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「あれが啐啄同時だった」と言えるように

私は中学生のときから生き急いできたのを自覚している。

正しい音楽の道を進むことにおいて、他の人に比べて遅れてしまっていること、自分の夢が叶うための情報が回ってこない場所、今みたいに海外が近くない時代で、ただとにかく行動あるのみだった。

高校生の夏、著名なヴァイオリンの先生のセミナー(1週間毎日ソロレッスンとアンサンブルレッスン)を受けることができた。

今でもよくしてくださっているスポンサーの方やピアニストの先生たちとお食事に行ったとき、

「もうすこし早くいい先生に出会ってたら、今よりも人生が好転していたかもしれないんですけどね。」

と、まだ17年しか生きていないのに音楽の世界の厳しさを知った私は早くも悲観していた。

すると、スポンサーの方がある話をしてくださった。

「ハルカちゃん、啐啄同時(そったくどうじ)って言葉知ってる?

禅の言葉なんだけど、悟りを開こうとしている弟子に、師匠がちょうど教えを与えることなの。

詳しく言うと、

鳥の雛が内側から卵の殻を突いたとき、親鳥が外側から殻を突いて卵を割るの、それで雛が卵から孵るの。

いま“学びたい”って思ってるハルカちゃんは、いま習ってる先生に出会えたり、このセミナーを受講できたり、自分が本当に吸収したいと思えたタイミングに学びを得るチャンスを掴んだじゃない。それこそ、啐啄同時だと私は思うわよ。」

そう言われて、自分にかけすぎていた余計な重圧がどこか消えたような気分になった。

今に意味を見出そう、今の私の課題を乗り越えよう、[これが啐啄同時なんだ]と、“今”に焦点を当てれることができた。

たとえ、すぐに結果が出なくても5年後の私のために、今を頑張ろう。

17歳の5年後、22歳
私は音楽科のある大学院に進学した。一般大と雰囲気が違うことが息苦しくて、当時はすぐにでも退学して海外に行きたかった。修士課程を修了したことが正しい選択だったのか、今もまだわからない。
ただ、色々辛いこともあったが、一度“音楽科”の学校生活を経てよかったと今は思っている。

22歳の5年後の27歳
私はウィーンに留学した。1年だけだったが、行くのを決めたのも、帰るのを決めたのも自分。あんなに行きたかった海外だったが、行く前から絶望を背負って、その絶望にアレンジを加えながら生きたウィーン生活。
行き先がウィーンでよかったのかとか、この歳で行くのは遅すぎたのだろうかとか、あまりいい思い出がないのが正直な気持ちだ。

でも、27歳の5年後の32歳、自分が過去を振り返ってどう思ってるか楽しみなのと同時に、今の自分の行動を未来の後悔に変えないように自分を奮い立たせている。

5年前の苦しい思いをした自分のために、「あれは啐啄同時だったね。」と、言えるように今は5年前の自分のために頑張っている。

お読みいただきありがとうございます。この記事は無料でお読み頂けますが、上記の金額を投げ銭して頂ければ幸いです。今後の海外渡航費用の足しにします。

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