はる自分史3 幼児期
昨年11月からTwitterで、自分史活用アドバイザーのマーシーさん主催
自分史倶楽部に参加しています。
#自分史倶楽部 #おは戦30101jk #愛のいいね #ビーナス
— マーシー@自分史活用アドバイザー (@marcy60marcy) December 31, 2020
㊗️明けましておめでとう㊗️
自分史活用アドバイザーのマーシー😎です
旧年中は
大変お世話になりました🙏
☑️5月15日812ライバーデビュー㊗️
☑️8月27日1万人の方にフォロー頂く㊗️
☑️11月1日自分史倶楽部設立㊗️
本年もよろしくお願い致します🥰 pic.twitter.com/VZrJ8T4qrP
はる自分史は昨年12月6日から書き始めた幼児期編が22ツイートで一区切りついたので、noteにまとめました。
1.衝撃の体験⁉
♪はる自分史 幼児期①
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 6, 2020
自分の言葉で語れる記憶は、3歳ころの不思議な夢から。
川の字に寝ている両親と自分を天井から見下ろしている。だんだん降りていって、目が覚めた。
小さいころはしょっちゅう熱を出していたので、熱に浮かされて夢を見たのかもしれない。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/m0f3Vt5DU9
もっと大きくなってから「幽体離脱」という言葉を知りました。その描写が私の夢にそっくりなのを知ってびっくり。私は小さい頃から霊感はまったくないのに、夢と思っていたのは幽体離脱体験だったのでしょうか。
♪はる自分史 幼児期④
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 7, 2020
父の軽自動車はトラックの下にもぐりこんで大破。
ぶつかる寸前
「あ、まずい。会社何日くらい休む羽目になるかなあ」とのんきに考えた。
そのおかげか肋骨と両足の骨折で済み、入院期間も短かったそうだ。
エアバッグのない時代に、よくそれで済んだと思う。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/MmnOsEDS3e
母が事故のあと父の荷物を取りに警察に行くと、警察官から「ご愁傷様です」と言われました。車がぺしゃんこになっていたので、ドライバーが無事なはずがないと思われたようです。おかげで(?)、追突事故を起こしたにもかかわらず、父の免許は減点されずに済みました。
2.住んでいた家
♪はる自分史 幼児期⑤
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 8, 2020
4歳まで住んだ社宅は、広い敷地の外側に小さな木造平屋が囲むように建てられ、真ん中は広場になっていた。
使われていない釣瓶式井戸があって、大きな石の板でフタされていた。手動ポンプ式井戸もあり、水が出るのがおもしろくてよく遊んだ。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/L3IqEyQTLE
釣瓶式の井戸は絵本にもよく出てくるので子ども心に気になって、石の蓋の下を何度ものぞきこみました。隙間から小石を落とすと、ぽちゃんと水音がするまで少し時間がかかりました。深かったんですね。
♪はる自分史 幼児期⑥
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 11, 2020
社宅は古い木造で2Kにお風呂と汲み取り式トイレ。庭には砂場と柿の木があり、生垣で囲まれていた。母がご近所に入居の挨拶周りをした時「前に住んでた○○さんは秋になるとみんなに柿を配ってたのよ」と暗に催促されてびっくりしたそうだ。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/2LRNesxYAt
割り当てられた社宅に甘柿の木があったのはラッキーでした。でも、私はこのころは柿があまり好きではなかったのです。今思うともったいないことをしました。
3.家族旅行
♪はる自分史 幼児期⑦
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 12, 2020
ある日買い物に行き、手持ち花火を買って帰った。
母「蓼科に旅行したら花火しましょうね」
私「さあ今から蓼科に行って花火しましょう」
母「!!!!」
3歳児なので現在と未来の区別はない。いま花火ができないと知りギャン泣き。仕方なく1本だけやってくれた。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/WYsd8rBL8A
言い出したら聞かないので、両親もほとほと手を焼いたようです。何度も笑い話として話してくれました。
♪はる自分史47 幼児期⑧
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 13, 2020
家族旅行。お土産屋さんで顔が隠れるくらい大きなおせんべいを見つけて買ってもらった。
どうしても両手で持ってかぶりつきたかった。なのに…。
母「さあみんなで食べましょう」バリン!
