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演劇作家、改め、ほぼ社長。〜AFF2の悲喜交々〜

プロローグ

いままで僕は自分のことを、演劇作家だと思っていた。
いや、そもそもは、「そう思いたかった」ところから、すべて始まった。
何者でもなかった僕は、エリア51というチームを立ち上げ、やりたいことを形にするためのアーティスト道を歩みはじめた。
それだけだった。
それだけだったのに。
今日、僕はたぶん、ほとんど社長になった。

チャプター1 AFF2が僕を呼んでる

AFF2とは、言わずと知れた、文化芸術活動向けの対コロナ補助金「ARTS for the future!」の令和4年版のことである。まるで自分のことをバック・トゥ・ザ・フューチャーと思ってでもいるかのように一丁前に「2」とかってナンバリングまでつけているが、昨年巻き起こった「どこがフューチャーに向けての補助なんだ!」というツッコミが、今年もどこからともなく(主に僕の心の中から)ふつふつと湧き上がっている。

今年は、2月の水族館演劇、3月のかながわ短編アワード、5月のせんがわコンクール、そして6月のパフォーマンス・・・と、怒涛の上半期を送っていたため、AFFはいいかなと諦めていた。去年のAFFは、念仏を上げながらもありがたく頂戴し、実際、大助かりした。あれがなかったら2つのコンクール作品を乗り切れなかったと思う(コンクールはチケット収益がないため赤字必至なのだ)。が、今年は忙殺に忙殺され、つまり忙しさに二重で殺され、申請にかけるエネルギーなど塵ほども残ってはいなかった。

よくお世話になっている舞監の塩澤さんが、AFF2に奮闘している様子を、Twitterで横目に見ていた。ふうん、がんばってね!と文化祭シーズンの隣のクラスを覗くような気持ちで眺めていたのだが、度重なるコンクールでの出資に、僕は財布も胃袋も痛めつつあった。やっぱり、お金がもらえるなら欲しい。AFF2は、条件が厳しくなったこともあってか、どうやら申請数がべらぼうに少ないらしく、予算消化しないのではないかという見立てもあるようで。それでは来年はもっとこうしたサポートは減ってしまうかもしれない。ならばと、寝たふりしていた僕の煩悩は薄目を開けはじめ、耳を大きくしていた。

じつは、せんがわコンクール上演に向けて、あまりに厳しくなった懐をどうにかするため、クラウドファンディングを実施することを本気で検討していた。制作の夏恵さんに頼んでいたページのデザインやテキストも、最終稿一歩手前まで整っていた。しかし、僕はそれを中止することを選んでしまったのだった。

チャプター2 神保、人からお金もらえないモード

コンクールつづきで収益がなく厳しいことは、クラウドファンディングで出資金を募るには十分な理由だと思った。これは僕個人やエリア51だけの問題ではなく、表現活動に出資することが難しい「世の中の問題」でもあると確信しているからだ。しかし、当時の神保は、人からお金もらえないモードに突入してしまっていた。

そこにはさまざまな理由が絡んでいるが、もっとも大きかったのは、『てつたう(せんがわコンクール出品作)』の創作環境が非常に豊かで繊細だったからだ。僕は『てつたう』を作る際、効率化を意識しすぎず、なるべく「非効率的に」作っていくという方針を打ち出した。それは例えば、稽古中にはじまった雑談や脱線を、むしろ歓迎しながら作っていくようなことだ。実際、そうした試みの中で、3日間ほどかけて「ただ一対一でじっくり話す」ということだけをする期間があった。それは作品の豊かさに直結していたと僕は思う。

僕は、効率化された日常生活からの脱出のための方法としてこうした創作をしているという面もあるのではないかと思っていた。なので、限度はあるが、予算も「ある程度の目安」としては設けつつ、必要に応じて柔軟に増やしていくというやり方をしていた。創作の幅を狭める「実面的なこと」をなるべく無視して作る。それが『てつたう』の時に試していた作り方だった。

