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【インタビュー】井川空とコンサドーレの続いていくStory〜プロ契約に至るまで〜

「高校時代からお世話になり、1番思い入れがある北海道コンサドーレ札幌という魅力あるクラブでプロサッカー選手としてのキャリアを歩めること、心から嬉しく思います。」

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2021年11月18日

筑波大学蹴球部所属の井川空が2022年シーズンより北海道コンサドーレ札幌へ新加入することが発表された。

高校生の頃、トップチームに昇格し、プロの舞台で活躍できるかは自身でも半信半疑だった。

だが、今は違う。

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「自信はある。むしろやらなくちゃならない。皆さんの期待の大きさは感じていますが、それ以上のプレーをします。」

力強く言い切るコトバの裏にあるのは確かな経験と能力への自信だ。

ここまで歩んだ道のりは決して順風満帆ではない。

特に2021年度は井川空にとって悪夢のような時間となってしまった。

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「正直苦しかったです…」

長らくピッチから離れ、絶望と焦燥にさいなまれた。

それでも多くの支えと共に信じ続けた目標はコンサドーレでプロサッカー選手になること。

同時にクラブも井川空という〝逸材鮭〟を徹底マーク。何度何度も足を運び〝空〟を追い続けた。

出会いから約8年。導かれた運命かの如く、両者は再度、同志として来年から共に戦う。

互いに焦がれ合い続けた井川空とコンサドーレの紡ぐStoryはこれからが本番だ。

今回は井川空がプロ契約に至るまでの舞台裏を本人の言葉と共に迫りたい。

改めて、おかえり空!!

そして、ここから頼むぞ!!!

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井川空のこれまで

北海道・十勝の音更町で生まれた井川空。

父親の影響もあって、3歳でサッカーを始めるとその後、地元の強豪・プログレッソ十勝へ入団する。

幼少期からの目標は変わらず、プロサッカー選手になること。FWでスタートしたサッカーキャリアも中学3年からはボランチにコンバート。現在のプレー基盤が構築された。

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井川とコンサドーレの出会いもそんな当時の事だった。

「僕のプログレッソの同期に代表も入ったりしていた上手い選手(山川紗京)がいたんです。

その選手を追っかけて、コンサが試合に見に来てくれて。その試合でたまたま僕も目に留まったようでユースの練習に呼んでくれたんです。コンサが取ってくれるとは正直、全く思ってなかったですよね。

その後、正式に誘われた時は入団に迷いは全くなかったです。

金沢の星稜高校や大阪桐蔭高校にも練習参加させて貰ってましたが、コンサに誘われて即決でした。」

中学卒業後の進路先を北海道コンサドーレ札幌U-18に決めた井川。

だが、道内から選りすぐりのメンバーが集まるそのレベルの高さに当初は太刀打ちできなかった。

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「最初入った時は全然付いていけず…それこそ同期が13人いると思うんですけど高1でスタメンを組んだ時にその中で漏れる2人というスタートでした。最初は中々厳しかったですね。」

転機の一つが体の成長だった。

中学3年から高校1年に掛けて身長が約20センチUP。

元来から持ちあわせていたパスセンスに加えて、身体的強さが加わったことでプレーの幅が広がった。

すると、高校1年の終盤にはAチーム帯同の機会も増加。
高校2年にはレギュラーに定着し、世代別の代表にも選ばれる存在にまで駆け上がった。

そして、プロ契約に向け、勝負の高校3年がスタート。

2017年当時のコンサドーレは四方田監督の下、J1生き残りにすべてを懸けていたチーム状況。

井川も高卒でのプロ契約を熱望する一方、一筋の不安を抱えていた。

「トップ昇格を見極める試合や練習参加の感触は悪くなかったです。本当に上がれるか上がれないかは五分五分かなと。

そんな中、2つの思いがぶつかってました。

1つがプロ選手に早くなりたい。

同時に当時の現状を見た時に、ここでやっていけるのか?本当にトップチームで試合に出て活躍できるのか?っていうのはやっぱり心配でした。」

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藤村怜、佐藤大樹、櫻庭立樹らと共に
トップ昇格選考には残ったが、
最終的には昇格見送りという判断が下された。

「電話でユースの監督からダメだったと伝えられたんですけどやっぱり悔しかったですね。選考でのプレーが悪くなかったからこそ、あのプレーでもダメなのかと。」

同時に芽生えてきた思いがあった。

「大学で成長して4年後絶対に成長して戻って来ようと誓いました。
僕はやっぱりコンサドーレに戻りたかった。」

そんな井川が進学先に選んだのが名門・筑波大学。
一つのキッカケになったのはあの選手の存在だ。

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「2個上の高嶺朋樹さんがそれまで実例の無かったコンサドーレユースから筑波大学っていう道を作ってくれたんです。ただ、正直レベルも高いし、枠も少なかったので僕には厳しいかなと思っていて、当初は進路候補に考えてませんでした。

