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幸田香子さんが大好きなので語る:『3月のライオン』感想

『3月のライオン』(羽海野チカ著)は家族共有で楽しんでおり、私の中でも別格の作品です。大好き漫画ベスト3に入ります。

!ネタバレ要注意!


香子さんとは

説明不要でしょうが、『3月のライオン』は史上3人目の中学生プロとしてデビューした棋士、桐山零くんを中心とした笑いあり涙ありの物語。この作品の最大の魅力はキャラクターです。好きなキャラといえば主人公の零くんはもちろんのこと三姉妹、二階堂、島田さん、スミスさん、挙げればキリがありません。

その中で私の心をつかんで離さないのが魔性の女「幸田香子」さんです。

彼女は好き嫌いが大きく分かれるキャラでしょう。事故で家族を失った主人公の義理の姉として登場します。

彼女はまず見た目が美しい。スタイル抜群、整った顔立ち、そして野生の獣のような眼光。彼女が画面に出てくると空気が変わります。一挙手一投足まで美しく、作者が拘って描いているのが伝わります。

風呂場で足を温めているシーンは、下品な露出は一切していないのにセクシーすぎてガン見でした。シャツとスカート、トレンチだけというシンプルなファッションも、自分の素材が上物だと大いに自覚しているからでしょう。

異様にセクシー『3月のライオン』2巻

そして肝心の中身はというと、とにかく気性が荒くキレると手がつけられない。中1の際に4歳下の義弟(主人公)に将棋で負け、相手を吹っ飛ばすほどの平手打ちをかます。そして親から罰として寒空の庭先に立たされても、涙ひとつ流さず更に義弟に追い打ちをかけにいく始末。どんな中学生だ。

そのうちに将棋の実力を義弟に完全に抜かされてしまい、(少なくとも将棋においては)父親から見放されてしまったと傷つき、プライドも自己肯定感もバラバラに。大人になるタイミングを逃してしまいました。

誰もが羨む美しさと強さの中に、泣き続ける小さな自分を抱え込んでいる。寂しさや悔しさや劣等感を消化できず、それら全てに激しく怒り続けている。

そんな女性です。

なんというか、読むのにカロリー消費するキャラクターです。期せずして零くんと同じ気持ちを味わえますね。



香車のごとく

「香子」という名をつけたのはまず間違いなく父親(幸田八段)でしょう。そして弟くんの名前が「歩」。

そんな名前つけちゃったから、イノシシみたいな娘とボンクラのんびり息子に育っちゃったんじゃあ・・・

将棋の「香車」のように真っすぐ前に進むことを祈られたであろう香子さんですが、どちらかというと暴走列車ですね。「香」という漢字には色っぽさもあり素敵なんですけどね。

作中「大人になったら毒婦となる」とまで言われております。普通、よその年頃のお嬢さんに向かってそんなこと陰口でも言いませんよね。そのくらい他人にインパクトを残すということなのでしょう。

真っ赤な香子さんかわいい『3月のライオン』5巻



幸田家の父と母

秀逸だなあと思うのが、幸田八段とその妻の描き方です。キャラの濃すぎる香子さんの生みの親ですが、二人とも基本的に善良な普通の人間だからです。見た目も普通です。(香子さんのDNAどこから来たんだ)

父親はプロ、一流の棋士です。将棋がすべて、将棋がものごとをはかる基準となってしまうことを誰が責められましょう。DVでも一発かましてくれればシンプルなクソ親父の出来上がりなのですが、娘の安否を心配し、クリスマスプレゼントを買い、寒ければ自分の上着を貸し、なにより家族を失った他人の息子を引き取るような人間です。彼が普通のサラリーマンかなにかで、キャパシティの中の割合をもう少し家族に向けられるのであれば、きっともっと良き父親であったでしょう。

「勝つ」か「負ける」しかないシビアな世界で生きている彼にとって、明らかに実力も努力も意識も劣る娘と息子を棋士として冷たく見限ってしまうのは仕方のないことかもしれません。その仕打ちを子供たちが許すかは別として。

母親も、心根の優しい人です。夫が他人の息子を引き取るといって、普通「はいそうですか」とはなりません。ただ棋士の妻となるには少し芯が弱すぎた。夫を支え、夫の生きる世界を理解し、そのうえで自分の子供たちを守る気概が足りません。反発されて戸惑っている場合ではありませんでした。苦しいでしょうが、なんとしてでも自分の子供を守り向き合ってほしかったです。

父も母も決して子供たちの手を放していないことが救いです。きっと彼らは後悔や無力感をたくさん感じていることでしょう。「待ち続ける」が母親の解であれば、きっと待ち続けるしかないんでしょうね。