そんな空気感の稽古場に、「お金」への意識が、北風のように吹き込むのではないかと僕は危惧した。ゴマの粒を積んでつくった塔があったとして、その完成を前に窓を開け放ってしまうような気がしていた。

次に大きな理由として、僕が参加していたパフォーマンスアート『虫の瞳』で考えていたことが、ずっと喉元に引っかかっていたから、ということがあげられる。『虫の瞳』で扱っていたカフカの『変身』———主人公がとつぜん虫になってしまったことで働けなくなり、最終的には家族からも煙たがられ孤独に死んでいくという物語———が僕に投げかけた問いへの答えが、当時は僕の中でまだ見つかっていなかったのだ。

「働けず、お金をつくることができない人が、生きていけない」ことはすごくイメージしやすい。当然、家族に頼るしかない。では家族の苦しみはどうなるのか? これは働けない人の問題ではなく、働かなければ生きていけない社会の方の問題なんじゃないか? もっとお金は「分配」されるべきなんじゃないか? そんな社会を変えたい! 社会に強い影響力をもっている人や企業とは、つまり、お金や地位をもっている人や企業のことだ。お金や地位をもっている人は、お金や地位をすでにもっているので現状で困っておらず、社会に変わって欲しいとさえ思っていない可能性がある。そういう人や企業がこっちに目を向けてくれるように、「そういう人や企業にお金を回さない」ことで反対の意を表明していこうではないか! でも、そもそもほとんどの人や企業が、今のままの社会で困っていないから、こうした問題が起こっているのでは・・・? そしたら、世の中すべてに不買運動していかなくちゃいけない・・・? あれ? じゃあもう、山にこもって社会と断絶してアートを作るしかない・・・?

と、グルグル考えているうちに、なんだかよくわからなくなってきて、一歩間違えれば「逆カネゴン」のように成り果てるところだった。つまり、「お金」を払ったりもらったりすることと、表現活動というある意味での「社会からの脱出の表明」が、うまくバランスを取れずにしばらく過ごしていたのだった。居酒屋で串を頬張っても、お金の味しかしない。店員さんの笑顔を見ても、それが「その場から切り捨てられないための必死のパフォーマンス」に見えてしまう。僕の中で、世界を見る目が180度変わってしまっていた。

(ちなみにカネゴンが必要とするコインは1日に3520円らしい。それで生きていけるならカネゴンになる方がましかもしれない)

チャプター3 たすけて行政書士!

とはいえ、まあ、なんやかんやあって、AFF2を申請することになった。

逆カネゴン化現象を防いだのは、「どんなに社会を変えたいと思っていても、今の社会のルールの中で行動することしかできない」と、ストンと腑に落ちたことだった。「できない」というか、「したくない」の方が適切かもしれない。どこかの誰かが銃撃事件を起こしてしまうように、やり方はいくらでもある。でも、それを選ばずに社会を変えることができるはずだ。今、僕はそう信じている。そして、もっとも背中を押してくれたのは、行政書士の存在だ。

行政書士のAさんとは、去年のAFF申請の時からのお付き合いだ。申請作業が狂おしすぎた「持続化給付金」や「継続支援事業」などを経て狂いかけていた僕は、AFFは報酬を払って誰かに頼もうと決意していた。そして出会ったのが、芸術系の申請に特化したAさんだった。Aさんはユニークな方で、文化芸術がコロナ禍でもなくならないようにと尽力してくださった。やはり専門知識をお持ちの方だと、いろいろと話が早くて非常に助かった。AFFの申請はスムーズに通り、無事に実績報告まで終えて(減額はあったものの)一安心だった。申請時より3分の1減しての入金だったが、これでも全然ありがたいことだ。こうした経緯もあり、AFF以外の助成金などもドンドン申請していこうよ、という気運が高まり、Aさんと月極契約をして長くお世話になることに。

