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【短編小説】まーちゃん(後編)

<この作品は1998年に書いたものです>

前編は→ https://note.com/preview/n4b328d6f2fda?prev_access_key=31a5288fd35d75d5e6a7d8b4436a6386

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そんなわけで僕は興奮して、一睡もできないまま朝になってしまった。

まーちゃんの待ち合わせは1時と言っていたから、たぶん12時ごろには部屋を出るだろう。
そう思って僕は、11時半にはもう出掛ける準備を終えてマンションの方を眺めていた。

11時50分。そろそろかな、と思っていたところで僕の部屋のチャイムが鳴った。
誰だろう、こんな時に。
おそらく集金か何かだろう、さっさと終わらせてしまおう……そう思ってドアを開けると、そこに立っていたのは制服姿の警官だった。

「この部屋の方ですね?」
「はあ、そうですが」
僕は内心、彼氏が本当に警察に連絡しやがったな、と思った。

しかし通報をする方もするほうだが、なんの容疑もないのに僕のところに来るおまわりもおまわりだ。
僕が何をしたというんだ、職権乱用じゃないか。

「実はですね、お向かいのマンションの住人から、あなたが毎週ゴミの日のたびに回収前のゴミを漁っていて、迷惑だという通報がありましたもんでね」
僕は、この間にもまーちゃんが出かけてしまうんじゃないかと気が気じゃなくて、目の端で必死にマンションの方を探っていた。
「で、どうなんでしょう、そういうことを…あの、聞いてますかね?」
「え、あ、あぁ」
「どうなんですか、そう、疑われるようなことが…」「ですからね」
僕はイラ立って声を荒らげた。
「あのマンションに僕の知人がいるんですが、その知人が悪い男につきまとわれているんですよ。僕はいつか大変なことが起きるんじゃないかと気が気じゃなくて、だから、なにか問題がないかと…」

その時、まーちゃんがマンションから出て行くのが見えた。まーちゃんがあいつのところへ行ってしまう……。
「それでゴミ置き場を漁っていたってわけですか」
「違うよ、もう、わからない人だな。僕はね、」
「何か困ったことがあったら、その住人の方が警察に言うべきであって、何もあなたがそこまですることはないんじゃないですか。どっちにしてもですね、他の住人の方たちが迷惑してるんですよ、だから……」
「もういいよ、帰ってくれよ、僕は忙しいんだ」

僕はおまわりをドアの外に押し出して、自分も外に出た。
おまわりはまだ何か言ってたけどそれは無視して、アパートの下に停めてあった僕の50ccのスクーターにエンジンをかけて、駅へと急いだ。

まーちゃんはもう電車に乗ってしまっただろうか。
駅まで歩いて大体7、8分の距離だ。
今ならまだ間に合うかもしれない。

駅前の駐輪場についたところで、改札を通るまーちゃんの姿が目に入った。
よかった、間に合った。
だけど、僕が切符を買っている間に電車の来る音がした。
慌てて改札を抜けてホームへ行ったけど、タッチの差でドアが閉まったところだった。
ホームにまーちゃんの姿は、ない。電車に乗ってしまったんだ。どうしよう……。

でも僕は諦めなかった。
JR線のこの駅から待ち合わせをしている私鉄の菊間駅に行くには、5つ先の武蔵大杉駅で乗換えをする。
ところが電車ってやつは少し遠回りをしているから、この駅から菊間駅までだったら、途中の私鉄の網島駅まではスクーターで急げば先回りすることができる。

僕は財布に入れてあった武蔵大杉駅の時刻表を取り出した。

今が12時15分、するとさっきの電車が武蔵大杉駅につくのは10分後の12時25分。
乗り換えの私鉄は12時30分に菊間方面行きの下り電車が来る。
すると、途中駅の網島駅につくのは36分頃か。
……待てよ、30分発の次に、32分発の下り急行列車が来ることになっているな。
となると、この30分発の電車は、網島駅のひとつ手前の月吉駅で急行と待ち合わせをするに違いない。
目的地の菊間駅は急行が停まるから、まーちゃんは月吉駅で急行に乗り換えるだろう。急行が網島駅に着くのは……やはり12時36分頃か。
よし、まだ20分近くある、先回りできるぞ。

再びスクーターにまたがって網島駅へと急いだが、こういう日に限ってことごとく信号に引っかかる。
裏道を抜けてやろう、と横にそれたら、運悪く工事中で通行止めだった。
かえって遠回りになってしまった。

走っても走っても先が長いような気がして、焦る。
時計を見ると12時30分、あと5分足らずで網島駅に着けるか、ギリギリのところだ。
駅前はバスや車が多くて、スクーターでもたどり着くのに時間をロスしてしまう。
だから僕は、もし駅前の信号で引っかかったら、そこから歩道に上がって、スクーターを置いて行こうと思っていた。