中学3年の進路の時と同じで自分を低く見てしまう。そういう所が自分にはあるみたいです。

そんな時に高嶺さんから「大学どうしようとしているの?監督が空の進路気にしてるよ」みたいな感じで連絡を貰いました。

その後、運やタイミングも上手く相まって練習参加に呼んでもらって、筑波に進学できることになったんです。」

筑波大では三笘薫や西澤健太らの上級生に交じって大学1年の開幕戦からスタメン出場。絶好のスタートを飾った。

その後も井川は年間通してのコンディショニングという課題とも向き合いながら、大学サッカー界でも着実に評価を高めていく。

そして、大学3年に上がる直前の2020年3月。

井川は札幌の練習生としてトレーニングマッチに帯同。

そこで見せたプレーはクラブから高く評価されると共に井川自身もコンサドーレでプレーするという決意を一層高める機会となった。

「アントラーズと練習試合をした時は、自分の良さを100%出せたといっても過言でない。最初はボランチで入って。当時のCBのミンテ選手がケガをして僕がセンターバックの真ん中もやらなきゃいけなくなって途中でCBに入ったんですが、そこでもいいパフォーマンスができた。僕のユーティリティーさとかそういうのを含めてフルで力を出せたと思います。
試合後にはミシャさんに「お前は札幌に来い」と言って貰えて自信になりましたね。」

愛するクラブとその指揮官から高評価を獲得した井川。

その後の大学3年のシーズンはCBやボランチとして年間通し、試合に絡み足場を固めていった。

来たる2021年コンサドーレの沖縄キャンプに帯同することも決まっており、4年もの間、持ち越された恋成就に向け、曇り要素など一点もなかった。

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人生で最も苦しんだ1年 「これ俺の足じゃねー」

だが、大学ラストイヤー。

サッカー人生。一つの集大成と意気込んだ2021年
「人生で一番苦しい時間だった」と吐露する激動の1年になってしまう。

1月20日
チーム始動日だった。

「チームの立ち上げ練習日だったので、みんなで楽しめるような顔合わせのファンメニューでした。リフティングしている時にちょっとボールが前にいって片足荷重になってしまったんです。

そしたら、足首が外れた感じがして…」

診断名は右足首の亜脱臼。

手術はできず、自然治癒と補強トレーニングを行う他なかった。

だが、リフティング中での負傷。

予定していたコンサドーレの沖縄キャンプへの参加こそ断念したが、当初はそこまで長引くケガと想定しておらず、関東A選抜に選考されていた3月のデンソーカップにも出場するつもりでいた。

しかし、時間が経てども、経てども一向に快方に向かっている感触がない。

これ俺の足じゃねーなみたいな感覚でした

僕の場合腱が一本切れてしまって。ずっと足首が緩い状態ですぐにズレる感じがあったんです。勿論ステップとかも踏めないですし、痛みもかなりありました。

それに加えて、離脱中に、他の筋肉も弱ってしまって、指も動かなくなりました。少し待ってもらいましたが、、これは無理だと。プレーするイメージが全くできなかったので、デンソーカップの出場も断念しました。」

ここから、筑波大学の小井土監督も「こんなに長引くとは思いもよらなかった」と振り返るほどの長期的な戦いになってしまう。

今回のインタビュー中、井川空の言葉と表情の節々から筑波大学で過ごした充実の日々の様子が伝わってきた。

ケガこそあったが、監督やチームメート。その関係者と過ごした日々は本当に実りのある時間となっているのだろうと。

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だからこそ、主力選手として計算された大学4年のラストイヤー。

同期の仲間や後輩が戦っている姿を見て焦らないわけがない。

痛みをごまかし、多少の無理を承知で合流すると、今度は別箇所の負傷を繰り返す悪循環も続いた。

「7月頃に一度、練習に部分合流して、反応の鈍さは感じつつもその日の合流はうまくいったんです。ぼく自身焦りもあったので、だましだましやっていました。でも離脱中の影響もあって、他の筋肉も落ちていたので、切り返し動作で今度は足首から上に掛ける筋肉の肉離れを繰り返してしまったり…余計に長引いてしまいました。
これが1年生とか2年生の頃だったら、判断も変わって来たと思うんですけどね。」