そして、ドタバタの2022上半期が落ち着き出した頃、僕は意を決して個人の確定申告をするモードに移行していった(よい子のみんなは申請期限を守ろう!)。2021年のレシート束を渡すと、魔法にかけたかのようにエクセル上で表に生まれ変わった。Aさんは魔法使いだったのです! これを受けて、なんだか庶務的なもろもろを、特に数字や見慣れない熟語が立ち並ぶ「申請書」という敵と、今なら戦えるのではないかという気がしてきた。そうです、味方が強いと自分まで強くなったような気になる、僕はスネ夫のような人間なのです。

AFF2がうまくいけば、度重なるコンクールで穴が空いたお財布を繕ってあげることができる。そんなこんなんで、AFF2を申請することになった。

申請するには、当然、企画が必要なので、「ずっとやりたかったある企画」をブチ上げることに。これまた予算をふんだんに使った(本末転倒)エラい企画なのですが詳細はお楽しみに。Aさんと会い、予算を立て、決死の思いで会場を予約した。どれくらい決死の思いかというと、絶対ちぎれないといわれる輪ゴムで作った紐でバンジージャンプするくらいの感じです。わかりづらい? はい、これしか思いつきませんでした。

そして実際、そのゴムバンドは途中で切れてしまいました。何と、その行政書士の方に、逃亡されてしまったのです。

ええ〜〜〜〜〜〜!!

ここ、教科書に出ます。(神保史:通年単位1)

まあ、いいんですけど、どうせ逃げるなら会場おさえる前に逃げてほしかったですね。

でも、いいんです。おかげで、素敵な縁を結ぶことができて、今、本当に頼もしいある方と一緒に、AFF2と戦ってます。いや、ほとんどその方がやってくれてます。もうほぼ行政書士です。いやそれ以上かもしれません。

人は出会いと別れを繰り返し・・・といいますが、まさにそうですね。できることなら、一度契約書を交わした人は契約破棄まで別れてもらいたくないものですが。

チャプター4 法人税?いやうち法人じゃないです。

さて、今日僕が提出した書類は「法人税の申告書」だそうな(よい子のみんなは申請期限を守ろう!2)。

遡ることおよそ2ヶ月ほど前。AFF2を申請するために必要な書類として、「収益事業開始届」というものがある。それを手に入れるため、僕は税務署に赴いた(ここでも紆余曲折あったのですがまたの機会に・・・)。1ヶ月ほど経って、郵送されてきたのは「法人番号」が記載された紙。エリア51は、任意団体として法人番号を獲得した。なんかカッケー^^✌️

AFF2は、法人(会社とか大きいところ)だけでなくもちろん任意団体(サークルとか小さなところ)でも申請することができる。いやむしろ多くの劇団は任意団体なのだと思うが、法人に課される「補助額の1/2を自力で売り上げられる見立て」がなければならないというハードルがない分、任意団体の方がいくらか楽に申請できるのだと思う。僕は必要に応じて書類を揃えていった。アーツカウンシルの助成や去年のAFFでステップアップしていた僕の手元には、すでにたくさんのそれっぽい書類が揃っていたのだが、奴は次から次へと難読漢字の紙を投げつけてくる。カネゴンならぬカミゴンか。

なんやかんやあって、法人税の申告書を作ることになったのだが、いやウチ法人じゃないけど法人税払うんすか?と思った。

「じゃあ法人税の申告をお願いします」
「うち法人じゃないんですけど」
「個人ですか?」
「いや個人ではなくて、演劇とかやってる」
「人格なき社団ですかね」
「それです」
「じゃあ法人税の申告をお願いします」
「え、いや、あれです、任意団体です」
「任意団体は人格なき社団なんですよ」
「え」
「じゃあ法人税の申告をお願いします」

NPCのようになってしまった税務署。どうやら任意団体であれ、法人とほぼ同様の扱いで税処理をされるそう。

「去年は団体としての住民税を払ってないんですか?」
「はい。今期が初めての申告なので」
「わかりました」
「あれ。じゃあ来年からは住民税がかかるんですか?」
「はい。年7万円かかりますね」

