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「頑張らなくちゃ」という呪い

みなさんこんにちは。久しぶりにお天気が良くて気持ちがいいですね。
ここ最近、なんとなく自分が、「頑張らなくちゃいけない」という呪いにかかっていた気がして、今日はそれについて書いてみようと思います。


お仕事をするときに、「今私に求められていることは何だろう?」とか、「どうしたらもっと人に評価してもらえるだろう?」みたいなことを、多かれ少なかれ誰でも考えると思います。私もそういうことをここ最近、寝ても覚めてもずうっと考えていました。

特に、世の中がこういう状況になって、文字通り『不要』なものとして真っ先に扱われてしまったのが、音楽だったりエンタメ業界だったり、私が今までやってきた活動そのままだったりしたとき、「じゃあ私が今やらなきゃいけないことは何だろう」と、ものすごく考えました。
そして考えすぎて、ワケがわからなくなりました。笑

いろんな人の考え方や、やっていることを見て、「あの人はこうやっている。だから私もやってみようかな」と思っては、「あの人には私にはない知識や技術がある。だから私には無理だ」と絶望したり、
今度は、「知識が足りないなら今頑張って学べばいい」と思って何かに取り掛かってみて、その途方もなさにもう一度絶望する。そんなことを繰り返していたら、ちょっと疲れてしまいました。

この機会に自分に足りない知識を身につけよう!という気持ち自体は、純粋な好奇心や向上心からくるものだったらとても大事だと思うのですが、私は、漠然とした不安とか焦燥感から無理やり自分を奮い立たせていることに気づいてしまって、それじゃあしんどいよなあ、としみじみ思った。

で、そのときに浮かんできた気持ちが、「まあいいじゃん?」てことでした。ある種の開き直りだと思います。
でも、開き直った人間て強い。


たとえば、歌手になりたいと思ったときに、『歌手のなり方』みたいなのっていっぱいあって、人それぞれ全然違う道を通ってきてると思うし、私も質問されたら何と答えるかちょっと悩みます。
『医者のなり方』とか『教師のなり方』とかだったら、資格があって、もうちょっと明確な道筋が決まっているかもしれません。
それで思ったのが、「今私に何ができるだろう」という問いを自分にかけたときに、資格がないとか知識がないとかいうところにぶち当たると、「ああ、自分には何にもできない」という沼に見事にはまってしまうな、ってことです。私はどっぷりはまりました。

世の中がこんな風にわーってなっているときに、そういう沼にはまると、ちょっと危険なんじゃないかなと思ったんです。

冷静に考えれば、世の中には資格がなくてもなれるものっていっぱいある。歌手だってそうだし、こうやって好きなように文章を書くことにも資格はいらないです。
それと同じで、『生き方』っていう言葉があるけど、それってなんだかすごく不思議だなとふと思った。

『生き方』を指南するものってたくさんあるけど、その人の生き方はその人だけの方法なので、別の人に当てはまるとは限らない。
資格とか知識がなくて絶望したときに、まるで「生きる資格までないんじゃないか」みたいになってしまうのって、すごく辛いじゃないですか。
誰かの生き方の真似をしなくても、自分の気持ちにしたがってそのまま生きていいよなって思うんです。

で、これは現時点での私の一つの結論なんですが、なんの資格もない私が歌を歌ったり、何かを書いたりすることで、
「いろんな生き方があるよ」ってこととか、「まあこんな生き方でもいいじゃん」とか、「生きるのに資格はいらないよ?」みたいなことが伝わって、誰かが少し気楽になってたらいいな、と今は思ってます。

「何にも頑張れていない。頑張らなきゃ」と精神を追い込む前に、「お天気が良くて気持ちいいなあ」みたいなことを素直に感じたっていいし、「コーヒー飲もうかな」と思ったっていい。
そしたらなにかいい考えが浮かんできたり、誰かと話してみようかなって気になったり、それが生き方になるよなあ、と思った今日この頃です。



おまけ

すごい勢いで断捨離をしました。家の中や自分の中も、入れ替えていくのが気持ちいい時期です。

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雲居ハルカ
読んで下さってありがとうございます。思考のかけらが少しでも何かの役に立ったなら幸いです。