島耕作と対極の位置にいる男
こんにちは、ハルログです。
会社での「出世」について、特に今の若い人たちはどのように捉えてるのだろう、と最近思う。
ここでいう若い人たちというのは、現在10代~30代前半までのいわゆるZ世代以降の人たちだ。
そういう私自身もギリギリこの分類に入ると思うが、「出世欲」みたいなものは微塵ももったことがない。
もちろん、自分自身が個人でやっていた時期が長いということもあるだろが、逆に言えばそういう会社内での出世争いというものがどうにも性に合わなかったというのも事実だ。
そもそも、会社内で成果をあげるとか、会社をどんどん成長させていこうとか、そういう気概がほとんどないのだ。
もちろん、会社は成長して大きくなっていくことに越したことはないし、自分自身が人間的に成長して社会に貢献できるようになることについては喜ばしいことと思う。
でもそれには前提として、「それ、本当に必要なの?」という問いに明確に答えられるときだけだ。
実際、今ある会社の中でこれからどんどん成長していき、大きくなればなるほどそれが社会のためになっていく、という企業がいくつあるだろう?
現状、この豊かさの飽和状態のような中で、「もっともっと」と成長を目指し続けること自体がサステナビリティとは反する気がするし、言っていることが違うだろうと感じてしまう。
話がそれたが、自分自身の出世についてもそうだ。上に上がっていけばいくほど役職の椅子は少なくなっていくわけで。
自分がその椅子に座ることで、座れない同期や先輩後輩が出てくる。
それに役職が上になればなるほど、責任だけが重くなり報酬は上がるが、それに見合うかどうかという部分はそれこそ個人の価値観次第ではないだろうか。
今の社内の現状を見て、係長から課長や部長、もっと上になりたい、と憧れを抱くZ世代がどれくらいいるだろう。(そもそも、地位や名誉やステータスに執着する人種は一定数いるため、理由なく上を目指せる人もいるのだろう。)
しかし、自分自身はどうもそうは思えない。
社会貢献や自分自身の成長と会社の出世が全くリンクしてこないのだ。
では、そうでない自分みたいな人間が、今の企業の中で生き生きと目的をもって仕事をするにはどうすればいいのか?
それは、会社とは別の軸をもう一つ持つことだと思う。
こういったからと言って、別に副業を全面的に進めているわけではない。別に収入にならなくとも、会社以外の活動の場を持つことだ。
人によってはそれがボランティアだったり、社会人のスポーツサークルだったり、いろいろあっていいと思う。
とにかく、別軸で自分自身を表現する場を作る。特にそれは自分がやりたいこと、楽しめることであることがいい。
そうやって複数の軸で人生をとらえることで余裕ができるし、それぞれがそれぞれの活動に相乗効果をもたらす。
本業が一番とか、会社のためにほかのことをセーブするとか、そういう考えは一切捨てたほうがいい。
お金が発生しているか、していないかで重要度を決めてしまうのが現代資本主義の良くないところだ。
全ての活動がすべて平等ですべて大事。すべてを大事にできるから、それぞれで成果が出せる。
そんなことを、久しぶりに開いたマガポケで島耕作を読んでみて考えた。