・・・おかしい。

いままで僕は自分のことを、演劇作家だと思っていた。
いや、そもそもは、「そう思いたかった」ところから、すべて始まった。
何者でもなかった僕は、エリア51というチームを立ち上げ、やりたいことを形にするためのアーティスト道を歩みはじめた。
それだけだった。
それだけだったのに。
今日、僕はたぶん、ほとんど社長になった。

今期の申告は、赤字だったので法人税はかからなかった。しかし、来年以降はどうなるかわからない。きっとこれから、団体として税のやりくりをしていかなければならない。

何かがおかしい。

ずっと、こうなる予感がしてたんだ。だからAFF2に足を踏み入れるのが怖くて仕方なかったんだ。

任意団体でも申告できるなんて、実質、嘘じゃないか。タヌキに化かされたようにして、エリア51はほぼ法人になってしまった。

そう。そしてここからが、僕の本当の敵との戦いが始まるのだ。

大変さがわからない多くの方には、きっと伝わらないだろう。AFFの何がそんなに嫌なのか、と。もらえるんだから、頑張ってもらいなさいよ、と。はい、その通りなんですね。なので頑張っているのですが、僕の場合、実はもう一つの「概念上の敵」と戦っておりまして。

それは「エリア51」という”概念”。

僕はたびたび、エリア51の団体としての実態と理想の乖離について、頭を悩ませてきた。今回の書類提出によって一層僕はこの戦いの泥沼化から逃げられなくなってしまった。

チャプター5 エリア51に迷子センターを作ろう!俺、駆け込むから!

エリア51は、ヒエラルキーのない、輪っか状の組織を理想として掲げてきた。実際、必要性に駆られるまでは僕も「代表」と名乗ってこなかった。しかし、僕がいくら個人的な気持ちで活動していようと、コンクールに参加すれば「団体」として迎えられ、団体として評価される。これは仕方ないことだ。そして、アーツカウンシルやAFFなどの公的支援を受ける際に、ついに「代表者不在」でいられる限界点がやってきた。

行政は「会社」という枠組みに当てはめることで、芸術団体への救済措置を組み立てている。つまり、それを受け取るには行政の想定する「会社」のような動き方で動き、そして、そのような「形」として見せなければならないということだ。ただこれは、僕らに受給資格がないのでは決してない(と思いたい)。エリア51が目指していた形が特殊だったということなのだと思う。僕はこの「変形」に、手足の骨を折ってでも適応していく道を選んだ。その結果、僕は複雑骨折のまま見てくれだけはほぼ社長になってしまった。

これはつまり、エリア51は代表者不在だなんてことを、口が裂けてもお尻が二つに割れても言えなくなるということであり、もう実際に、来年からは住民税なんかが発生してしまうのだから、少なくともその分は「団体に」お金を残して置かなければならないことになった。エリア51では、企画ごとに財布を分離して決算することになっていたため、そもそも団体に「財布」なんてあっちゃいけないはずだった。しかし、AFF然りアーツカウンシル然り、団体への補助や助成になるため、受け取るのは団体でなければならない(この辺、経営やってない人に相談しても、なんかうまいことやれば?と返されて話にならない悩みである。かといって劇団主催をやってる人に相談しても、みんなそんなもんよ、同じ熱量でやってくれる人なんていないと思わなきゃ、と言われて悲しいし)。財布があるということはその管理をする人がいるわけで(なんかどうやら代表者と経理担当って分けなきゃいけないみたいなルールもあるっぽく・・・)、でもそんな人いないわけで。

これはつまり、団体の在り方を変えなければならないということで、僕だけの問題じゃないんだ。

じゃあ話し合えばいいじゃない、と思うかもしれないが、みんなのスケジュールが合わず、集合できないということがもう半年以上も続いていて正直きつい。zoomの定例会も全員揃った試しがない。稽古や執筆しながら団体の運営を全部ケアしていくのが常態化するのは精神的にアカンやつ。個別でちょっとずつ話せばいいじゃない、と思うかもしれないが、俺がハブになって話してしまったらそれはもう名実ともに社長じゃねーか!と自分に突っ込んでウケて寝る日々。負けじと、アートマネジメントの講座の修了課題で書いたレポート(経営戦略レポート)をみんなに見せても、特に反応ないし。そりゃそうだよ。「経営」に悩んでんのは、俺だけだもん!

