「不可触民」をめぐる歴史と現代的暴力
インドは、世界有数のカースト制度をもつ国の1つである。そして、そのカースト制度の最下層に位置しているのが、「不可触民(アスプリシュア)」と呼ばれる存在だ。サンスクリット語で「触れてはならないもの」を意味する彼らに対する差別は、頑然とインド社会に根を張っている。
※この文章は鈴木真弥 著『カーストとは何か インド「不可触民」の実像」を読了後、本書の内容に基づいて自分なりの要点と感想を述べたものです。
カーストの成り立ちと不可触民の意義
近代以前の村落社会には、カーストに関する2つの考え方が存在していた。ひとつは「生まれ」を意味するジャーティであり、もうひとつは「色」を意味するヴァルナである。前者は周囲の環境に即した機能や役割を果たし、地縁、血縁などの社会的性格、特に当時主流であった〝職業の世襲〟に関しては大きな影響力を有していた。そして後者は、性別や肌の色を規定する「種姓」である。こちらはインド征服のため侵入してきた白色系のアーリア人と、非征服者であった先住民ドラヴィダ人肌の色によって区別したことが起源とされている。
世界に偏在するカースト最下層の人々には、職業において共通点が見られる。それは『死』と『自然の廃棄物』を与る職掌に就くということである。インド村落における不可触民の発生はチューラー(土地なし農民)が経済的に困窮した結果、皮なめしや共同便所の清掃、家畜の遺骸の解体など、不浄とされながらも不可欠な役割を請け負い始めたことにあると考えられている。当初のカースト制とは、今日の近代国家でイメージされるようなピラミッド形の権力図と似ているものの、ヴァルナ的(人種や性別、肌の色など)側面というよりも、世襲制によって受け継がれた「不可欠ではあるが不浄な職業の担い手」という社会的分業観を反映したものであった。つまるところインドにおける階級制度では、これらによって集団内の秩序を維持するということの他に、不可欠な職掌の分業という社会的意義という『両義性』が存在していたのだ。
料理しているのはだれ?
しかし筆者によると、インド国内を訪れた我々がその存在を痛感するような状況は起こりづらいという。これだけの社会的影響がありながら、政府も静観を貫いているわけではない。1950年に制定されたインド憲法第17条では不可触民を意味する差別用語の使用禁止、カーストによる差別の禁止をともに明記しており、近年でも改善に向けた政策を打ち出している。政府もこれを国家の最重要課題として認識しているのだ。しかし本当の差別というのは、言葉に出ないところで見え隠れする。例えばインドの料理人には、カースト最上位層である「バラモン」出身者が多数を占めるとの統計が示されている。カースト上位の方が作るごはんが美味しいのか、いやそんなわけがない。それぞれ多少の就業傾向はあれど、職業としての料理人に限った話ではない。地域の集まりや、学校での給食当番に至るまで、料理を担当するのはバラモン階級の人々だ。ヒンドゥー教は「不浄」の感染に極めて敏感であり、不可触民が調理したものを食すれば、穢れが感染すると考えられている。他にもおつりは投げて渡す、残飯を与える際には一度地面に置いたり投げたりすることで、接触による「不浄」から「浄」への感染を回避する風習が見られるという。
ふたりの男:ガンジーとアンベードカル
インド独立の父といえばガンジーだが、当時彼と対立していた人物にB・R・アンベードカルが挙げられる。インド独立後の最初の法務大臣でもあり現代インド憲法の草案者として広く知られている彼も、実は不可触民の生まれである。このため、彼は不可触民がインド独立に伴いどのような政治的立場と社会的権利を得るのかということについて極めて主体的な姿勢を見せていた。
