深井一希(コンサドーレ)と振り返る激動のプロ生活10年~涙は枯れたのか?答えは表彰台で~
10年前。コンサドーレは大きな苦境に立たされていた。
奇跡ともいえる快進撃の末、J1昇格を掴んだ先に待っていた史上最速でのJ2降格。
翌2013年は26年のクラブ史においても最大の緊縮財政(J2 12位相当の人件費)での再出発。計4度、J1昇格→J2降格を繰り返す様から、エレベータークラブとも揶揄された。
だが、一縷の望みもあった。
それがその年、新社長に就任した現チェアマン・野々村芳和氏。そして、全国優勝も果たした、ユース黄金世代の存在だった。
〝ノノさんが変えたクラブで、ユース戦士が全盛を迎えた時、コンサはJ1に定着する。〟
当時はそれさえも高望みに思えた。
ただ、あの時、17歳だった赤黒の希望は、プロの舞台で戦う事、今年で10年。中盤の核として身体を張り続け、いまや立派なJ1プレイヤーとしてその立ち位置を確立。
チームも6年連続でJ1の舞台を戦っており、〝J1定着〟というかつての夢は今では〝当たり前の景色〟へと昇華している。
しかし、人とは欲深い。日常の基準が上がると、まだ見ぬ新たな景色を追い求める。
次なる夢は〝タイトル奪取〟〝ACL出場〟
クラブとパートナーにとっての新たな夢の一つになっている。まだ、簡単に掴めるクラブの立ち位置では決してない。だが、そこを本気で目指さないことには見えてこない事もあるはずだ。
では、Jリーグで戦う事、10シーズン。27歳を迎えた当人は今、何を思うのか?
今回、北海道コンサドーレ札幌 深井一希選手にインタビューした。
人は彼を不屈の男と呼ぶ。
幾度、大怪我をしても、不死鳥の如く、立ち上がる姿を見せ続けたフットボールプレイヤーへ最大限の敬意と愛情を込めて付けた愛称だ。ただ、
「俺なんか、全然強い人間じゃないですよ」
本人が語る通り、彼も人の子だ。
この10年で数多の苦悩や葛藤を積み重ねてきた。
軽々しく、不屈の男とは言いたくない。
それでもやはり、深井一希にしか語れない言葉がある。
表立った言葉は決して多いタイプではないし、チームは現在、連敗が続いており、言葉を紡ぐのも気を使うことだろう。
だが、だからこそ、彼の真っ直ぐで澱みがない言葉とその本心を聞きたかった。
そして、きっと最後にはこう行き付くのだ。
今こそ、深井一希の力が必要だ。
まだまだ頼むよ。
プロキャリア10年目を迎えて
深井がここまで積み重ねたリーグ戦での出場数は183。コンサドーレの歴史において11位に相当する数字だ。
10シーズンに渡り、北海道コンサドーレ札幌一筋で記録したその数を本人はどう捉えているのか?
「いつの間にかここまで来たんだなとビックリですね。でも正直な気持ちで言うと、もし、1回も怪我をしてなかったら、どれ程の数字を残せたんだろうとの思いもあります。もしかしたら、すぐにコンサドーレからいなくなっていたかもしれないですし、そこは誰にも分からない所ですけど〝もしケガが無かったら〟というのは考えてしまいますね。
ただ、僕はコンサドーレというチームが凄く大きくなっている現状に対して、凄く満足していますし、ここまで色々な経験をできたので、凄くポジティブに捉えている部分も多いんです。
でも頭のどこかで、もし、あれが無かったらというのも考えちゃいますよね。」
〝あれがなかったら〟
深井一希のサッカー人生を振り返る上で、ケガとの格闘は切り離せない。
2013年11月 左ひざ前十字靭帯断裂
2014年 8月 右ひざ前十時靭帯断裂 内側半月板損傷
2015年 7月 右ひざ前十字靭帯部分断裂
2016年 8月 右ひざ内側半月板損傷
2017年 4月 左ひざ前十字靭帯断裂 内側半月板損傷 外側半月板損傷
前十字靭帯断裂とは復帰まで半年-1年を擁するアスリートにとって、最も避けたいケガの一つだ。深井はその前十字靭帯の完全断裂を3度受傷している。
若い頃は自分のことばかり考えていたと語る深井だが、大怪我は彼のサッカー選手としての根本をも変えた。
