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フォーカスする視点を変えると世界が変わる|“嫌なもの“に対する対処法
こんにちは、ハルログです。
僕は小さい頃、スイミングスクールに通ってました。確か、幼稚園の年長さんから小学校の四年生くらいまで通ってたと思います。
初めの方は「水遊びができるー」くらいの感覚で楽しく通ってたのですが、進級テストによって級が上がっていくたびに練習メニューがキツくなり、最後の方は日曜日の午前中(スイミングスクールがある時間)が嫌で嫌でたまらなくなりました。
「またあんなきつい練習しないといけないのか・・」
「溺れそうになって苦しいんだよな・・」
「肺が潰れそうになる程息が苦しい・・」
スイミングスクールでのレッスンの時間は1週間に1回、数時間程度のものでしたが、日曜日が来るのがたまらなく憂鬱でした。
そういう状況だったので、「辞めたい」と母親には何回も直訴していたものの受け入れられず、最後はスクールに着いた瞬間に母親の運転する車から脱走して、半ば強引に辞めたのを覚えてます。(母はその時私の逃げる時のあまりの形相に、「そんなに辞めたいんだったらしょうがない・・」と観念したそうです笑)
* * *
話は変わりますが、同じ頃、私には楽しみにしていた行事がありました。それが、町内の子供会で行われる缶蹴り大会です。
町内の公会堂で町内の子供たちのためのクリスマスイベントや、誕生日会などが定期的に行われていました。
そのの子供会はとっても仲の良いお兄さんがいて、みんなでワイワイ盛り上がっていたのですが、子供会の最後によく行われていたのが、缶蹴り大会です。
ルールは普通の缶蹴りと同じく、鬼が缶を踏んで名前を呼んだら捕まる。全員捕まったら鬼の勝ちで、一番初めに捕まった人が鬼になる。鬼が気づかない間に缶を蹴ると捕まった人も逃げることができる、というようなルールです。
で、僕はこの缶蹴り大会に並々ならぬ闘志を燃やしていました。特に、最後の一人になって、缶を蹴ることができた時はヒーローなわけです。いかに鬼が分からないところから、予想外の虚をつき出てきて缶を蹴るか、ということだけにフォーカスしていました。
僕がよく隠れ場所使っていたのは、ここからは降りて来ないだろうという急斜面、竹が生い茂っていて歩いて前に進むことも困難な竹林の中、真っ暗で誰も行きたがらないであろう洞窟、などなど。
鬼が「まさかここからは来ないだろう」と考える場所を逆に選んでそこから缶を蹴りにいくことで、かなりの確度で缶を蹴ることに成功していました。
ただ、それほど険しかったり、誰もが行きたがらないところに身を潜め、そこから出ていくのは正直怪我をするリスクもありますし、ぶっちゃけめちゃくちゃ大変なわけです。
急斜面を下っていって怪我をしたこともありましたし、竹藪を突っ切っていこうと思ったら折れた竹の先が足にぶっ刺さったこともありました。前日が雨の日であれば、地面がぬかるんでいて滑って服が泥だらけになったりも。
それほど大変な思いをしたとても、「缶を蹴る」ということにフォーカスした時には、その大変さも特に大変とは感じないんですよ。むしろ、それで缶を蹴れた時には、そこまでの大変だったことが全てスパイスになるような感覚。
「こんなに大変な思いをして、缶を蹴ってやったぞーー!」
みたいな。無駄な達成感に変わります笑
初めに嫌で嫌でたまらなかったスイミングスクールの話をしましたが、大変さでいったらこの缶蹴りもスイミングスクールも実はそんなに変わらないかもしれません。(いや、大変さだけでいったらむしろ缶蹴りの方が大変かもしれません。だって究極命の保証もないんですから。いや、大袈裟かもしれませんが、当時の僕は本当に命懸けのつもりで缶蹴りやってました笑)
ただ、フォーカスするところがそれぞれで違ったわけです。
・スイミングスクール →(大変なこと)→「 辛いこと」にフォーカス
・缶蹴り → (大変なこと) || → 「缶を蹴る達成感」にフォーカス
(大変なこと)があるのはどちらも同じですが、(大変なこと)にフォーカスしてしまうと、“辛い、苦しい“というイメージに変換され、スイミングスクールが「辛いこと」として脳に定着してしまいます。以後、パブロフの犬のように、スイミングスクール=辛いこと=嫌だ!辞めたい!とプログラムされてしまうわけですね。
反対に、缶蹴りも途中(大変なこと)はあるわけですが、ここを通り越して「缶を蹴る達成感」にフォーカスされることで、缶蹴りが「楽しいこと、またやりたいこと」としてプログラムされます。
辛いこと、苦しいことにフォーカスすることで、それは嫌なものでしかなくなるけど、フォーカスを「やりがい」や「達成感」などにフォーカスすることで、逆に(大変なこと)はその「やりがい」や「達成感」を増幅させてくれるスパイスとなるわけですね。
・仕事が嫌
・会社が嫌
・あの人が嫌
これらは、それぞれの「嫌な部分」にフォーカスが当たっているだけであって、それ以外の面にフォーカスを当てれば、理論上ガラリとイメージは書き変わるはずです。
冒頭で紹介した僕のスイミングスクールの例も、何か「苦しい面、辛い面」以外にフォーカスする面が見つけられれば、続けれたかもしれません。(めっちゃ好みの女コーチが担当になるとか笑)
そして、今まで散々嫌だった(大変なこと)も、逆に無いと「何か物足りない」と感じるような“味”になるかもしれませんね。
ということで、今日はこの辺で。