レディメイドの孤独、コールボーイの侘しさ

どちらも今をときめくボカロPと歌い手によって有名な曲なので知ってる人は多いと思うけど、一応レディメイドとコールボーイというのはそれぞれ独立した楽曲だ。

レディメイドとコールボーイはそれぞれある文学作品の登場人物とよく似ている

という話を先日友人としていて、なるほど慧眼と言われた。
その文学作品とは夏目漱石の『こころ』である。

レディメイドもコールボーイも孤独を歌った曲だ。
けれど何でもやるから二人でいよう、と歌うコールボーイに対し、金も愛情もクソくらえと歌うレディメイドはかなり対照的だと思う。
その孤独の性質は少し異なるよねと考えた時に、それが『こころ』のKと先生の孤独とちょうど重なったのだ。

コールボーイにおける苦しみは他人に求めてもらえない寂しさだ。
それは下宿に友人を無理やり呼びよせ、そしてその友人は死に、鎌倉の海で初対面の外国人と意気投合し、しかし何故か自身の妻とは互いに蟠りを抱えている、他人を求めても本質的に他人と分かり合うことのできない先生の孤独だ。
一方でレディメイドの孤独は「"誰"でもなさ」による苦しみだ。
自己確立ができない、理想とする自己像とかけ離れた実際の自分に齎される苦しみに藻掻く歌詞なのだ。
自己批判と自己研鑽に励み、それが身の丈に合わないと知るや死んでしまったKの抱えた(抱えきれなかった)苦悩だ。

僕がトピアでコールボーイを歌うと、しばしば「繁華街場末のバーに縁のない清潔な男が歌っているコールボーイ」と揶揄される。
どうしてそのような印象を与えるんだろうかといろいろ考えた先に先述の友人との話があり、今回の記事と相成った。

コールボーイで歌われる孤独と侘しさについて、僕は理解が深くない。しかしレディメイドで歌われる苦悩と孤独については自分のことのように分かるという感覚を得てしまう。
みなさんはレディメイドとコールボーイ、どちらにより共感するだろうか。


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宮本晴樹/八朔ちゃん
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