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「のに」さん、さようなら
相手のペースには合わせないけど、自分のペースには合わせて!という想い。
これは私が母から受け継いだ、悪しき習慣の一つです。
なぜ母はこのような考えの持ち主になったのか?
きっとそれは子ども3人を育てながら、朝から働きに出ていたこと。
姑との確執があったこと。
1人の子どもはことばや知能に遅れがあり、いじめにも合っていたこと。
こんな風にいろんなものを抱えていたからだと思う。
母は、一生懸命頑張っていた。でも、誰もその頑張りを求めていなかったのかもしれない。 とふと思った。
小学2年生の時に祖父が亡くなり、そこから母は働きに出た。
今、私の子ども達。つまり、母にとっての孫に色々なものを買ってあげたり、いろんなところに連れて行ってくれたりしているのは、母がずっと働き続けてきてくれたおかげだと思ってる。 そして、母が働きに出てくれていたおかげで、私は大学に行くことができ、何不自由なく食べ物も洋服も与えてもらっていたのだと思う。
でも母は、ずっと我慢し頑張り続けていた。
だからきっと、「なんで私だけこんなに頑張らなきゃいけないの?」「なんで私だけ?」「私はこんなに頑張ってるのに…。」 と、自分が社会人になり親元を離れ、母親になった今だからこそ、そう思っていたのだろうと感じる。
だから、母は周りを自分のペースに巻き込むことをしていたのだと思う。
私が実家で暮らしていた頃は、母の機嫌を伺うことが一番だったように思う。 母が出かけると言ったら出かける。全てが母のペースで動くように、言葉や態度で求められていたように思う。
「~してあげているのに!」
「私はこれだけやっているのに!!」
これらの語尾に何がついているか、お分かりになりますか?
そう、「のに」です。
昨日の私もそうだった。
夫が私が作ったご飯を食べたいといった。だから私はご飯を作った。それなのに、大して食べてもらえなかった。
そう、別に私はご飯を作ることを拒否する権利も持っていた。でも私はご飯を作ることを選んだ。それなのに私は、「求められたことをしたのに、なんでそんな態度なんだ!感謝がないんだ!!」と、1人イライラしていた。
そう、本当は何も求められていないし、自分で決めてやったことなのに。
「のに」が付く時は、もしかしたら本当はやりたくないことを頑張ってやっている時なのかもしれない。もしくは、自分でも気づかないうちに頑張り続けてしまっているのかもしれない。
「たら」「れば」だけでなく、「のに」も手放そう。
誰かのために何かをする時は「私がしたいかどうか?」その基準で判断・選択する。
「これだけやってあげたのに」
「あんなに気にかけてあげたのに」
それはただの独りよがりかもしれない。ただ、私が勝手に思いを募らせているだけなのかもしれない。 相手は、そんなにきちんとちゃんと求めていないし、出したところで受け止めていないかもしれない。
だって私とあなたは違う人間だから。
私は私。
好きなようにしたらいい。
夫からいつも言われている言葉「好きにしたらいいんだよ!」を改めてきちんと心に刻み、「のに」さんとさよならします。
私は私を生きる。
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