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祝祭の残滓が消えぬ間に 『天保十二年のシェイクスピア』大千穐楽に寄せて
プロローグ
雲ひとつない青空が、大千穐楽に花を添えてくれている。
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2025年1月26日に名古屋・愛知芸術劇場で大千穐楽を迎える『天保十二年のシェイクスピア』を追いかけて、新幹線の中にいた。前年12月9日に東京・日生劇場から始まった公演は、一度も中止になることなく、キャストの誰1人欠けることなく、ここまでたどり着いた。
2020年公演は、コロナのあおりを受けて中止。4年間漂い続けた「無念の亡霊」が、ようやく成仏する。立ち会わねばなるまい。謎の使命感と花札柄のトートバッグを携え、未知の劇場へ。
スマホのおかげで、行ったことのない場所へ行くにも迷うことがほぼ無くなった。名古屋駅で東山線に乗り換え、栄駅で降り、一目散にてくてく歩く。一歩ずつ近づく祝祭の終わり。高揚と寂寥が同時にやってくる。席に着くと、客席から立ち上る熱がわたしの身体から寂寥を追い出す。
木場勝己さん演じる隊長の前口上まで、あと少し。
さよなら、三世次
怒りを駆動力にしてことばの毒を武器にのし上がった三世次が、妻おさちと向き合う。諭すようなおさちの言葉を受けた刹那、邪悪さが三世次から消滅する。
怪物の鎧がはげ落ち、純情があらわになる。
愛された記憶のない男の心臓に、受容に見えた強い拒絶が刃より鋭く刺さった。鏡の中の己の醜さが追い討ちをかける。正気でいられるはずがない。
足掻く姿が切ない。手付と手代を呼ぶ声に「もう誰も来ねえだろうな」という諦めがにじむ。
「馬だ!天馬だ…この世から抜け出すには羽の生えた天馬が必要なんだ…」
日生劇場で観た時、このセリフの「…」には「!」が入っていた。あの日あの大きな手で心を掴まれずっと引きずられて来たわたしは、これまで観た中でいちばん哀しい彼を見送った。
さよなら。浦井三世次。
あなたの咲かす黄金色の悪の華、ずっと忘れないよ。
エピローグ
「墓場からのエピローグ」。
登場人物全員、幽霊になって登場する。客席降りもあって、まさに祝祭。役が抜けた三世次を見てホッとするのも、これが最後。
カーテンコールでは、浦井健治さんの「完走しました!」宣言に涙。プリンシパルキャスト1人1人によるご挨拶。梅沢昌代さんの「アンサンブル、ばんざい!」。土井ケイトさんの「愛してます!」を噛みしめる。
隊長もお文もお里もお光おさちも鰤の十兵衛も、閻魔堂の婆さんも尾瀬の幕兵衛もきじるしの王次もお冬も、そしてどうしようもなく魅力的な悪党・三世次も。
みんなみんな、さよなら。
そして願わくば、また清滝村で会えますように。
三世次&王次のアクリルスタンドと、お疲れ様のおやつタイム。
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祝祭が終わり、胸には寂しさよりも達成感。
無念の亡霊が、天に昇っていく。
新幹線が東京駅に滑り込む。
在来線への乗り換えまで、あと5分。
花札柄のトートバッグを肩にかけ、改札へと急いだ。
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