なぜベストを尽くさないのか
ノートを更新しはじめた理由。
いくつかあります。
[20周年という節目の年だから]
まずは、↑こちら。
SNSを積極的にやっていない私がなにかを綴るのであれば、noteがちょうどいいかな。
そう思い、数ある媒体の中からnoteを選び、そっと作ってありました。
noteやってます…的な告知をしたのが、ちょうど20周年個展告知のタイミングだった気がします。
自分のことを見ないでほしい。
私のことを知らずに作品のことだけ知っていてほしい。
自己韜晦癖が激しく働いている。
そんな感じで、それまで使っていたSNSを閉鎖。
そしてそのままSNSをやらなくなり、そこからずっと姿を眩ませていました。
20周年という節目を迎えるにあたり、個展の告知をしなければならない…という理由が乗っかったので、noteの存在をシェア。
そして、せっかくだから動かしています。
[検索すると昔のままの情報がでてくるからアプデしよう]
続いて、↑こちらの理由。
私の名前を検索すると、昔の情報が出てきます。
見た目で言うと、メイクの方法がごりっごりの平成って感じで、歯列矯正をする前の歯並び。そのころが嫌とかじゃなく、アー写を更新するような意味合いで、シンプルに情報アプデの必要があると思いました。
そして文章で言うと、自分が綴った言葉というより、数年前とかに誰かが言い表してくれた私の情報が多いように思います。画像と同じくそちらも、アプデが必要かと思いました。
つまり、今の私を表すものがほぼない状態である。
情報がまったくでてこないのであればそのまま姿を消していたのですが。
少しでも出てきてしまうのであれば、どうせなら、今の私が自分の‘選択’を尊重してシェアする方がいい。そう思ったのです。
・自分の性自認
・自分の恋愛観
・自分のアイデンティティ
歳を重ねるにつれてしっかりと自覚しはじめたそれらを持ち合わせた上で、その時々に必要な言葉や姿をきちんとシェアしよう、そう考えたのです。
[見られることに対して勇気を与えてくれた人達がいる]
そして、こちら↑です。
実のところ、ここ最近かなり悪化していました。
‘人から見られたくない’という気持ちが。
私が自認している私は、‘私’でしかない。
しかし、〈女性〉としての評価を提示されることが続くと、この世に存在することが辛くなってしまうばかりでした。
自分の性自認が曖昧な頃は、‘NO’を強く返す術がなく、ただひたすらに理由のわからない苦しみと向き合っていた。
髪を短くきれば、ボーイッシュでかわいいね…と言われる。
筋トレを始めれば、少し太ってるくらいの方が好き…と言われる。
体型を隠すと、見せびらかさないところが好印象…と言われる。
控えに言って、気持ちが悪い。
ちょっと話が逸れるけれど、こうやって褒められる体験談…的なことを話すと、“自慢だ”と思いたがる人もいる。
しかし、自分の尊厳を押し曲げてまで褒められることがそんなに誇らしいことだろうか。自慢できることだろうか。そもそも、嬉しいことなのだろうか。
私は、全く嬉しくない。
むしろ、不快でしかない。
悪口よりも鋭利だ。
その上、‘可愛いのに結婚しないの?’とか‘せっかく可愛いんだから赤ちゃんつくらないと’とか‘勿体無いから誰か紹介しようか?’とか。
糞より汚らしい言葉を浴び続けると、徐々にそれが蓄積して、最悪な状態になる。
ついに、〔褒め言葉=悪口〕みたいな変換が働くようになってしまったのである。
その結果、ここ数年、お買い物にすら出ることが億劫だった。
そして徐々に悪化し続けていた。
その結果ここ数ヶ月は、外出しようとすると震えが止まらなくなったのである。
限界を感じたある日、私は、数名に相談の連絡を入れた。
彩羽真矢さん、インベカヲリ★さん、旧友。
私が打ち明けた悩みに対し、真剣に丁寧に返信をくださった。
その文章をスクショし、いつでも見れる場所に保管してある。
出かけている際に震えが始まると、その言葉達を読むようにしている。
それらのお薬を手に入れたおかげで、‘自分の写真をnote’に載せてみようと思えたのである。
そして、さらに大きな理由がある。
それは、大切な人達の存在である。
胸をつぶすタンクトップ(サラシのようなもの)を着用し、外出の際に震える私の悩みを聞いた母が悲しそうな声で言った言葉がある。
‘せっかくこんなに可愛くて美しく育ってくれているのに…。’
いつも明るい母が悲しい声でつぶやいたその言葉を聞いた時、このままじゃだめだと強く思った。
母が大切に育ててくれた私。
母にとって誰より(母の次に)美しい存在であろう私。
母が誇ってくれている私。
誰かのせいで、ガッツリと隠しておさえつけてしまうなんておかしい。
他人をジャッジしたり品定めしたり個人の価値観に落とし込んでくるような人達をぶちのめして、私を愛してくれている人(自分含め)の気持ちを優先しよう。
そう考えたのである。
ロックの神様(EP)を崇拝している私が怯んでちゃいけないだろう。
戦って、抗って、強く在ろう。
なので、画像を載せています。
…そんなこんなで、noteを更新しています。
21年目を自分らしくスタートしている。
そんな私がいます。
そんな私のこの記事を読んで、‘自分らしく生きてみようかな’って思えた人がいたなら、ぜひそうしてください。
あなたはあなたでしかない。
誰かにジャッジされちゃいけない。
尊厳を大切に生きてほしい。
私が、愛する物理学者(日本科学技術大学教授)の言葉があります。
なぜベストを尽くさないのか。
この言葉を胸に、毎日強く在ろう。
そう心がけています。
ほなね!