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動物のお医者さん
深刻な顔で、「相談があるんです」と彼女は言った。
同棲中の彼氏とのあいだに子どもでもできたのかと身構えると、しばらくオフィスへの出社を控え在宅勤務にしたいのだと言う。わけを訊いてみると、飼っているウサギの体調が思わしくないのだそう。動物病院へ連れては行ったものの、様子見と言われ、何かあったらまた連れてきてと帰されたのだと。
やや身構え過ぎたか。
「様子をみましょう」「何かあったらまた来てください」。
医者がよく言う言葉ベストテンがあったら、きっと1位と2位に入る言葉だろう。原因がわからなくて症状からあたりを付け、薬を出してそれで回復すればOK。ダメなら他の薬を試そうということなのだろうが、聞いているこちらは不安でしかたない。さぞ心細いだろうと、肩を落とす彼女が心配になる。
心配なことは他にもある。ペットのウサギの具合が悪いのなら、あなただけが休んで連れて行くのではなく、同居人にも連れて行かせたらどうなのか。よそのパートナーの関係に首を突っ込むのはよくないと少しだけブレーキを踏んでみたが、内なる詮索オバサンがアクセルを強く踏む。「彼氏さんにも、病院つれてってもらいなよ」。言ってしまった。
事情があって在宅勤務にしている部下や同僚は山ほどいるので、すっかり忘れていた。先日オフィスで久しぶりに彼女と顔を合わせたタイミングで、雑談のなか「そういえばウサギちゃんは元気になった?」と訊いてみる。
明るい笑顔と弾む声で「はい!おかげさまで!」と答えてくれた。よほど心配だったのだろう。声が明るい。元気になったのがどれだけ嬉しかったのか、耳から伝わってくる。「ウサギを診られる獣医さんって、多くないんです。犬猫専門のところが多くて」と苦労を口にする。
獣医。
『動物のお医者さん』に憧れて北海道大学の獣医学部に進学した、高校の同級生を突然思い出した。
最後に会ったのは何年前だっただろう。10年は経っていない気がする。同じバスケ部で汗を流した彼は、高校時代そのままのさわやかさで部の同窓会に来てくれた。彼に関する情報は「北大の獣医学部に進学」で止まっているわたし。その後の進路を知らなかったので、直接訊いてみた。「いま、何をしているの?」と。
JRAに勤めている、と教えてくれた。
ウサギのお医者さんならぬ馬のお医者さん。
馬のお医者さんがどう大変なのか想像がぜんぜん追い付かなかったけれど、仕事のことを色々訊いてみる。内容は全然分からない。だが楽しそうに話してくれる彼を見ていると、こちらも幸せな気持ちで満たされていく。
お互いの家族の話をした。パートナーのこと、子どものこと。思えば高校の時はこんな風にリラックスして話をすることもできなかった。バスケットが上手くなりたいという思いと、異性への興味が交錯するなかで生まれる妙な緊張感のただなかにいた。「彼女でもないのだから、用事が無ければ話さない」かたくなに守ろうとしたマイルール。
彼の元カノは、テーブルの反対側で他のメンバーと話している。視線を感じることは無かった。お互いに過去、なのだろう。昔のわたしを思い出そうとしてみたけれど、胸は痛まなかった。こちらも過去だ。
こんな時に限って、もう一人の元カノである友人のことを思い出してしまう。そういえば二人とも小動物系だな。そうか。彼は小動物系がタイプなのか。きっとパートナーもそうなのだろうな。邪魔者の詮索オバサンが顔をのぞかせる。彼女を無理やり引っ込めて、小動物系とはほど遠かった高校時代の自分の姿を思い出す。仕方ないな。ベンチプレスで45kgを持ち上げていた身体は、小動物にはとても見えないだろう。
馬のお医者さん歴20年近い彼は、わたしの部下のような不安を抱えた馬主さんや調教師さんとどう接しているのだろう。コート上でいつもチームメイトを鼓舞していたように、「大丈夫!」と励ましているのだろうか。不安にならないように声掛けをしているのだろうか。この人に任せていればきっと大丈夫と思えた、あの日の笑顔が頭の中に浮かぶ。
馬のお医者さんはパワーも要るだろうし、いかにも大変そう。歳を重ねたら犬猫専門のクリニックを開業したりするのだろうか。いや、そんな簡単な話じゃないだろう。あの時、そんな話をしたような気がするけど全然思い出せない。記憶の中にあるのは、ふわふわとした多幸感だけだ。
目の前のランチプレートから立ち上るおいしそうな匂いが、鼻腔をくすぐる。はたと我に返る。
「知らなかったんですけど、お医者さんがウサギに処方した薬、猫用だったんです」と彼女が言う。ウサギも猫と同じように、毛づくろいをするときに毛玉を飲み込んでしまうことがあるらしい。だから、毛玉を体外に出すのに猫と同じ薬を使うのだそう。へえ、と少しいつもより高めの声を出してしまった次の瞬間、頭の中のイメージがそのままこぼれ出てしまった。
「ていうか、ウサギのお医者さん、犬猫専門のお医者さんでも出来るんじゃない?」
彼が歳を重ねて、もし犬猫専門のクリニックを開業したら。
「様子をみましょう」「何かあったらまた来てください」と話す声を想像して、根拠はないけどなぜか「大丈夫。このドクターがきっと何とかしてくれる」と思えた。ペットのことで誰かが困っていたら、彼のクリニックを紹介するのも良いかもしれない。独りよがりな妄想が口を滑らせた。
目の前の彼女が、ポカンとしている。
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