意外だが、ガンジーはインドにおけるカースト制度には終始肯定的な姿勢を見せていた。ガンジーが推進した「ハリジャン(=神の子)運動」では、社会的な貢献が大きいという職業分担制度に対する評価から、現行カーストの維持を掲げたのである。しかしガンジーは社会的な分業観(ジャーティ)に高い評価を寄せていただけであって、職業差別のないカーストとしての改良を目指したということに注意せねばならない。彼は差別の根源は人々の意識であり、その改革によって差別は是正できるものであるとの考えに立脚し、不可触民をめぐる周囲の環境に関して特別な措置は必要ないとの立場を示していた。またこの一連の不可触民解放運動は、ヒンドゥー教の指導者であったガンジーにとって、不可触民への差別を敷いてきたことの贖罪でもあった。
対するアンベードカルは、極めて実際的な、言い方次第では〝建設的な〟方策を打ち出していた。彼は不可触民が政治的に自立し、利益を守るために独自の政治的代表を持つ必要があると考えた。彼が示したのは、不可触民はヒンドゥー教徒とは別個の存在であり、インド国内の民主的決定を続ける上では、彼らを特別なフレームワークによって導くべきだとの考えであった。この意見を反映させた結果が「独立選挙区」の提案である。文中では『この要求は、今日の言葉で言えばアファーマティブ・アクションにつながる』としてインド史学者の長崎暢子の発言を引用しているが、ガンジーと異なり社会的弱者に対して具体的な是正策を打ち出した点で、相対的な評価の高さには納得である。
1932年、複雑化した国内をコミュニティに分けて政治的権利を与えるという『コミュナル裁定』がイギリス政府より提案された。例えばムスリムはムスリムだけの選挙区で投票を行い、ムスリムの代表を選出するという具合である。これは不可触民にも独自の政治的代表を確保する手段として特別選挙区を与えるものであり、アンベードカルにとっては重要な進展であった。しかし、これがヒンドゥー教主流派の抗議に遭い頓挫してしまう。特にガンジーは獄中でハンガーストライキ(断食による抗議)を行い、アンベードカルはその妥協案として『プーナ協定』に着地の目処を迎える。この協定では独自の選挙区を設ける代わりとして、不可触民に留保議席が与えられることとなった。
このようなアファーマティブ・アクションは「指定カースト制度」として形を変えて存在する。例えば高等教育の入学試験などでも、指定されたカーストからは留保枠として一定数合格者を募るという措置が取られている。しかしこのような社会的措置は、差別の再生産となっている側面も事実である。留保政策が、「現代的暴力」として上位カーストの反発を招いているのだ。これらの社会変革を求める権威への反抗は、裸で歩かされる、集団レイプ、生きたまま焼かれるなどの強烈なバックラッシュとして現れている。
反発と是正
アファーマティブ・アクションから生まれる現代的暴力は、今や全世界共通の課題である。身近な話題では合衆国における人種差別を防ぐための大学入試留保政策に始まり、日本では2022年11月、東京工業大学が総合型・学校推薦型選抜で143人分の女子枠の導入を発表した。また社会保障にスポットライトを当てれば、高齢者が受給する年金はひと月5万4000円程度なのに対し、生活保護ではひと月14万8000円の受給が可能で、さらに医療費は免除という高待遇だ。社会的弱者を助けようとすればするほど、不平等と逆差別が加速する。しかしこの政策は、ある意味では社会的に不可逆的なプロセスでもあるのではないだろうか。弱者を助け、強者を挫くことは社会的に称賛されるはたらきだが、助けた弱者に再度厳しい境遇を強いることは社会的反発、いわば倫理観からハードルが高い決定なのである。
本当の公平さ、正しさを追い求めることも大事だと思う。しかし現在真に試されていることは、ある種の不平等、不公平を受け止められる我々の社会的寛容なのかもしれない✍️
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以下、読書中のメモ
2024/11/29〜
