。いっしょに食べた焼きそばの味。
肌で感じたものは、深く心に刻まれている。
だから、言葉を連ねるだけで夏の海の思い出がよみがえる。
肌で感じたものは、じぶんの言葉で誰かに伝えられる気がする。
誰かに伝えたら、またじぶんに返ってくる。あの日の自分をまた、見つけられる。
近くに感じていた温もりが、あっけなく消えた日。
涙は出なかった。けれどわたしは確かに泣きながらサヨナラをした。
肌で感じたものを、大切にしている。
いや、というより。
肌で感じたものが、わたしを抱きしめてくれているのかもしれない。