私は「割れちゃった!」と大泣き。両親は困るやら呆れるやら。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/9Bl40pLMtt
丸いものはぜったいに割りたくないと思っていました。おせんべいの他にも、丸い棒付きキャンディーが割れたと大泣きした記憶があります。
自分史ツイートに通し番号を付けたり忘れたり。また忘れていたのに気づき、このツイートから番号をつけました。
4.遊び
♪はる自分史48 幼児期⑨
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 14, 2020
二人乗りのぶらんこを買ってもらい、小さな庭に置いた。窓を開けるとぶらんこのてっぺんが目の前。
同い年の友達は窓からぶらんこに乗り移る遊びに夢中。でも私はこわがり。びくびくしながら乗り移ろうとして窓から地面に落ちた。さいわい擦り傷ですんだ。#自分史倶楽部
ぶらんこに乗って遊ぶのではなく、なぜか窓から乗り移る遊びばかり。仲間に入れてほしければ自分もやらなきゃならない状況でした。怖い怖いと思っていると、だいたい失敗しますね。
♪はる自分史49 幼児期⑩
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 15, 2020
3歳ころには、家の前の広場で同い年の友だちと子供だけで遊んでいた。弟や妹連れの子もいた。
母親たちはそれぞれ家事で忙しい。食事時になると呼びに来る。時間の観念がないので「帰らない!」と言い張って大変だったそうだ。#自分史倶楽部
自分の子育て期は、幼稚園までは外遊びを見守りました。自分が育ったころとはずいぶん変わったと思います。
♪はる自分史50 幼児期⑪
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 16, 2020
3歳ころ。母親たちの子ども自慢。
「ひらがなカタカナを書けるのよ。あらおたくはまだ?」
「うちの子活発すぎて。まあ元気がいちばんよね。はるちゃんよく熱出すわね」
「うちの子はまつ毛が長くてマッチ棒が3本のるのよ」
母「…」
社宅はいろいろ大変だ。#自分史倶楽部
3歳くらいになると、同い年でも出来る出来ないにずいぶん差が出てきます。社宅はみんな専業主婦なので、話題はわが子自慢になりがちだったようです。私には特に自慢できるネタはなかったし、しょっちゅう熱を出していたので、母は周りの奥さん方から自慢されっぱなしで大変でした。
♪はる自分史51 幼児期⑫
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 17, 2020
ウルトラマンが好きでよく見ていた。あるていど話が理解できるようになったのはA(エース)から。
ウルトラ兄弟がヒッポリト星人にタール漬けにされてブロンズ像になった話では大泣きした。しかもそこで「次回に続く」だったので1週間ずっと不安だった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/5qrApN5iFq
それまで怪獣や星人はほとんどが喋らなかったのにヒッポリト星人にはセリフがたくさんあり、余計に怖かったです。さらにエースもウルトラ兄弟もブロンズ像になって死んでしまったので大ショック。
私がどうなだめても泣き止まないうえに「エースは?エースは?」と1週間ずっと心配し続けたので、いちばん困ったのは母でした。
♪はる自分史52 幼児期⑬
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 18, 2020
仮面ライダーもよく見ていた。怪人が出てくると怖いので離れたところから覗き見た。「だったら見なければいいのに」と母に言われたが、怖いもの見たさだったのだろう。
よく怪人がテレビから出てくる夢を見てうなされた。有名なホラー映画の1シーンのようだ。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/bws1ZYT8lF
仮面ライダーを見た夜には、きまってテレビを見ている夢を見ました。
夢の中で怪人が怖くてテレビを消そうとするのですが、スイッチを切ってもテレビが消えない。そして画面から怪人が出てくるのです。
「うなされてうるさかった」とのちに両親から文句を言われました。
♪はる自分史53 幼児期⑭
— はるこ@バラの折り紙修行中 (@Haruorigami) December 19, 2020
家にあったリカちゃん人形とリカちゃんハウスは、近所のお姉さんのおさがり。貴重な初代リカちゃんである。同い年の友だちが持っているのはだいたい2代目リカちゃんだった。
あと、なぜか仮面ライダー本郷猛人形があった。私が欲しがったのだろうか…。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/0JvCxPkoEs
初代リカちゃんには髪に赤いリボンがついていますが、私のリカちゃんにはリボンはありませんでした。遊んでいるうちに取れてしまったのでしょう。
仮面ライダー人形はマスクが外れるようになっていたので、リカちゃん遊びの男の子役として使っていました。
