はる自分史11 家のこと②
小学生の頃の家のこと諸々の思い出ツイートをまとめました。
1.母の料理
目黒区で育った母の娘時代は、ずいぶん都会的な生活をしていたようです。都心の料理教室に通うのに移動時間も交通費もあまりかかりません。ちょっと羨ましいです。
なぜ市販のルーを使っただけで父があんなに怒るのか謎でした。よほど好みに合わない味だったのでしょうか。
「今日はうまくできたのよ~」と極上笑顔の母。がっかりさせて悪いことをしました。
サンマの塩焼きは、結婚して自分で焼くようになってやっと好きになりました。
2.車酔い
レンガ色のおしゃれなセダンに大喜びの両親に水を差す私の車酔い。いつもミニバケツが手放せないほどひどいものでした。
ひどい車酔いの原因は親の側にありました。それも知らずにさんざん私に対して怒っておいて、困ったような笑顔で軽く「ごめんね~」と。
「大人は怒られなくていいな~。ずるいな~」と思いました。
3.食事
新聞を読みながら朝ごはんを食べるお父さん、昔は多かったと思います。今ならスマホを見ながらでしょうか。どちらにしても子どもの躾にはよくなさそうですね。
新聞を読みながら食べていたのでは、何をどのくらい食べたのか分からなくなりますよね。
母の紅茶の淹れ方は、かなりいい加減でした。朝は時間がないから仕方がないですね。
食器棚がコーヒー豆とミルとコーヒーカップで占領されていました。
今も両親に「チャーハン」は通じません。
せっかくうまくできたのに、喜ばなくてごめんなさい。
食事の躾より、時間の確保のほうが大切と考えたようです。でも一緒にテレビを見るのは楽しみでした。
「父親優先でした」というリプをいくつもいただきました。昭和のお父さんはどこのご家庭でも偉かったのですね。
手作りするのは大変なのに、家族から文句を言われているように感じて嫌だったと思います。母に悪いことをしました。
父は頭の回転が速くて口が達者なので、なんでもこういう調子で相手がバカになってしまうのです。
ごはんのおいしさとしてはどうなんでしょう。私がごはんを好きになったのは結婚して自分で好みの固さに炊くようになってからでした。
父はこの時の情けない気持ちは今でも覚えているようで「あの時は立場なかった」と何度も話していました。
母がにっこり笑って差し出す料理には、決して文句は言えませんでした。
4.母とのこと
自由時間バンザイでした。
「きちんと子どもを躾けなきゃ」と思うと甘い顔はできなかったのだと思います。
たしかにひどく部屋を散らかしていたので、怒られても仕方ないのですが、やっぱり怒っただけで立ち去ったのは寂しかったです。
自分のピーク時の練習の仕方を子どもに要求する。音大卒あるあるのようです。今の私なら10分あったらあれとこれは練習したいと考えます。でも小学生の頃は「60分ピアノの前に座っていればいい」くらいに思っていました。
5.「お母さん美人だね」
「お母さん、はるちゃんに似てないね」と言い捨てていく友達は、1人や2人ではありません。残念ながら事実なんだな、と思わざるを得ませんでした。実際、鏡を見て全然母とは似てないと思いました。
娘に対して「デブス」はどうよ⁉と今でも根に持っております。
自分で自分を可愛いと思えないのはつまらなかったので、娘が生まれて以来「私にとって世界一可愛い女の子」と言い続けています。嘘ではないし、娘も「ママは親バカだね」と笑いながらも嬉しそうな顔をしています。
みんな笑っていたのでつられて私も笑っていたけれど、内心は悲しかったです。母に似ていないと言われるのは娘にはつらいものです。
6.お料理
少しずつ母親の真似がしたくなってきました。
この時の黒焦げホットケーキのおかげで、ホットケーキは弱火でゆっくり焼くということを覚えました。
ホットケーキミックスを使わないホットケーキ、結婚してからも子どもたちとちょくちょく焼いて楽しみました。
2年ほど前、おしゃれなブックカフェに同じ本が置いてあるのを見つけました。ロングセラーだったのですね。
40ツイート、長くなりました。家のことはこのあたりで一旦まとめます。
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