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わたしについて #自己紹介

こんにちは。
まるごと先生です。

私はnoteとfacebookグループとkindle出版において、
まるごと先生
という名前で活動しています。

教師や学校教育についての問題意識を発信することが好きで、7年前くらいから自分の思いを発信したり、コンテンツを作ってきました。

〇協会ページ

〇ブログサイト

〇ポッドキャスト(Spotify)

〇FBコミュニティ

〇udemy

〇Amazon Kindle

最初は
次世代型教育推進協会。
次は
センセイのキャリアを本気で考える協会。
さらに
ティーチャーズキャリアマネジメント協会。

こんな感じで、その時の自分の目的意識にもっとも近い名称をひねり出して、発信してきたんです。

見てわかる通り、すべて「協会」がくっついていますよね?

そう。私は「協会」を作りたいと思っていました。
同じ気持ちを持つ仲間をたくさん作って、学校教育を望ましい方向へ変えていければいいな、と思っていたんです。

でも、ここにきて、もう一度じっくり考えてみました。

次世代型の教育のあり方を提案したい。
教師が自身のキャリアを考えることで誰もが幸せになれる。
教師自身が主体的にキャリアをマネージできるようにしたい。

私にとっては、どれも正しい方向です。
でも、「もっとぴったりくる言葉ってないかな?」。
ずっとそう考えていました。

それが「まるごと先生」です。


私は今年で教員経験32年を迎えましたが、教員になって今日に至るまで、自分が教員であることを忘れた日はありませんでした。何をするときでも、教員としての立場や思考がまず先に立ちます。

勤務時間中は教師として振る舞い、定時を過ぎたら自由に振る舞う。

そんなふうに公私を明確に切り分けて生活しようと考えたことはありません。仕事が終わっても、いつも「教師としてのストッパー」が利いた状態で、自身の生活を律していました。

よく考えてみれば、それは当然のことと言えるでしょう。非違行為をすれば、すぐに懲戒や免職の文字が目の前をちらつきます。何より、生徒に対して顔向けの出来ないことをするわけにはいきませんでした。彼らの信頼を失ってしまえば、教師を続けることはできないと思っていましたから。

はるか昔、大学卒業時に就職先を決める際に、都内の不動産業に気持ちが傾いたことがあります。初任給30万円という触れ込み。会社説明会に足を運んだ時は、交通費として5千円をもらいました。

片道190円しか払っていない私は交通費の入った封筒を受け取る際に、「こんなにいただいていいんですか? ここに来るまでに私は190円しか払っていませんが」と言ったことを、今でも覚えています。

でも、私は教師になることを選びました。もしあの時、表面的な収入に目がくらんでいたら、ハードなノルマ達成のために仕事に持ち時間のすべてを投入し、休日になったら精神的なバランスをとるために享楽的で自堕落な生活を送ったに違いありません。

教師は、学校にいる時も、家に帰っても、休日でも、教師。
これは善し悪しではありません。教師を志した瞬間に、受け入れなければならない心のあり方であると思っています。


公私の区別がないからこその教師という仕事。
だったら、公私は混然一体となるのが自然です。

いつの頃からか、私の人生は公私の別がなくなりました。

仕事をしている時、家族のことを考えています。
一方で、家にいる時や休日でも、仕事のことを考える自分がいます。

それは、決して嫌な感じのしない、むしろ自然な感覚でした。
一方で生まれたアイディアを、もう一方に活かすことはできないか?
そういう、どちらかというとワクワクするような感覚です。

ワークライフバランスではなく、
ワークライフインテグレーションでもありません。

それは、ワークライフインクルージョン。
仕事と私生活の棲み分けではなく、両者が常に行き来している状態です。

長年ひとつの仕事を続けてきた結果、そう考えることができるようになったのかもしれません。あるいは、教師という仕事を相対化しようと意識してきたせいかもしれません。

いずれにせよ、今の私は公私の区別がなくなりつつあります。
そして、この状態は私にとって、とてもしっくりきます。


教師にとって、「キャリア」とは何でしょうか?

ある時を境に管理職を目指すか、
それとも退職までヒラの教員でいるか。

この2択を「キャリア」と呼ぶのでしょうか?

私はそうは思いません。

教師にとってのキャリアとは、人生そのものです。
私の言動のひとつひとつは、自身の教師としてのアイデンティティと密接に結びついています。

職場では教師として振る舞い、定時を過ぎたら一民間人として生きる。

そんなに小利口に立ち回ることはできません。

管理職になろうがヒラのままでいようが私は教師であり、
教師としての思考が人生の根幹を流れていく。

つまり、
教師のキャリアとは、人生のすべてに対する向き合い方と言えるでしょう。

だったら、教師が進むべき方向は決まっています。

公私の垣根を、仕事と私生活の境界を超えて、人生を生きる。
教師としていかに生きるかが人生の質を決める。
逆に、人生に対する向き合い方が、教師としての魅力に貢献する。

そう考えれば、すべてに納得がいく。


あなたが定年までこの仕事を続けようと、
あるいは数年で辞めることを決意しようと、
あなたが教師である限り、あなたのキャリアは教師としてのアイデンティティと強く結びついています。

そのことに気がつけば、仕事と私生活は融合し、一方の知恵がもう一方を豊かにし、定時に帰ることを躊躇しなくなり、たまに遅くまで職場に残るようなことがあっても、権利意識にとらわれることなく受け入れられるようになる。

あなたは、”まるごと”先生になれる。

そんな先生を目指す私が最初に「まるごと先生」になろうと思ったんです。

教師のプロになること。
同僚や生徒から尊敬されること。
若くして管理職に抜擢されること。
勤務校で実績を上げること。
私生活を楽しむこと。

確かにそれもいいでしょう。

ただ、あなたが教師として納得のいく人生を送りたいのであれば、
教師のキャリアは生き方そのものであることを自覚し、
仕事と私生活、そして未来でのあり方すべてを1本の糸で貫いてほしい。

その時はじめて、あなたはすべての出来事に意味を見出し、自身の人生を”まるごと”受け入れ、楽しむことができるようになると思います。

まるごと先生は、そんなあなたを応援します。

ようこそ、まるごと先生へ。











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まるごと先生
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