ようやく網島駅前の信号まできた。
予想通り、信号は赤。
……だが、またしても運の悪いことに、停めて行こうと思ったあたりに市の放置自転車回収車が来ていて、歩道に停められている自転車やバイクを次々とトラックに積み込んでいる。
いくらなんでもそのすぐ横にスクーターを停めていくわけにはいかない。
僕はもうほとんど泣きそうな気持ちになりながら、信号が青になるのを待つしかなかった。交差する信号が黄色になった、もう少しだ。

けれどもその時、下りの急行が駅に入ってくるのが見えた。
もう間に合わない……。

自分の信号が青になった時、僕は夢中で川のほうへスクーターを飛ばしていた。
電車は網島駅を出るとカーブして、川を渡る橋にさしかかるのだ。
僕はそこまで行って、その後どうしようとは考えていなかったけど、とにかくそこに行かずにはいられなかった。
なにが何だか分からなかった。僕がまーちゃんを止めようとするのを邪魔する、大きな力みたいなものに抵抗しようともがいているみたいだった。

橋のすぐ近くまで来たとき、ちょうど目の前を下りの急行列車が通過して行った。
あの電車のどこかにまーちゃんがいる、悪い彼氏に支配されて、振り回されるままに菊間駅へと向かうまーちゃんがいる……。
僕はスクーターから飛び降りると、必死で線路によじ登った。
電車は無情にも遠くへと走り去って行った。

まーちゃん、まーちゃん、まーちゃん……。

電車の走り去った方を見つめながら、僕は涙が止まらなかった。
一体どうしてこうなったんだ、誰がいけないんだ。
僕か? あいつか? それともおまわりの野郎か?
……違う、一番いけないのは、僕というものがありながらあいつの言いなりになり続ける、弱いまーちゃんだ。

全部、まーちゃんがいけないんだ。
まーちゃん、僕の大好きなまーちゃん、どうして……。

そんな僕には、僕の背後からけたたましいクラクションを鳴らして急ブレーキをかけながら近づく各駅停車がいることなんか、まるで意識になかった……。

……………

電車が急にすさまじい警笛を鳴らしてブレーキをかける振動で、まゆこはふっと目を開けた。
昨夜彼氏が帰った後、住宅情報誌を見ていたら、明け方近くになってしまったのだ。
そうやって雑誌を読んでいる間も、あの男、ゆういちがどこからかこちらを伺っているかもしれないと思うと、気味が悪くて仕方がない。
まゆこは一日も早く引越しをしたい一心で、雑誌に読みふけっていた。

おかげで電車に乗っている間にも眠気が襲ってきた。武蔵大杉駅で私鉄に乗り換えたときに先頭車両で空席を見つけると、すぐさま腰を下ろした。
月吉駅で急行列車と待ち合わせするのもわかってはいたが、乗り換えなくても彼氏との待ち合わせには間に合いそうだったし、急行はまず座れないだろうと思ったので、そのまま各駅停車で行くことにした。

急ブレーキをかけた電車は、ゴリッという嫌な振動をした後に、少し走って停車した。
窓の外を見ると、ちょうど網島駅を出てすぐの橋の上だった。
乗客は皆、何事だろうと顔を見合わせている。
運転席では運転手が慌てて車内電話で連絡を取っているのが見える。
イヤな空気が車内全体に流れた。

「えー、お急ぎのところご迷惑をお掛けしております。ただいまこの列車は、えー、人身事故のため、緊急停車をしております。えー、ただいまから車掌と運転士は、処理のため一時的に列車を離れますが、お客様は安全のため、電車から降りたりなさらぬよう…」

人身事故か。いやな電車に乗ったものだ。
まゆこは時計を見た。12時40分。ここから菊間駅までは5分足らずで着くから、15分以内に出発してくれれば待ちあわせには間に合うだろう。

そう思いながら、窓の外を見やると、後ろの方の車両の脇で、車掌たちが動いているのがチラリと見えた。
けれども何をやっているのかまではよく分からない。まゆこは見物するのを諦めて、座席に座りなおした。
「見えました?」
隣に座っていた初老の女性がまゆこに訊ねた。
「いえ、よく分かりませんでした」
「やっぱり、人、なのかしら、轢かれたの……」
「多分……」
「気持ち悪いわね」
「本当ですね」
本当に、イヤな電車に乗ってしまったものだ、とまゆこは思った。

まゆこが、自分の乗っていた電車に轢かれた人物がゆういちだと知ったのは、次の日の朝刊の、地方版の片隅だった。新聞は「自殺」と報じていた。

(了)

#短編 #小説 #シュール


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