学童保育の2つ上の友だちと一緒に居たくて。
わたしがソフトボールをはじめたのは、小学2年生のとき。
両親が共働きになるタイミングで学童保育に通うようになり、ふたつ上の友だちができた。名前はゆみえちゃんとあやかちゃん。生意気だったわたしを優しく迎え入れてくれて、学校終わりはいつもその子たちとよく遊んでいた。
母は土曜日も働いていたので、わたしは学童保育に通っていた。でも、ゆみえちゃんとあやかちゃんは「ソフトするねん!」と、土曜日は学童保育に来ていなかった。
「ゆみえちゃんとあやかちゃんと一緒に遊べそうやし、ソフトボールやってみようかな」
はじめて体験に行ったのは、真夏の8月。最初は柔らかいボールで遊んでいた。当時のことはあまり覚えていないが、入部するのは即決だったので楽しかったんだと思う。
学童保育が楽しくて行きたくなくなる
小学3年生。学童保育の先生と話すのがとても楽しくなった。月曜日から金曜日までずっといるので、いろんな話ができておもしろかった。
でも、土日はソフトボールに行かなければいけない。強制的に行かなければいけない状態がすごく嫌になった。
遊びたいのに遊べない。毎週土曜日、母に電話をして「お腹痛いからソフトしたくない」と伝えていた。
いつもは「わかった〜」と一つ返事だったが、その日はレギュラーを決める大事な日だったので、普段は怒らない母も痺れを切らした。
「はるかもうやめたいん?別にやめてもいいけど、途中でやめるんやったらユニフォーム代払ってな。」
税込6500円くらい。お年玉でなんとか捻出できる金額だ。当時のわたしにとって大金だった。その日は結局泣きすぎて練習には行かなかったが、その次の週からはソフト部に顔を出せるようになった。
8~10歳くらいのときって、案外単純で、行ってしまえばソフトは楽しかった。あの頃以来、ソフトをやめたいと思ったことは一度もない。
今も続けているのはわたしだけだけど
小学校で同じチームだった子たちは、みんなソフトをやめてしまった。誘ってくれたゆみえちゃんとあやかちゃんは連絡先もわからないので、今どこで何をしているのかも知らない。
あのとき、2人が仲良くしてくれていなかったら今のわたしはいない。今はみんな続けていないけど、当時の出会いがわたしの人生を変えた。
ありがとう。ゆみえちゃん、あやかちゃん。