劇団主宰ってほんとすごいね。よっぽどの決意がなければ続けられないよこんなの。結局、誰かがワイルドにゴリ押ししてかないと、生きらんないんじゃん、社会って。だからといってパワハラはいけないよ。でも、「俺がお前に出演の機会を与えてやってるんだぞ!」って言いたくなっちゃうヤバ演劇人の気持ち、俺はちょっと理解できちゃうんだよね。悲しいけど。俺は絶対そうならないって誓うけどさ。この誓いも、結局は俺が俺にワイルドさを求めてるよね。相互依存なんて幻想なのかなあ。どこに行ったって、自分の上には自分よりも強い存在がいて、自分のこと弱者だって思う気持ち自体は悪じゃないはずなのに。権力を持て余しながらも寂しくて大変な思いで生きてる人が、その叫びさえも封殺されてるってこと、どこにも吐き出せないんだよなあ。Twitterなんかも、つぶやきの場じゃなく、ビジネスと論争の場になっちゃったしね。飲み会もできなきゃ新しい出会いもなく、雑談もカジュアルな相談もできない。ポロッと愚痴すらも言えない。

まあね、やってみなければわからなかったこと。人生、勉強の連続だね。それが嫌なら、事前に勉強するべきだったんじゃない? まあでも、勉強してばっかで実践に移れないのも問題だよね。実際、経験が一番大事だし! 住民税7万円なんでしょ。AFF2の恩恵を考えてみなよ。蚊ほどのダメージじゃない? あ、そういえば蚊ってメスしか血を吸わないらしいね。どうでもいいけど。

いや、団体に不満があるわけでは決してない。みんな非常によくしてくれるし、本当に大好きなチーム。問題なのは、こうした「組織運営」への問題に対するソリューションを持っていたり、探そうっていう人が団体内に俺以外いないことだ。もっというと、この「会社のためにあるような社会」で、どうやって新しい組織の形を追求していくか。それを考えていきたいのに、そういう相手がいま、いない。だからもうそれが、僕にはもう、霞んでしまって、少しずつ見えなくなってきている。

迷子ですね。

エリア51という、たった8人の組織の、その小さな土地の中で、宇宙すぎるこの世に、僕は迷子です。迷子社長です。

都内よりお越しの

ジンボ

ハルキさんと名乗る

小さなお子様が

お母様をお待ちです

1階

迷子センターまで

お越しください

(小さいころ、5階建ての地元のヨーカ堂でよく迷子になった。泣きじゃくったりせず、係の人と社交辞令を交わしつつ、ふてぶてしく母の迎えを待っていたらしい)

ピンポンパンポーン。。。

エピローグ

とか嘆きつつも、僕は明日も生きなければならない。エリア51は続くし、エリア51での企画の準備も進む。組織について考えるということは、答えがない問いにぶつかり続けるということみたいです。これを行き当たりばったりと呼ぶか、これがアートの営みなんだと思うかは、僕の自由です。ただ、カミゴンはこれから継続的に倒していかなくてはならなくなりそうなので、それについては、エリア51的なアンサーをぶつけなければなりません。難読漢字クイズにも、答えていかなくてはなりません。

そして、この学びを、じおらまという新しい環境づくりに活かしたいとも、思っています。団体の下地づくりから、今の社会に適応しつつ、本当に持続可能な表現団体って、どんな姿なんだろう。しっかり考えていきたい。じおらまの骨組みが出来上がったとき、僕が迷子センターの係の人側に立てていられるように。

そしてエリア51は、たぶん、これを乗り越えた先で、何かすごいことが起こるようなポジティブなイメージも湧いている。これを誘発できるかどうかは、僕の描くプロット次第なんだろうな。

ここでサポートいただいたお気持ちは、エリア51の活動や、個人の活動のための資金とさせていただいております。どうぞよろしくお願いいたします。