2016.02.13すごーくあとあと、風呂とかで思い出して本当だ、と思った。きがきかないんだよな。

バスに乗って府中市美術館へ向かう。
服に出る直前迷って、部屋が散らかってそのまま飛び出した。
ものすごい暖かい日で、完全に春。中身が薄着で外側は最近着てる冬用のコートで出た。
春の気温で春の心になってうれしさやさみしさがわーとなる。とりあえずバスに乗って友達に会いにいくのは嬉しくて、それをTwitterに書こうかと思ったけど、嬉しさが出過ぎちゃうな、と思ってやめたら、後々見たら、会った友達は府中市美術館に向かっている、とにこにこしたツイートをしてて、私もしようかと思ったんだよ、と笑う。

展示自体はとてもよくて、でも、空間は葉山館で見た方がよかったなあというきもち。
公開制作していたTさんと久しぶりにお会いできたのが嬉しさがあったなあ。11月の搬出の時とか、Fさんと一緒に、なんだかほんのりととてもたのしかったから。他にも何となく知ってる人が集まってる日で、そこにYちゃんももっと紹介するみたいにしてもよかったんじゃないかと、すごーくあとあと、風呂とかで思い出して本当だ、と思った。きがきかないんだよな。

定食屋で食べながら、「春ちゃんの作品は人を選ぶ?」と聞かれて、
選ぶかも、と一瞬言うが、いや。うーん。と言いながら話す。

人を選ばない、わかりやすいように、と思って作っていた時期のやつがよくなかったという手応えがあって、
つまり、今は作る時点でそういうことは考えないようにやろうと思っている。つまり、リテラシーが低い所にも届くように、と設定して投げるのは結果的にそこに届くというのとは別で、失われる物が多いと言うか。受け取られ方のほうから見てやると、よくなかった。

私の作品を見るにあたってリテラシ—みたいなのが必要かと言うと、

特別には、私自身がめちゃめちゃアート、みたいなかんじではないところで作っているので、つまりアートのコンテクストをしっかりと知識として有していないと理解できないという所ではないという点で、人を選ばない。ただ、考えないと解らないようにはなってるかもしれなくて、そういう点では、ちゃんと見てくれる人じゃないと見れないようにはなっているかもしれない。

というような内容を話した。
なんとなく急いでかえる。久しぶりに人に会いに出かけた感じだった。なんとなくなごりおしかったけど明後日も一週間後も会う約束をしたからへいちゃら。


いいなと思ったら応援しよう!