♪はる自分史54 幼児期⑮
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 20, 2020
曾祖母からもらったレディリカのお人形。
製造された期間が3年間と短くて、同世代でも知っている人が少ない。
年齢設定は16歳。リカちゃん(11歳)より背が高く体つきも大人っぽく、ロングヘア。
私はハサミで5cmくらい切ってしまった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/wniLl78Wfj
レディリカはリカちゃんとは別のキャラクターです。今ならジェニーちゃんのような位置づけでしょうか。洋服も大人っぽかったので対象年齢はリカちゃんより少し上だったかもしれません。
♪はる自分史55 幼児期⑯
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 21, 2020
母がピアノ講師だったので、私のテレビタイムやひとり遊び時は別室でピアノ練習をしていた。
私は聞こえてくる曲に勝手に歌詞をつけていた。例えばモーツァルトのトルコ行進曲には「高い所に登っちゃ危ない😱」
どうしてもそう言ってるように聞こえた。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/enWbKk5EYt
ひとり遊びできる子どもだったので、テレビを見たり積み木遊びをしたりしながら母のピアノを聴いていました。
「高いところに登っちゃ危ない」は我ながら想像力豊かだと思います。
5.七五三
♪はる自分史56 幼児期17
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) January 23, 2021
三歳の七五三は、母の実家に近い目黒の大鳥神社だった。主祭神が日本武尊だと数年前に知った。
私が古事記のヤマトタケルの話が大好きなのは、大鳥神社にお参りしたからなのかもしれない。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/pdoQcCtCV8
♪はる自分史56 幼児期17その2
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) January 23, 2021
七五三だというのにショートカット。私のあせもがひどいからと、夏からずっとワカメちゃんカットだった。わりと雑な母である。
ちなみに父は内村鑑三に心酔する洗礼を受けないクリスチャンなので、娘の七五三に同行しなかった❗#自分史倶楽部 pic.twitter.com/uJ9B7jipCx
自分史倶楽部のメンバーに実家が目黒だという方がいて、話すうちに大鳥神社での七五三を思い出してツイートしました。
6.初めてのクラシックコンサート?
♪はる自分史56 幼児期17その3
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) February 9, 2021
両親はクラシック音楽のコンサートにどうしても行きたかった。3歳の私は普段からおとなしいし、連れて行っても大丈夫だろう。コンサート会場に入って私に耳打ち。
「静かに聴いていられたらポッキー買ってあげるから」#自分史倶楽部 #おつかれ戦隊0209r3 pic.twitter.com/L8BDjkQC3A
♪はる自分史56 幼児期17 その4
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) February 9, 2021
シーンと静まり返った開演前のコンサート会場。ポッキーを買ってもらえると聞いて私は大喜び。「わーい!ポッキーだ!ポッキーだ!」
両親は大あわてで、私を横抱きに抱えてコンサート会場を後にした。チケット3枚が無駄になってしまった。#自分史倶楽部
若い夫婦には高いチケットだったでしょうに、気の毒なことをしました。
7.母のお供で
♪はる自分史56 幼児期17その4
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) February 17, 2021
母は結婚してからも実家でピアノ講師の仕事を続けていた。レッスン日は私を連れてバス1本で行ける実家へ。
バスのドアに書いてある「自動扉」の表示の「自」の文字が気になる私。バスに乗るたびに読み方を母にきいた。#自分史俱楽部 #おつかれ戦隊0217r3 pic.twitter.com/iv1jcyAfmq
毎週のように母の実家に行くためにバスに乗っていました。バス停の名前まで憶えています。
♪はる自分史56 幼児期17その5
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) February 17, 2021
母に手を引かれてバス停から祖父母の家へ向かう道。赤い道路標識が気になる。「止まれ」の「止」が読めない。母に何度も聞いた。多分最初に覚えた漢字。
のちに小学校で「正」を習った時「一画よけいだ。『止』にならないじゃないか」と残念に思った。#自分史俱楽部 pic.twitter.com/KaGQWZFhTv
