【短編小説】ぬいぐるみ
【あらすじ】
ある年の大晦日。彼は見知らぬ少女にぬいぐるみをあげた。本当に渡したい相手に渡すことはできぬままに……。
<この作品は2015年に書いたものです>
大みそかのショッピングセンターは、家族連れの客でいっぱいだった。
正吉は慣れない人いきれに少しクラクラしながらも、どうにかおもちゃ売り場にたどり着いた。
ぬいぐるみなど探すのはいつ以来だろう。
久しく会っていない孫娘にぬいぐるみを手土産にして会いに行こうと思いついたのは、今朝のことだった。
孫娘が大好きだったのは確かポケモンとかいう子供向けアニメだったはずだが、お気に入りのキャラクターがなんだったのか、思い出せない。
でも売り場に行ってみればなにかわかるだろう。
正吉はしばらくぶりに穴の空いていないジャージのズボンを履き、ふだんは行くことのないショッピングセンターまで、バスを乗り継いでやってきた。
ぬいぐるみコーナーには大小さまざまなキャラクターの人形が並んでいる。
ポケモン、という文字までは見つけられたが、あまりに種類が多すぎてどれがどれやらさっぱりわからない。
ふだん買い付けないものだけに、値段の頃合いもわからない。
このくらいの大きさだろうか、と試しに手に取った黄色の人形の値札をそっとめくってみると4,300円の数字が書いてあった。
そんなにするものなのか。
正吉はその人形をそっと棚に戻した。
かわいい孫娘のためのお土産を、ケチりたいと思っているわけではない。
けれどようやく年越しの餅を買えるようになったばかりの懐に、4,300円の人形は少々値が張りすぎた。
正吉は小さくため息をつくと、その2段下の棚にひっそりと座っていた、20cmほどの紫色のキャラクターを手に取った。
1,500円、それでもやや背伸びだが、買えないことはない。
彼はそのままレジへと向かった。
おもちゃ売り場のある2階から、階下のスーパーマーケットへと向かう。
こちらも人であふれていた。
正吉は今夜くらい少し酒を飲んでも良かろうと、酒売り場へと歩いて行った。
そうだ、いつかは孫娘と飲んでみたいなと思っていたが、あれはいつのことだったか。
改めて指を折り、年齢を数えてみる。
あれは自分が女房に先立たれた上に事業に失敗し、日がな一日飲んだくれて娘にも見放された頃だから、今からもう……9年は経つのか。
その頃小学校に入りたてだった孫娘は、すると今は、中学生か。
……アニメキャラクターのぬいぐるみなんて年齢じゃねぇな。
身体を壊して入院して、退院しても生活するのがやっとやっとで、正月の餅さえも買えない年ばかりだった。
もうそれが何年続いたのか、数えることもやめていた。
なのに急に今朝思い立って会いに行こうなどと決めてはみたものの、娘や孫があの頃と同じ家に住んでいるかどうかもわからない。
それなのに連絡もなしに、どうやって行こうと思っていたのか。
……なにやってんだろうな、俺。
せわしなくも活気づく街の空気に、つい飲み込まれてしまったのか。
いずれにしても、ぬいぐるみを手土産に孫娘に会いに行くなんぞ、無理な話だ。
正吉は心に黒い穴が開いたような気分だった。
酒のビンを手に長いレジの列に並んだ時には、彼の心はもう決まっていた。
ふと前を見ると、小学校低学年くらいの女の子が、母親を見上げて何かを一心にしゃべっている。
孫娘も、こんな感じだっただろうか。
レジを済ませ、サッカー台のところへ行くと、先ほどの女の子と母親が荷物を袋に移しているところだった。
「お嬢ちゃん」
突然知らない人に声をかけられた女の子は、驚いた顔で正吉を見上げた。
母親は袋の口を縛るのに一生懸命で、気が付いていない。
「これ、あげる」
正吉はさっき買ったばかりの紫色のぬいぐるみを袋から取り出して、女の子に差し出した。
女の子は戸惑った顔で「ママ」と母親を見上げた。
「え、どうされたんですか?」
気付いた母親が正吉に尋ねる。
「いや、ね、その、この袋が欲しくて買い物をしただけなんだ。
人形はいらないから。良かったらお嬢ちゃんに上げようかなと思って」
「これ、ポケモンに出てくるキャラだ! すごーい、ママ、いい?」
女の子はキラキラとした目で母親を見上げた。
母親は少し怪訝そうな顔をしたが、
「なんか、どうもすみません。ありがとうございます」
と言って子供に人形を受け取らせた。
「かわいがってあげてね、じゃ」
正吉はそういうと、まだ何か言いたそうな母娘を背に歩き出した。
これでいいのだ。
俺には会いに行って一緒に飯を食える娘も孫も、いない。
もとはと言えば酒におぼれた自分の弱さが原因だ。
そんな俺がさ。
大みそかに、一人の知らない女の子を喜ばせてやることができたんだ。
いい、年の瀬じゃないか。
正吉はジャンバーの前を掻き合わせ、酒ビンを抱くように背中を丸めて、冬の風の中へ歩き出した。
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