「大怪我を経験して支えてくれる人の大きさだったり、チームに関わる人の多さだったり、色々な方々の思いが目に付くようになり。その人たちの為にという思いが少しずつ大きくなっていきました。
今は正直にいうとチームの人たちへの恩返し。チームに関わる人たちへの恩返し。そのためにプレーしている所もあります。
形は沢山ありますが、まずはピッチに少しでも長く立てるように。それを見て人々が何かを感じて貰えればいいなと思いますし、前十字靭帯断裂という本当にダメージの大きい大怪我をした選手たちの希望になりたいとも、サッカーをしながら思っていますね。」
プロ生活での喜怒哀楽
そんな深井がキャリアにおいても一番きつかったと語るのが2014年。
初めての前十字靭帯断裂から半年以上のリハビリを経て、やっとの思いで復帰に漕ぎつけた僅か3週間後。今度は逆足に〝2度目の傷〟を負った。
「一番きつかったのは2014年の天皇杯清水戦の時ですね。前年にはじめて、大怪我をして、1回目はケガをしたんなら、治せばいいやくらいの感覚で8か月を乗り越えたんです。
ただ、2回目の断裂は復帰後すぐにという所。それに加えて、当時、自分たちの世代のオリンピックもありまして。自分は復帰してすぐに試合に出させて貰い、オリンピックの監督だった手倉森さんから「次、代表に呼ぶから」と声を掛けて貰っていた中での負傷だったんです。
やった瞬間分かりましたし、「またか…オリンピックも終わった‥」と思って、こたえましたね。あれは。
2011年のU-17 W杯。快進撃を見せた日本代表のボランチとして、欧州関係者からも高く評価された深井。あの時以上の衝撃を起こすはずだった2度目のひのき舞台。2016年 リオ五輪出場は幻に終わった。
その後も復帰と負傷を繰り返し、膝の調子を伺う日々が続いたが、コンサドーレがJ1で戦うことになった2017年には膝への不安も少なくなっていたという。
だが、深井一希への応援歌がお披露目された2017年4月2日。対ヴァンフォーレ甲府でまたも悲劇が深井を襲う。
「試合前からサポーターの方々のチャントはしっかり聞こえてましたし嬉しかったです。改めて、コンサドーレがJ1定着するために、大事な最初なシーズンだったので、何とかして自分が活躍しないといけないと思っていました。
正直、2回前十字をやっていたので、もうやるはずないとも思っていたんです。当時は膝に対して心配事もなくて。だから3回目は自分でもビックリしたというか、ウソだろって。。。
2回目やった時は「あーやったな」とすぐに分かりましたけど、3回目は「頼むから切れてないでくれ…という。〝願い〟みたいな思いが強かったですね。」
深井に関わる全ての人々が悪夢回避を念じたが、その願いが届くことはなかった。
残りの2017シーズン、地道で過酷なリハビリ生活に明け暮れた深井。
だが、翌年札幌の監督に就任したミハイロペトロヴィッチの下で戦線復帰すると、以後稼働時間が大幅にアップ。2018年の初陣でスタメン出場を飾ったのを皮切りに今日に至るまで、膝の状態と対話を繰り返しながら、J1でコンスタントにプレーを続けている。
だが、3度の前十字靭帯断裂のダメージは今でも色濃く残っており、本人はそのプレーに決して満足していない。
「正直な話、今朋樹(高嶺朋樹)とか、駿汰(田中駿汰)とか。拓郎(金子拓郎)、剛(小柏剛)など大学から凄くいい選手が入って来ていて、自分がケガをしてない状態でのプレーを凄く見せたかったなとは思いますね。
だからって自分の今のプレーを否定している訳じゃないんです。今自分ができる最大限の力でやってますけど。自分の何もなかった時のプレーは見せたかったという思いはやっぱりありますね。」
忸怩たる思いが言葉の節々に見え隠れし、胸に刺さる。
逆にここまでのキャリアで最も喜びを感じた瞬間は?そう問うてみた。
「勿論試合に勝ったり、点を獲ったり。例えばルヴァンの決勝に立てたりしたのもありますけど、一番嬉しいのは膝の痛みがない時が一番嬉しいですね。
