夫婦円満なのに、別居することになった。
結婚してから2年が経ち、3年目に突入したわたしたち。些細なことで喧嘩することはあるものの、別れ話になったり、丸一日まったく口を聞かない大喧嘩をしたことは一度もない。
一般的にいうと「オシドリ夫婦」だと思う。
順風満帆なわたしたちは、1月末から別居することになった。こんなに仲が良いのに、なぜ別居するのか。それはわたしたちの生き方に理由があった。
「結婚」の定義の履き違え
はじめに伝えておくと、わたしたちは離婚をするとか距離を置くとかそういう類で別居をするわけではない。前向きな別居である。
結婚してから今日まで、ずっと一緒に過ごしていた。一時帰国で離れることがあっても、長くて1ヶ月程度。
「結婚=共同生活」と思っていたので、自分のやりたいことを傍に置いて旦那について行くことに、まったく違和感はなかった。結婚したら、多少我慢してでも、旦那の仕事を優先させてついていくのが当たり前だと思っていた。それが妻としての役割だと信じて疑わなかった。
わたしと同じ考えの人は少なくないと思う。
カフェでマダムたちの会話に少し耳を傾けると、旦那のサポートをしている話や、自分のやりたいことを我慢していることを話しているのを耳にする。
わたしたち夫婦の場合は前提が違っていた。付き合いたてから今日まで、世間のマジョリティから外れていたことをすっかり忘れていたのだ。旦那と出会って2ヶ月半で逆プロポーズをし、「手続きが面倒」という理由から事実婚を選択。子どもに関しても「お互いにやりたいことがあるし、一旦考えずに人生を楽しんでみよう」とDINKs(Double Income No Kidsの略。共働きで子どもを持たない選択のこと)の選択をした。
いまさら一般的な「結婚のかたち」を求める方がおかしいのだ。それなのに、勝手に「旦那をサポートしている妻」を演じようとしてしまった。旦那も「好きなようにしたらいいよ」といつも言ってくれていたにも関わらず、勝手にわたしが合わせていたのだ。
異変に気付いたのは2024年12月。旦那とふたりでカンボジアに行ったときだった。お互いやりたいことが同じ国にあったこともあり、当たり前のように一緒にいろんな国に行くようにしたりしていた。
わたしがキャリアチェンジをするタイミングで、海外に行くよりも日本でやりたいことが増えたことにより、海外に滞在する時間が長くなりすぎることにやりづらさを感じていた。
「結婚」の定義にとらわれてしまったことにより、自分を大事にできなくなてしまっていた。
大晦日に東京の家を契約する
年末年始は、わたしだけカンボジアから日本に帰国し、旦那は仕事の関係でマカオに行くことになった。帰国したあと、今後の生き方について振り返ってみた。
カンボジアに居たときにしんどい思いをしたこと、その理由が結婚観にとらわれていたこと、自分の好きなことはなんなのか、これからどう生きていったら幸せになれるのかを思考してみた。
目立つ仕事を増やすこと。それが自分のやりたいことだった。日本で活動する時間を増やさなければならないことが明確にわかった。
昔から、質問タイムがあれば一番に手を挙げていたし、中学の合唱コンクールでは指揮者やピアニストに立候補し、高校のオープンスクールでは司会を務めたこともある。
小学2年生から続けてきたソフトボールのポジションはもちろんピッチャー。いまも趣味でボイトレに通い、レコーディングをすることも決まっている。
とにかく目立ちたい。そのためにやれることは全部やる精神で取り組んでいきたい。それがわたしにとって、生きるモチベーションにつながることがわかった。
🏠
家具付きのワンルームマンションを3ヶ月間契約することにした。賃貸を借りる人からすると「たかが3ヶ月」かもしれない。でも、わたしにとっては大きな決断だった。
なにせ、この7年間海外ノマドとして家を固定せずに日本と世界を行き来していたのだ。正直、この3ヶ月間ずっと日本にいるかどうかもわからない。先がわからないなかで家を借りたのはわたしなりの自分を大事にするための覚悟だった。
(余談だが、年明け早々ベトナム人と結婚した友人から「ベトナムで結婚式を挙げるから3/9に来てほしい」と言われたので、早速丸っと3ヶ月間日本にいることは無くなった。いかに海外に行く機会が人よりも多いかがわかってもらえただろうか…。)
いまの世の中、結婚観にとらわれなくていい
10年前を思い出してほしい。ChatGPTが無いどころか、こんなに速くインターネットも使うことができなかった。
「マッチングアプリで出会った人と結婚した」と口に出せば、親から大反対を受ける世界線だったし、子どもを産まない選択もいまよりももっとしにくかたっと思う。
いまの世の中は「昨日まで当たり前だったことが、今日から非常識になること」が頻繁に起こるのだ。IT産業が発展したことによって、情報が出回るスピードも桁違いに変わる。
こんなの世の中に生まれてきたのだから、過去に当たり前だと思われていた結婚観にとらわれなくてもよいのではないだろうか。