理想のリーダー像と融通の利かない偏屈爺
「自分強く持っている」というのは、確かに良いことかもしれない。
ぶれることがなく、自分の中の軸を持って迅速に的確に判断を下すというのは、リーダーに必要な資質だ。
残念ながら、私自身はそういう資質を持ち合わせてはいない。どちらかというと、自分に絶対的な自身は必要ないと思ってる。
先に挙げたようなタイプのリーダーは、仕事もできて周りからの信頼も厚い。メンバーを一人で引っ張っていける推進力もある。
でも、ともすると独裁者にもなってしまいがち。影響力が強く、ほかに異論を持つ人がいても、力でねじ伏せられてしまう。
その人が持つ正義や、正しさの押し付けでことが進んでしまい、多様な意見が取り入れられることがなくなる。
そして、このタイプが厄介なのはそれが「正義」だと思っていることだ。物事を0か1、0か100、正しいか、間違っているか、二者択一で判断しがち。
本来、白黒つけられないことの方が世の中には多い。「正しい可能性があるもの」を間違っていると、切り捨ててしまっては進化はないと思う。
そういう人は、余白や「あそび」がないから、システマチックに物事を進めて、早く効率的に仕事をこなすのは得意だが、そもそもじっくり時間をかけて考えるのが苦手だったりする。非効率なものをあえてやってみる、ということができないのだ。
でも、本来は非効率的なこと、手法ややり方がまだ確立していない領域にこそ発見があり、素晴らしい気づきがあるものだ。
いくら仕事ができたとしても、そういう「偏屈で融通の利かない爺」にはなりたくない。(し、なれない。)
自分の目指すべきリーダー像としては、自分でできないことが多くてもいい。その分、チームメンバーが(できれば仕事という枠すら超えて)心から力を貸してくれるような人柄と、メンバーの力を最大限に生かすための環境作りができるリーダーになりたい。