大怪我をしてから、痛みが0でサッカーをやれている時って本当に少ないので。痛みを考えずサッカーを出来ている時って、本当に楽しいですし、一番いいプレーができるんですよね。」
昔のように、痛みを全く気にせずピッチを駆け回れる瞬間など決してない。ただ、その暴走を少しでも抑制する為、あらゆるアプローチから、膝と向き合い続けてきている。
また、同時に厄介なのは術前のイメージとのギャップ。前十字靭帯受傷者はその埋め合わせに苦しむ選手も多いが、彼はその変化を早い段階で受け入れたという。
「僕でいうと2回目の手術を終えてから。左足のつま先の感覚がすごく薄い感じがあるんです。ボールがうまく当たってない感覚というか。
そういうちょっとした所から、色々とプレッシャーを受ける感覚が今も少なからずあります。ただ、1回目の大怪我の後、なんかおかしいなというのを感じて、僕はその状態からすぐに2回目をしてしまったので。
頭の中でこういう風になるんだと。次の8か月でリセットできたというか、受け入れることができました。以前との変化を感じつつもプレーに大きな影響が出ないでやれたのかなとは思いますね。
これが今の自分だと。こういうもんだと、受け入れて前に進んでいる感じですね。」
引退も頭によぎった2021年
理想の自分からの変化を受け入れ、レギュラーを勝ち取り続けて来た近年の深井。
だが、2021年。これまで多くの困難を乗り越えてきた深井をもってしても、本当に苦しい1年となってしまった。
夏には他クラブからビッグオファーも届き、心は揺れに揺れた。しかし、最終的には長年育ったクラブへ恩返しをするべく札幌残留を決意。だが、その直後の試合で、またも膝の痛みが暴走。
そこから、時間が経てども経てども一向に快方に向かうことはなかった。
幾度の苦難を乗り越えてきた男の心が揺らぐほど、出口の見えない時間。
そして、遂には指揮を執るミハイロ・ペトロヴィッチ監督の下に近づき、ある相談を持ち掛けたという。
「もう自分はプロサッカー選手として厳しいんじゃないか?引退を考えた方がいいのでは?」という相談をしたんです。
でも監督が「まだまだ若いし、君のクオリティなら絶対に大丈夫だと。
同時に、広島時代の青山選手(青山敏弘)の話をしてくれて。彼も若い時に膝の大怪我をしてずっと悩んでいたけど、ポジティブにポジティブに考えながらやっていた。
そしたら、今もまだあの年齢でも一線でやれているだろ。一希もできる。と話して貰ったんです。すごくあれは励みになりましたね。」
ペトロヴィッチ監督(ミシャ)の励みが功を奏したのか?その後、膝の状態は少し快方へと舵を切り、深井はシーズンのラストを6試合連続出場で飾り、チームも上り調子で2021年の幕を下ろした。
深井の切れかけた糸を繋いでくれたミシャ監督は、彼にとって特別な存在になっているようだ。
「僕は現役を終えたら、指導者になりたいんです。指導者としても1流になりたいと思っているので、そこに早い段階でチャンレンジしたいという思いは心の中に正直あって。長く現役をやりたい思いもありますし、まだまだ勉強が必要ですけど、指導者への思いは強いですね。
やっぱり一番参考にしたいのは今一緒にやっているミシャ。戦術面は勿論ですけど、ミシャを見ていると、人間的にも1流じゃないとそこまでいけないと。一緒にやらせて貰っていて凄く感じています。」
2022年の前半を終えて
苦難の1年を過ごした深井だが、2022シーズンはここまで、リーグ戦、14/16に出場するなど順調に出場機会を伸ばしている。昨年に比べ、膝の調子が良好なのだという。
「膝の調子は昨年より良い感じです。ただ、その理由については、明確には分からないんです。色々なアプローチの仕方があって、取り入れていますけど、実際に何が効果があるかは分からない。
ただ、膝と向き合って色々と考えることが大事なのかなと。色々な経験をして、苦しい思いをしている中で、少しそういった取り組みが実を結んで、今は痛みが落ち着いているのかもしれないですね。」