愛のカタチですね『3月のライオン』10巻



人間そんな単純じゃない

「相手が○○だから嫌い、だから離れる」。よくある思考回路ではありますが現実にはそう単純にはいきません。

棋士として子供たちに冷酷な判断をする幸田八段も、優しい父としての幸田父も、同じ人です。香子さんと零くんの会話には父親の話題が高頻度で出てきます。二人の共通項だというのは前提として、彼女が父親に対し良くも悪くも深い思いを抱いているのが伝わります。

夜の街で遊び歩きロクに家にも帰らなくなった香子さんですが、結局家族も将棋も捨てられていません。父親からの電話には出ますし、なんやかんや棋界の情報は常にキャッチしております。義弟の対戦相手なども把握していますしね。「グダグダの将棋指してる」なんて攻撃していましたが、裏を返せばきちんと見てあげているということです。

全部捨てて手放すことができない彼女も魅力的です。

ちゃんと(?)連絡とってるの可愛い『3月のライオン』4巻

年上の男性

香子さんが付き合っていた(?)のは、父親のおとうと弟子、20も年上の既婚者後藤。毒気が強く尖ったナイフのような男です。いい年こいてもう少し落ち着かんかいと作中でも突っ込まれておりますが、やんちゃなところと重厚感のある大人の男の色気を両方もち合わせ、なるほど女にモテそうな中年男性です。

キレッキレ中年『3月のライオン』5巻

後藤は寝たきりになった奥さんをひとり支える、かなりヘビーな人生を送っております。奥さんの基礎化粧品も自身で調達していること、一人暮らしなことをみても、夫婦ともに親族は死別か縁遠くなっているのか。

後藤と香子の関係は、あまり具体的には語られません。香子さんが後藤のあとを追いかけている描写が多く、後藤は香子さんのことを「ストーカー女」と一蹴しています。しかし高そうな腕時計をプレゼントしていたり(香子さんの強行突破で)家の中に連れ込んだりしていることから、彼にとっては気性の荒い猫が自分に懐いてしまった感覚なのかもしれません。

「タクシーのとこまで送ってくれる?」「ああいいよ」の即答なんか、意外に優しく紳士的な後藤の素が出ているようで、私の好きなシーンです。

後藤にとって香子さんは、きっと辛い現実を忘れられる癒しの存在でもあったのでしょう。

香子さんも後藤の前では、素直に甘えているようにみえます。まあ野暮な感想ですが、ファザコンが行き場を失って年上の男に走っているようにしか見えませんが。



なんか丸くなっちゃった

二人は単行本13巻にて、別れのときを迎えます。

香子さんが久々の登場で個人的に心躍ったんですけど、なんか丸くなっちゃったんですよねえ・・・

妻をまさに失おうとしている後藤を見て、ここにきてやっと、義弟の苦しみや傷つけてしまった自らの過ちに気づきます。そして零くんの幸せをそっと祈るのです。

毒気が抜けてしまって、ちょっと寂しいです。今後また登場することはあるのでしょうか?零くんにしても、今はやっと手に入った大切なものと、未来のことで頭がいっぱいですし。(よかったね、過去に囚われるよりよっぽど健全です)

香子さんと零くんの関係は、これが落としどころとなってしまうのでしょうか。

丸くなった香子さん『3月のライオン』13巻



さいごに:幸田姉弟に捧ぐ

さて最後に、牙をむかれた香子さんよりも実は将来が心配な弟、歩くんについて。歩くんは今予備校に通っており、人生を諦めてはないようで一安心です。

この姉弟、生い立ちには大いに同情します。父親と同じプロを目指し、彼らなりに一生懸命将棋と向き合っていたんです。その父親が突然連れてきた「よその子」がみるみる自分たちを追い抜かし父親から愛され、認められていくさまを間近で見る地獄。挙句の果て父親からプロを目指すことを諦めさせられる。「見限られた」と絶望したでしょう。

ただでさえ多感で不安定な時期に、本来守られるはずの家庭の中でこんな地獄が待っていたらたまったものではございません。

これを書いている私だって「何も持ってない」側の人間です。

努力だって才能、ほんと身に染みる言葉です。

「歩」は一歩しか進めないけれども、でも決して引くことはありません。そして着実に進めばいつか大きく「成る」ことができる駒です。結局、人生は一人で進まなければならない。いま主人公零くんは、大切な人や思いを守るために新しい戦いに身を投じています。それはたくさんの仲間たちに支えられたからですが、それも彼が一歩一歩苦しくても何度でも立ち上がって進み続けた結果勝ち取ったものです。香子さんも歩くんも、どうかそれに気づいて自分の足で前に進んでほしい。

幸田姉弟が今後作中で描かれることがあるかは分かりませんが、私も川の向こう岸から応援しております。


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