意識改革
急になんですか?って感じですが、とある講義を受けに来ていて、取り急ぎ感想とか気になったキーワードとかを書いておこうと思う。
最近は発達障害という呼び方を「発達症」と言ったりするらしい。なんだか障害という言い方は少し違和感があったから少し良いなと思った。さらに、発達の課題に問題があるという言い方は発達障害というよりもなんだかいいなと思った。
なんだか、何事もさ結構「脳」の問題だったりするのかもね、とここ一週間で心の中で思ったりしてる。
深刻に捉えがちだったり、感情的に色々と問題視してしまうけど、脳の構造の問題だと言われたら諦めがつくというか。自分に対しても。ああーこの部分がこうだからこう考えてしまうんだ。じゃあ仕方ないね。みたいなね。
人間、結構脳っていい加減だったり、ある意味騙しやすかったりちょっとした工夫で、変わることって色々あるのかもしれない。
たとえば着席をするのが難しい子供たちに、
赤いマットに座らないと、お菓子をあげません。DVDを観れません。そういう仕組みを作ると、あっという間に着席をするようになったケースがあったり。
あとは,人の背景を考えることだよね。
親御さんを責めたり、しつけがどうのこうのって言ったり。
人のいち場面だけを観て決めつけるのではなく、そうならざるを得ない背景があるのかもなって想像することがきっと大事。
逆も然りで、自分の責任は自分で取ることだったり
相手も自分もなるべく快適になるような環境設定だっあり、工夫が必要なんだなと思った。
とりわけ言葉って大事で、相手に対して期待して
イライラしたりすることもあると思うけど、
みーーーーんな自分が普通だ。常識がわかっている。
私はまともだ。そんなことをまあ一般的には多くの人が思いたいし、自分はそうだと信じたいと思う。
けれど、正しいからいいという訳ではないし、
なんか逐一人の挙動にあり得ない、この人はやばい人、おかしい。とかそんな風に思うのではなく、一旦静かに受け止めること、この人も色々あるのかもしれないな〜と思って、
また雰囲気で相手にわかってもらえるはずだというのを醸し出すのはやめて、否定されたりするのは怖いけど、聴いたり言葉にして小さい矢を沢山投げてみるのもありなのかもなって。
コミュニケーションの方法として思ったりしている。
そんな感じかなーとりあえず