バスに乗ったり道を歩いたり、いろんなところで何度も目にする漢字には興味を持ちました。
8.一人っ子
♪はる自分史56 幼児期⑰
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 22, 2020
子どもが多い時代だったので、周りでも一人っ子はまれ。母も「おたくは1人で楽でいいわねー」と嫌味を言われることが多かった。
不妊治療にも通ったが、妊婦さんに交じった待合室で「不妊治療の○○さん」と大声で呼ばれるのがとてもつらかった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/eWC2HizJZT
♪はる自分史57 幼児期⑰
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 23, 2020
私が4歳になっても両親に2人目の子どもは授からない。父は叔父と7歳違い。母は一人っ子。2人とも一人っ子の良さも悪さもわかる。
私のことを子どもだからと甘やかさず、弱い子にならないよう、わがままにならないよう、特に注意を払った。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/vveslZiei4
周りに一人っ子はいませんでした。幼稚園や小学校でも一人っ子はたいてい私1人。3人兄弟という友達が多く、4人兄弟も珍しくありませんでした。子どもが多い時代だったのですね。
♪はる自分史58 幼児期⑱
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 24, 2020
よその子に泣かされないようにと父から「泣き虫毛虫」などいじりがきつくなった。
私が見たいテレビがある時はわざわざチャンネル争いをした。母に甘えて膝枕しようとすると頭相撲で争った。
幼児相手に喧嘩を売る父は偉いと思うが、当時は父が嫌いだった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/XXnx490ffk
自分が親になって育児書を読んだところ「1人っ子を育てる時は、親の役だけではなく時には兄弟の役も演じて」と書いてありました。父の育児方針は正解だったようです。
でも当時の私には嫌なことばかりです。とにかくしつこくて、私が泣くまでいじり続けました。父は頭の回転が速いので私が言い返すと3倍になって返ってきます。おまけに私が言い返しすぎると私だけが母に叱られるのです。
父の「ときどき兄弟の役」は、私が結婚して家を出るまで続きました。
9.4歳~引っ越し
♪はる自分史59 幼児期⑲
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 25, 2020
4歳の誕生日ケーキははっきり覚えている。母が無水鍋でスポンジケーキを焼いて、淡いピンクのクリームを塗って銀色のアラザンが散らしてあった。
オーブンもないのに、よく作れたなぁと思う。まだおいしいケーキ屋さんが少ない時代だった。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/XzOl33hMiF
母が新婚当時からずっと使い続けていいた無水鍋は、ふつうにお鍋として使う他、コンロでオーブンのように使うことができます。筑前煮を作ったり、蓋をフライパン代わりにしてホットケーキを焼いたりと大活躍していました。
♪はる自分史60 幼児期㉑
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 26, 2020
3歳頃に首都高速の 渋谷出入口 -東名高速道路の東京ICがつながり交通量が増えた。わが家は東京ICに近かったので周囲は排気ガスが臭くて、私はよく咳込むようになった。
当初の予定より早かったが、父は家を建てて引っ越すことに決めた。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/fnMWpmMtry
1971年、東名高速道路の全線開通で一気に近隣の交通量が増えたようです。
2年ほど前に当時の住居の近くを通ったとき、ひどい排気臭にびっくりしました。4歳当時、あのまま住み続けていたら喘息になったかもしれません。
♪はる自分史61 幼児期㉒
— はるこ@半世紀を反省期 (@Haruorigami) December 27, 2020
引っ越しは4歳の2月17日。私を父方の祖父母の家に預けて両親は引っ越し作業。まだ大学生の叔母に遊んでもらって楽しかった。
引っ越し作業が終わると、新居へは祖母と叔母に連れていってもらった。
幼児期はここまで。次回から幼稚園期に入ります。#自分史倶楽部 pic.twitter.com/uQJwmOOzIv
祖父母の家でのお泊りは初めて。叔母に遊んでもらったのが楽しくて、叔母が大学に行くときはがっかりして泣きました。
幼稚園入園に合わせて引っ越したので、ここで幼児期を一区切りにします。
幼児期のエピソードは、今との時代の違いを感じることが多いです。自分が生きてきた時間も歴史の一部なんですね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。