これまで中学時代の成長痛を除き、ケガとは縁のなかった井川。

完治を求め全国各所の病院をまわった。その数は数えきれない。コンサドーレも治療の為にと札幌に招いてくれたこともある。

だが、右足首はすっきりしない状態が続く。

光の見えない道で出口を探し、もがき続けた。


そんなある時、一人の先生との出会いが劇的に状況を打破する契機となる。

「本当に色々な先生に見て貰っていた中で凄い自分に合っている先生と出会えたんです。この先生の所で治療すれば治るかも…そう思えた時はやっと光が見えた感じでした。そして、本当に劇的に変えてくれました」

1月20日から止まっていた、大学最終年の時計の針は再び動き出した。

そこから慎重に慎重に調整を進め、10月中旬にチーム練習にフル合流。
そして、10月17日の法政戦で2021シーズン初めてのメンバー入りを果たす。

舞台は西が丘での有観客試合。

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井川はベンチスタートとなったが、試合前のウォーミングアップでボールを蹴っている姿を見ているだけでもなんだか嬉しかった。やっとここまで漕ぎ着けた。何とかここから無事に‥

そんな事を思っていると、ゲームは筑波が2点リードの状況で終盤に。
復帰に最適の状況は整っている。ベンチの様子が気になる。

まだか。まだか。

アディショナルタイムに入ってまもなくべンチに井川が呼ばれた。

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待ちに待った瞬間はもうすぐ。

だが、監督と言葉を交わした後、タッチライン際で交代を待つものの、中々ボールがピッチを割らない。味方からは外に出してやれー!の声が飛び交う。

そう。みんなが井川空の復帰を心待ちにしていた。

背番号5がピッチに戻った瞬間、スタンドからは大拍手。

実に10か月ぶりとなる公式戦だった。

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「西が丘で沢山の人に迎え入れて貰ったのて本当に嬉しかったです。
10か月もプレーをしていない僕を期待してくれている人が沢山いるのは幸せなことだなと。ただ同時にあの当時は〝こなせた〟という感覚の方が大きくて…サッカーをやれることに関しては本当に幸せだなと思いましたけど。動きもまだまだ自分じゃない感じでしたし、もどかしさやストレスも感じながらの復帰でした。復帰した後もしばらくは、悩ませられる感じはありましたね」

遂に成就した井川空と北海道コンサドーレ札幌のプロ契約

その後、井川は大学のリーグ戦2試合に出場し、11月1日からは1週間のコンサドーレへの練習参加が実現する。

それは獲得の有無を判断する最終テストを意味した。

ただ、正直にいって、当時のプレーを見ていても、本調子からまだまだほど遠い状態。

該当期間の最後にはエリートリーグ・対清水も控えていたが、本人も練習参加には嬉しさと不安が同居していたと語る。

「不安は大きかったですね。今の状態で僕を受け入れてくれるのかな?って。チームとしても、今シーズン僕がまともに稼働できていない状況での獲得はリスクだと思います。ただ3年の頃に僕の力を知って貰えていたので。その意味では本当に半々の可能性かなという気持ちでした。
何とか!という思いと同時に、獲得を見送られても仕方ないかなという。」

だが、クラブ側も現時点でのコンディションが万全でないのは織り込み済。

井川空のポテンシャルと人柄。両面に対する評価は不変だったのだ。

1週間の練習参加を終え、筑波に戻ると強化部の方から連絡が届いた。

「正式オファーを出したいと思っています」

「連絡を貰って、本当に嬉しかったというのが正直な気持ちです。

それと同時に、ようやくスタートラインに立てたなと。色々な人から言われましたけど、これからが本当の勝負だと思うし、ここから活躍する為に大学4年という時間があったと思うので。

高嶺さんもそうですが、やれる選手は大卒後すぐにプロの舞台で活躍できるし、コンサドーレは特に大卒選手がその役割を担っている。やらなくちゃダメだなと。皆さんの期待以上のプレーを自分もピッチで示したいなと思ってます。その為にもまずはコンディションをしっかりと戻します。

最初にコンサドーレに決まった事を報告をしたのは両親です。ずっと応援してくれていたので伝えるのが凄い楽しみだったんですよ。めちゃくちゃ喜んでくれて嬉しかったですし、しっかりと自分の感謝の気持ちを伝えました。」

高校・大学の在学期間も変わらず赤黒のユニフォームを追い求め続けた井川空にもう一度聞いてみた。

Q 進路でコンサドーレ以外の選択がよぎることはなかったのか?