ダリト=不可触民(アスプリシュヤ(サンスクリット語)=触れてはならないもの)/インド=カーストの印象・実際はキリスト教にも同様の慣習あり/セキュラリズム(世俗主義)/生まれのジャーディ=分業観・色のヴァルナ=不浄観/ガンジーはカースト主義・職業世襲の肯定→ハリジャン運動、固有の政治権利を認めない/カーストは複合的な弱者要素になりうる/単相差別は経済階級と結合しがち/学校で宴会をする場合、最上階級のバラモンが料理をつくる。階級制度においては自分より下の階級民がつくったものは食べない→大都会では見られない(法律で明確に禁止されているから)、暗黙のカースト存在/ダリトの発生→村落に社会的秩序生成&不可欠な職業の世襲を担うbut近代化によって不可欠な職業の担い手性が消失。単に穢れた人々として、ダリトの両義性も同時に消失/指定カースト制度→政府が援助(アファーマティブ・アクションの1例)/ダリトに対する捉え方の仮説「被抑圧者階級」「後進階級」「ハリジャン」/バクティ運動/カースト改良論ではヴァルナ制(身分などの意識的階級観)を積極的に肯定/ハリジャン=神の子/ガンジーはカースト性を肯定したが、それは社会的な寄与が大きい職業分担制度に対する評価から生まれたものであって、いわば不可触民のいない(優劣のない)カースト制度を目指していた/ダリト運動は脱ヒンドゥー教志向の中心/ダリト解放はガンジーにとって差別を強いてきたヒンドゥーの贖罪・アンベードカルの分離選挙を認めてしまえば、目指していた政治的統合が頓挫する虞/アンベードカル(不可触民側)の立場では、ダリトはヒンドゥー教徒とは別個の存在であり、政治においてもコミュニティの代表者を別枠で設けるべき(この要求は、今日の言葉で言えばアファーマティブ・アクションにつながる:インド史学者の長崎暢子)/イギリスのコミュナル裁定→ガンジー断食→アンベードカル妥協のプーナ協定/改悛/独立後のインドでは両者の折衷案(指定カースト支援政策)が採用/インド社会で清掃業は社会的身分の低さを露呈することになるbut差別を受ける反面家族全員の生活を保証する「清掃職は私たちのもの」という専門性(特権職業領域)になっていた側面も/チューラー、バンギーら清掃カースト&土地なし農民(チューラー)が起源か/ダリトの職業には、死と廃棄という2つの共通点/下水処理で窒息死者多数/乾式便所建設禁止法/高等教育の入学試験でもダリト留保枠が設定/インド「雇用なき成長」=就職難の慢性化/皮なめしなどの分野では、ダリト間での雇用の増減、いわゆる職業移動の流動性が見受けられるが、清掃業に関しては変わらずバールミーキが多数を占める/ダリトの居住環境=豚をよく見るにおい/牛→最高度に浄性が高いため食べてはいけない/豚→他の動物の排泄物を食べるなど、浄性が最低にランク付けされているため食べてはいけない/ガンジーが主導した国民会議派は、禁酒運動を推進したbut屎尿処理を耐えるために飲酒?/料理人はバラモン出身者が多い(理由は前述)/ダリトに対しておつりを投げて渡し接触感染を避ける、残飯は投げたり床に置いたりして渡す/「共食」シク教・ランガルの実践で平等主義を体現/眉間の赤い点=ビンディー/異なるカースト間での結婚も見られるが親族同士で軋轢が生まれ、暴力、死亡沙汰になるケースもある/インドでは代理出産が増加中/ダリト・メディア=ダリト間での情報プラットフォーム/現代的暴力=留保政策などの措置が上位カーストの反発を招く。社会変革を求める権威への反抗は、裸で歩かされる、集団レイプ、生きたまま焼かれるなどの強烈なバックラッシュとして現れる/ジャートは上位カースト中の地主そうのひとつ/「私の誕生は、致命的な事故だった」SF作家を夢見た若者の遺書/親が息子や娘に出自を偽る事例も→公務員や医者となり、後進階級であるダリトカーストから脱した人々なら可能か?/パッシング=スティグマを抱えるものが出自を隠し、主流社会に溶け込もうとする行為/Appleは、雇用条件に「カースト不問」を加えた数少ない企業/留保政策は逆差別?