主体性についてのメモ
長年月1でカウンセリングしてもらってる臨床心理士に主体性がないと言われた。
休もうって入院すると心に決めていたが、1週間たって周りの医療関係者が全然ノリノリじゃないのに気づいてどうしたら良いかわからなくなってしまった。
確かに私には重大な決定をする時の主体性がないらしい。
それでよく困っている。人生の岐路を決めきれず先延ばしにする。
主体性がないと困るので主体性を身につけたい。
でも主体性ってなんだ?
そもそもわたしが自分で持ってると思ってた主体性は偽であるになるのか?例えば、趣味の世界を持っていてそこで私は主体性をバリバリ持ってると思ってたけど違ったらしい。
アイデアは自分で湧き起こるんだ。それが主体性だと思っていた。
だがそのアイデアさえ主体性のなさに飲み込まれる。原稿を預かっているから同人誌作らなきゃとか、考えた瞬間責任主体が外在化される。
主体性ってやっぱ自分のことについて責任持てることだと思うんだけど、どうしたらそうなれるのか皆目見当がつかない。
私の父母や祖父母に至って主体性のある人なんていなかったと思う。子供のために離婚しなかったんだよ、と母が言って傷ついた覚えがある。祖母たちは村のしきたりや家父長に従うので主体性はないように見える。じゃあ家父長である祖父はといえば、やはり村のしきたりや、より偉い親戚に従っているのに過ぎない。
遺伝的、養育環境的にこれでは、主体性が育つわけがない。
だからと言って主体性の獲得を放棄してはダメだと思う。
なぜなら、やっぱ母のように自分の決断にすら責任を持てないことで自分の子供を傷つけるような人間にはなりたくないからだ。
主体性を身につける動機が親への反抗であることがいいことかは別として、今度のカウンセリングはこれを主にやっていきたい。