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努力の還元率
「努力は必ず報われる」
ある意味正解で、ある意味さんかくだと思う。
まずは「努力」の定義を確認しよう。
ど‐りょく【努力】
[名](スル)ある目的のために力を尽くして励むこと。「努力が実る」「たゆまず努力する」「努力家」
goo辞書より引用
まず前提として確認しておきたいのは、「努力」には目的が必要ということだ。やったらやった分だけちょっとずつは上達するんだから、その努力は報われているよ、という話ではないことをここに記しておく。あくまでも、目的を達成できるかどうかの話である。
ここで、上の定義からは一つの疑念が生まれる。
「力を尽くした」ってどの段階で判断するんだ?
試行錯誤を繰り返して自分のゴールに到達した人は、それまでの道のりを「努力」と呼べるだろう。また、その人たちは完全に満足のいく結果を得られたわけだから、努力の還元率は100%ということになる。そこで冒頭の「努力は必ず報われる」という言葉が出てくるわけだ。
それはそれでいい。素晴らしいことだ。
しかし、それでは力いっぱい励んで結果が出なかった、そこそこだった場合は、それは努力とは呼べないのだろうか?
それはいささか悲しい気がする。
私はこれまでにいろんなことを経験した中で、努力がすべてではないことを身をもって知っている。そして、「努力」の対の存在として多く語られる「才能」もまた、それがすべてではないことを知っている。
私は一度も練習をしないまま自転車に乗れたし、側転も逆上がりも二十跳びもできた。しかし、7年間も続けたバスケットボールはどうにも上手くならなかったし、物理は40時間勉強しても60点ギリギリだった。
私は「努力」「才能」「成功」の関係を次のように感じている。
成功=努力×才能 0<才能≦1
表題の「努力の還元率」こそが才能の正体というわけだ。
才能があれば努力の分だけグングン伸びる。成功にたどり着くのにもそう時間はかからないだろう。しかし、もし才能が0.05しかなければ、たゆまぬ努力も生きている間に日の目を見ることはなさそうだ。人間にはタイムリミットがあることも考慮しなければならない。
成功から努力をうかがい知ることはできないし、努力だけでなんとかなる世界でもない。外野が何と言おうが、努力は自分の中にあるものだと思う。