本質
2021.7.1 Thu
今年ももう半分が過ぎてしまった。
時間が経つのが日に日に早くなっていると感じるのは良いことなのか、そんなこと考えながら、今日も外から雨音が聞こえてくる。
今年の梅雨は、「線状降水帯」という言葉を良く耳にする。積乱雲がほぼ同じ場所で次々と発生し、風に流されて行列のように並んで出来る細長い形の降水域のことで、土砂災害や洪水を起こす可能性が高い。言葉自体はそもそもあったものの、近年の大雨被害の危険性を報道するための「パワーワード」として、今年は特に使われているのだとか。
つまり、本質は変わらない。線状降水帯と現象はかつてからあった。ただ、今年はメディアが戦略的に使用しているだけなのだ。別にそれが良いとか悪いとかの話ではない。
木の枝は細かいが、幹や根元が太くその部分が最も重要であることをイメージすると分かりやすいかもしれない。ミカンの木は枝だけでは決してミカンは出来ない。
時代が経つにつれ、変わるのは表面上のことであったり、人間がそこに注目するかしないかということだけなのではないだろうか。
LINEやZOOMなど、オンラインでのやりとりが増えてきている現代だが、人と人とのコミュニケーションであることに変わりはない。手段や方法が変わっただけ。
情報過多の時代において、取捨選択をしろとか、情報の正確性を考えろとか、抽象的すぎる正論を言われている私たちが抱える問題は、本質を考えることで解決できるのではないか。解決とまではいかなくても、良い方向へと向かうのではないか。
見かけや表面上の細分化が多く行われている今の生活に対して、物事の本質をみて、考えることは、これからの社会を生きていくためのポイントとなるだろうし、その力をつける意識をするべきだろう。