♪はる自分史4 幼稚園1
4本目の自分史noteとなりました。
区切りとして「幼稚園」と題していますが、園の出来事だけでなく、5歳~6歳の時の記憶を思い出すままにツイートしました。
1.引っ越し
都内の社宅から郊外の森の中に引っ越したところから幼稚園期は始まります。
森に囲まれた、自然が豊かなところへ引っ越してきました。
一応東京のベッドタウンですが、まだ開発が始まったばかりなのです。
2.幼稚園入園
入園早々、園バスで大変な思いをしました。
この頃の園バスは、園児が全員乗っているか、誰がどこで降りるのか、あまり確認していなかったようです。
入園当初、先生がクラスで「○○町の人」「はーい」「△△山の人」「はーい」と園児に手を上げさせていました。園児が自分で覚えているのが基本だったようです。ともかくもバス通園3日目、やっと無事に帰宅できました。
3.パンツ⁈
またまた男の子とトラブルです。今なら「水着で隠れるところは触っても触らせてもいけないよ。」と教えるご家庭も多いと思いますが、当時の私は何も教わっていませんでした。叱られても困ります。
4.自然豊かすぎる住環境
松の花粉症はあまり聞いたことがありませんが、あきらかに杉花粉症と違う時期に症状が出ました。周囲に松の木が多かったので、松の花粉症なのだと思っていました。
暗い杉林に一面に咲いたどくだみが、とてもきれいに見えたのです。
茎を切っただけで臭うはずなのに気づかないとは。よほど花摘みに夢中になっていたのですね。
たくさんのたんぽぽの綿毛を見て、とってもわくわくした私。綿菓子のようにたくさんの綿毛を持ってご満悦でした。
でも母にとってのたんぽぽは大事な庭を荒らす悪い植物だったのですね。綿毛を飛ばそうとして叱られるとは思いもよりませんでした。
綿毛は、ひとつひとつにちゃんと風を受けないと飛ばないんですね。とても残念でした。
5.偏食バトル
両親が子どもの頃は食べ物が手に入れば十分。味は二の次だったのだと何度も聞かされました。宮城県で育った舅と島根県で育った姑は、うちの両親よりは食糧事情はマシだったようです。
それにしても
「食べ物があるだけありがたいんだから、四の五の言わずに食べなさい」
とは、5歳児にはなかなか厳しい躾です。
ピンクは好きな色なので、畑にピンクの種をまくときはワクワクしました。収穫したラディッシュも赤くてかわいい。食べてみるまでは楽しみだったのですが、子どもの舌にはかなり辛かったです。
ナスはとにかく苦手でした。幼稚園のナスのお味噌汁は、私にとって人生最大の試練だったと思います。
ちなみに娘は最初からナスが大好き。一方、息子は小さい頃は私と同じで吐き気がすると言っていました。そんな息子も今ではナスを喜んで食べます。
6.痛い目にあった話
自転車のスタンドに足を挟んで骨折するなんて、かなりのおっちょこちょいな気がします。
母のカルシウム補給への執念はなかなかのものでした。私は結婚するまで白はんぺんを食べたことがありません。
黒はんぺんは静岡の郷土色だそうです。はんぺんというより、つみれに近い食感です。
7.園行事あれこれ
自分の子どもの幼稚園では、水遊びにも水着を用意するよう言われました。自分の時と時代が全然違うのを感じました。
わが子の幼稚園では、家庭へのお手紙はすべて先生が連絡帳にはさんで持たせてくださったので、必ず手元に届きました。家庭から園への連絡も連絡帳に記載するルールになっていました。
子どもに「先生に言ってプログラムもらってきなさい」とは、ずいぶん雑な気がします。他の子たちはちゃんと自分で先生に話すことができたのでしょうか。
両親はそろいもそろって運動が苦手。私がおっとりのんびりに育つのは当たり前です。
母は何かにつけハラハラと気をもみますが、父は「まあ僕でも大人になれたし、なんとかなるでしょ。」と思っていたようです。
なんとも対照的な夫婦です。
8.家族・親戚
あとから考えて祖母の手作りだとわかりましたが、素朴なおかっぱ頭の抱き人形、今でも匂いまで覚えています。
うちは両親ともに第一子。私は双方の祖父母の初孫です。自分より5歳年下のいとこの誕生は、とても嬉しかったです。最近になっていとこが生まれた時の写真をデジタル化したので載せます。
ちなみに私の一番年下のいとこ(9歳下)は、私の第一子が生まれた時「やっと私より年下の親戚ができた」と大喜びしてくれました。
叔母の結婚式では、ピンクのロングドレスを着て、髪に白いリボンを結んでもらって、とても得意な気持ちになりました。
ちゃんと花かごを持ってフラワーガールの役を果たすことができました。
母は細かい作業が好きではないのですが、夜遅くに1人の時間を過ごすには、私の服を縫うのが意外と楽しかったそうです。
9.夏祭り
ちょっと話が前後します。引っ越してきて最初の夏祭りは、とても思い出深いものでした。
盆踊りの練習が楽しくて、1日も欠かさず通いつめました。別にアイスに釣られたわけではないと思います。たぶん…。
「押してー押してー、開いて ちょちょんがちょん」と先生が調子をとってくれるので、楽しく踊れました。今でも炭坑節と東京音頭は覚えています。
まだ世帯数が少ない町だったのに、町内会の人がずいぶん頑張って盛り上げてくれていたと思います。
お祭りが楽しくて興奮していたから、さもありなんと思います。しっかり両親に笑いを提供しました。
ツイートしてリプいただいて話が膨らんで、忘れていた思い出がよみがえる。こんなところも自分史倶楽部の醍醐味だと思います。最初は幼稚園期は30ツイートくらいの予定でしたが、60でも終わらなそうです。
続きは幼稚園2にまとめていきます。
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