私がケロケロ吐いていても(37w 2d)
案外君は平気なのかもしれないよな。
土曜日は全然ダメだった。遅めの朝ごはんを食べて、買い物に出かけようと化粧をしていたらめちゃくちゃ体調を崩して吐いた。
あとは髪の毛をセットしたら出かけられるところまで整えたのに、何をしても体調不良が戻らず、結局夕方まで寝て過ごした。
しかし、使い捨てコンタクトまで入れていたのでどこにも行かないことに諦めがつかず、近所のショッピングモールに足を運んだ。
出かける前は大丈夫そうだと思ったのに、ついて店内を見回っているとどんどん体調が悪くなっていき、出かける前に食べたアイスを結局吐いた。食べて帰ろうと思っていた大戸屋をテイクアウトすることとなった。
吐いている時、やっぱり辛い。口の中が不愉快で、息苦しくて、体がカッと熱くなる。しかも妊娠後期の嘔吐はセットで尿漏れがついてくる。いや、構造上わかる。子宮は縮まないよな。じゃあ、上から押されたら下が潰れるしかない。尿が漏れるしかない。原因はわかりやすい。でも、あんまりだよ……。
そして、吐いている時は「君も苦しいよね、ごめんね」と赤ちゃんに対して思う。しかし、そのあと「いや、君は案外苦しくないのかもしれない」と思い直す。
だって、君と私は別個体だ。私がこれだけ苦しんでいるからと言って、君は快適に過ごしている可能性だってある。私の苦しみの原因は、私の臓器が君に押しつぶされているからであって、君の臓器はスクスクと育っているのだから、同じ苦しみを感じていることはないはずだ。(ただ、私が息苦しいと、君も少し息苦しいかもしれない)
親と子は別人だ。
よく聞く言葉だ。よく聞かなければならないほどには、親は子を自分と同一視してしまうのだろう。個人的な印象だが、母親に多い印象だ。
なんとなく、そうなる気持ちはわかる。
君が私のお腹の中に来て10ヶ月になるという。ここ数ヶ月、君は私の中でドンドコ育って、ドンドコ私のお腹を蹴って、いろいろな方法でその存在を私に知らせてくれている。予定日まであと19日。君との長い共同生活もいよいよ終わりが近づいているというのに、実はまだ実感が湧いていない。
お腹に赤ちゃんがいる。頭ではわかっている。行動も伴っている(はず)。けれど、どこかにまだ赤ちゃんが生まれると言う実感が湧いていない。
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるらしい」と、夫と同じレベルで実感が湧かない。
どこかで、私の内臓の一部が動いているような気がしてしまうのだ。このお腹の中に、人間が入っているなんて想像もつかない。
私はかなり赤ちゃんに対する実感が薄い方だとは思うが、個人的には初産妊婦さんの多くはどこかにこの気持ちを抱えているのではないかと思っている。体内に「他人」がいるなんて、どこか信じられない。「私の体の一部」のような気がする。
だから、私は勘違いしてしまうのだ。私が苦しいと、赤ちゃんも苦しくて、私がそうでもなければ赤ちゃんも元気だと。
けれど、実際はそんなことはない。順調だと思っていても、お腹の中で赤ちゃんが苦しんでいることだってある。そういう時、私は赤ちゃんの苦しみを知ることはできない。だから私は胎動がないと心配になる。赤ちゃんの苦しみはわからないから。胎動がなかった時なんて、もっと不安だった。きちんと生きているかわからなくて、検診に行って「順調ですよ」と言われるたびに胸を撫で下ろした。
いまでも、きちんと生まれてくるかという不安はどこかに付き纏っている。
この不安が、君と私が他人であることを最も強く意識させているのだから、不思議なものだ。
君にはもう、私の体内で自由に眠って、起きて、動く自由がある。私に干渉できない自由がある。かつて私の細胞の一つだった君は、今はもう私ではない。私とは異なる他人。最も近い他人。
ふと、大学生の頃に学んだ、そんな人間の定義を思い出した。
全然関係ないけど、退院着の動画を見ていたら「大体の場合はおくるみで退院するけれど、名古屋ではセレモニードレスを着て退院する」と言っていて笑ってしまった。そんなところでまで、名古屋は名古屋らしい。