考えてませんでした。

アカデミー時代も勿論ですし、鹿島に帯同した時にミシャさんやスタッフの方々の人柄の良さに触れ、愛情も沢山貰いました。それに今のコンサドーレのサッカーは自分の特徴とも合っているんです。
自分の最大の特徴はボールを刈り取る力。対人面には自信がありますし、ショートパスとフィード面も筑波大で成長しました。サイズもあってボランチもセンターバックもできて、使い勝手はいいと思うので。

これは鹿島帯同時にも感じたんですが、ミシャさんの下で練習していけば、どんどん成長していけると。間違いなく、ここなら成長していけると感じて、やっぱり俺はコンサドーレに行きたい!とその時に確信しました。

高校3年生の頃に見ていたコンサドーレと今のコンサドーレは別物です。J1で張り合っていけるチームになっているようにクラブとしても成長していますし、その成長に僕も置いてかれないように一緒に成長していきます。

コンサ以外を考えた事は一度も無かったですね。むしろ高校の時よりも思いは強まっていました。

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井川が見据える未来像

現在のコンディションはコンサドーレに練習参加した約1か月前とは雲泥の差だ。大学のリーグ戦最終節のプレーを見ても、着実にプレーのクオリティと強度が上がって来ている。

「1か月前より遥かにコンディションはいいです。100とはまだ言えないにしても、85-90くらいまでは来ているかなと思いますね。札幌の練習参加した頃は本当にストレスと戦っていたというか。自分のプレー精度にもかなり影響していたので…早くもっとよくなんねーかなと常に思ってプレーしてましたから。」

大学リーグ戦の閉会式では、同期になる田中宏武とも言葉を交わし、今後の互いの健闘を称えあったという。今から2人の活躍が楽しみでならない。

井川は自他共に認める努力家だ。

同時にピッチを離れると先輩・後輩からも愛を持っていじられるタイプ。

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一見物静かに見えるが、サポーターからの応援も心待ちにしている。

「自分はやることはやります。サッカーに関してはかなり徹底してやります。
ピッチ外は結構明るい性格ですし、後輩とも積極的に絡む方だと思います。結構舐められてたりもするタイプですがそれも嫌いじゃないです(笑)

僕のことを応援してくれたら本当に嬉しいですし、その人の為に頑張ろうと思えるタイプです。サポーターの皆さんには、ぜひって呼んで欲しいです。」

多くの経験を経て、ひと回りもふた回りも大きくなって、再び赤黒のユニフォームに袖を通す井川。そんな空にはコンサドーレで成し遂げたい夢がある。

「まずはコンスタントにJ1で出場する事。後はやっぱりチームと一緒に成長していきたい。自分の力でチームを大きくしていけるような選手になってタイトルを獲る。そのピッチに自分が立っている事。
一人の選手として大きくなって共に支えてくれている人たちに恩返しをしたい。

そして、ファン・サポーターの人たちに沢山応援して貰えるような、愛されるような選手になっていきたいと思っています。」

最後にサポーターの皆さんへ意気込みを語ってくれた。

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コンサドーレ サポーターの皆さん

2022年から宜しくお願いします!

ここ2年は大卒選手がこれだけ活躍している中、僕にも多くの期待を寄せて貰っているのは伝わっています。

ただ、それは本当に嬉しい事なんです。
その期待を遥かに超えていけるような選手になっていきます。

全力でチームの為に戦うので、応援の程、宜しくお願い致します。

高校卒業時の判断の是非を問うつもりはない。

それより、大事なのは井川空がこの4年間で積み重ねてきた時間は彼の今の貴重な財産となっていることだ。

「北海道の枠組みを超えて、新たな世界を見れたし、沢山の人と繋がれました。大学4年間の時間は凄いプラスだった。筑波大に来れて本当に良かったと心から思っている。」

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この4年間で井川空は心技体ともに大きく成長した。

数多の経験を積んで、帰って来た地元・北海道。胸が高鳴るサポーターも少なくないだろう。

確かに今シーズンの井川はもがき苦しんだ。だが、きっとこの経験も井川空ならこの先、プラス要素に変換してくれる。そんな気がしてならない。

今月8日から大学サッカー最後の公式戦。
全日本大学サッカー選手権(インカレ)が始まる。

筑波大学も関東地区第6代表として2回戦から出場する。

「自分が不在の中、仲間が出場権を獲得してくれた大会です。今度は自分が今までチームになかったものをもたらして、何とか優勝に導きたい。プロ内定者に恥じないプレーを見せます。」

大学サッカー最後の晴れ舞台。
井川はその勇姿と成長姿をピッチ上で示してくれるはずだ。

是非注目して貰いたい。

そして、その先に待つプロキャリア。

赤黒のユニフォームを再び、纏う井川空はどんな物語を作っていくのだろうか。

井川空と北海道コンサドーレ札幌の紡ぐStoryはこれからが本番だ。

身体には気をつけて。

そして、存分に暴れて欲しい。

頑張れ!井川空!!

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