チームはここまでリーグ戦4勝8分4敗。中位に甘んじているが、深井はその戦いに手ごたえを感じている。
「基本コンセプトのマンツーマンで守るプラス、もし一人が剥がされた時とか、間に合わなかった時、自分のことだけじゃなくて、他の人のカバーなどの意識が強くなっていると感じます。ここ2年やっている中で一人一人が対人面で強くなっているとも思います。
今はケガ人が多かったり、セットプレーでやられてズルズルいく試合があるのは改善しないといけませんが、サッカー自体は間違いなくいいサッカーをしている。
やっていて凄く手ごたえはあるので、そこをしっかりと勝ちに持っていけるようにしないといけないですし、僕がそういう役割を担っていかないといけないと強く思っています。」
現在、大量失点での連敗が続くチーム状態ではあるが、深井は改めて自信を示す。
「上ともそんなに離れていないですし、僕たちを信じて貰えれば。勿論サポーターは勝つ試合を見たいでしょうし、結果を出さないと色々と思うことはあるでしょうけど、自分たちでは手ごたえを感じています。ここから見といてください。」
主力のケガ人続出、不運な判定、安易なミスからの大量失点…チームは今シーズン最大の踏ん張りどころだろう。どのチームも大なり小なりこういった時期を迎える。ただ、上位に絡むチームはその期間の痛みを最小限で持ち堪える。
深井が〝自分がやらないと〟と語る通り、誰からも慕われ、一目置かれる深井一希にしかできない役割が今こそきっとあるはずだ。
何とかここを乗り越えよう。
深井一希の夢
プロ10年目を迎えた深井一希。彼が今後、プロサッカー選手として渇望することとは?
「やっぱり、コンサドーレでタイトルを獲ることですね。後はやっぱりサポーターとミシャにいい思いをさせてあげたい。ミシャはこんだけ自分を使ってくれて、助けてくれて‥本当に感謝しても仕切れないですし、サポーターとミシャにタイトルを獲ってあげたいなと思います。」
サポーターとミシャの為。
〝誰かの為〟という言葉が真っ先に出るのが何とも深井一希らしい。
彼がチームメートや対戦相手が倒れた時に、一目散に駆け寄る姿を目にしたサポーターは多いことだろう。
「誰かが苦しんでいるなら、自然と寄り添いたいというか‥やっぱり人生助け合いなので!」
照れ臭そうに、はにかむ深井だが、深井にはピッチに入る前、自身の身を案じ、芝をそっと触るルーティンがある。
「やれることを全てやってピッチに立っているので。これでケガをしたら仕方ないという意味も込めて。最後、頼むぞという思いを込めて、いつもお願いしています。最後は神頼み!(笑)」
本人は笑っていたが、その願いは真剣だ。
今年はここ2シーズンに比べ、出場機会が増えているが、今も痛みが完全に癒えた訳では決してない。
ただ、プロサッカー選手として、クラブの勝利のために、己の身を削って戦う漢だ。昨日も今日も明日も最大限の準備をしていることだろう。
その先は神のみぞ知る世界。
だから、願いたい。彼の積み重ねた今が、未来の結果に結びつくことを。
そして、そんな深井が口にするタイトル奪取。
決して、大言壮語する男ではない。
課題と向き合いながら、信じる道に向かって、邁進している。
それであれば全力で後押しするのみ。
その瞬間が来ると信じて。
「タイトル奪取の瞬間を想像すると‥そうですね。
もう小さい頃からこのチームを見ているので。
相当嬉しいと思いますし。
その時は遂に涙が出るかもしれないです。
僕、中学生くらいから一度も泣いてないんですよ。
涙なくなったんですよ(笑)
昔は結構泣き虫だったんですけど、泣くのが恥ずかしいと思ってから、強くなって、涙が枯れました。
だから、タイトルを獲って泣ければ最高かなと思いますね。」
深井一希の涙はきっと枯れてない。
タイトルを獲った表彰台でその答え合わせをしようではないか。
その為にもまずはこの状況を乗り越えねばならない。
全ては次の勝利から始まる。
そして、歴史を創っていこう。
まだまだ頼むぞ 深井一希