続き

自分なりに、『鬼滅の刃』の物語の何が多くの人々を魅了するのか、考えてみた。

あばく物語と、あばかれる物語
物語の筋書きに「あばかれるタイプ」と「あばくタイプ」があるとすれば、鬼滅は後者だと思う。

自分が初めて鬼滅に触れたのは漫画だけれど、登場人物が自分の心理を説明する描写の多さにおどろいた。

戦いの最中も、街を歩いている時も「めっちゃ喋るやん」と思った。

登場人物の葛藤や喜び、迷い、「痛い」とか「苦しい」とか「まだやれる」とか「次の手はコレか?」とか、シーンや関係性、表情ではなく全部台詞(アニメなら音声)で語られる。

語られる物語以外の感情を、想像する余地が、あんまりない。

「あばくタイプ」と呼ぶのは、そういう意味だ。

物語で主人公が積極的に、自分の思いや展開に必要なエピソードを“あばいていく”ということだ。

物語に出てくる登場人物自ら、自分の心情、過去、調子を「あばく」。告白していく、あばく物語、『鬼滅の刃』。

一方、ヒットしている漫画として鬼滅との対比がよく語られる『ONE PIECE』を「あばかれるタイプ」の物語の例とする。

『ONE PIECE』では、登場人物が自分の心情を吐露するシーンは、かなり限られているように思う。

いわゆる心の声が台詞として描かれることは、ほとんどない。

たとえば、『ONE PIECE』のアラバスタ編で、王女・ビビが泣きながら別れを告げる場面。

ビビの「もしまた会ったらその時は、もう一度仲間と呼んでくれますか」という台詞に対して、麦わらの一味は無言で腕を突き上げ、作戦のために記したバツ印を見せ、何も語らず去っていく。

けれどビビと読者には、麦わらの一味が何を言わんとしているか伝わるし、自分の想像力のなかの答えが、登場人物たちの台詞なき台詞と呼応した時、いわゆるエモさがわきあがり「かっけー!」となる。

台詞として登場人物に語らせることはなく、筋書きの行方を読者に想像させつつ、説明ではなく関係性で物語を紐解いていく──それが「あばかれるタイプ」。

鬼滅に、そうした想像力を掻き立てるシーンがないわけではないけれど、あまりにもダイレクトな台詞が多くて、わたしはちょっとうろたえてしまった。

ただ、このダイレクトな台詞の多さが、ヒットの一助を担っているのでは、というのが自分の仮説である。

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