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自己紹介|初めてのnote

はじめに


美しい音が表現できるように…
音を聴衆と共有できるように…

ピアノの練習。
理想の表現を目指し、弾いては聴くというプロセスを数千回と繰り返す地道なものです。

練習を続けていれば、いつか必ず曲になるとわかっているのでやめられないのです。

ピアノとの付き合い

3歳から20歳まで音楽教室に通いました。

幼かった私は(今もですが)手の指をよく動かす子どもだったようです。そんな私を見て、母が音楽教室に連れて行ったのがきっかけだと、のちのち聞かされたような記憶があります。

レッスンには長く通っていましたが、コンクールの経験は小3のときの一度きり(予選止まり)、履歴書に書けるような実績もないです。

大学生のとき、指導グレードというのを3回目の正直で取得したことがありますが、20年近く経って今さら何も覚えていないし、教えられるわけもない…

途中、受験で休みつつもレッスンに通い続けましたが、大学生になってだんだん練習しなくなり、フェイドアウトしました。

再開のきっかけは姪っ子と英雄ポロネーズ

大学卒業後は、クラシックから遠ざかり、アシッドジャズのバンドでキーボードを弾いたりもしました。

26歳のときに母が急逝、その4年後に父が亡くなるという人生の過渡期が突然訪れました。

今後の生き方を考える機会が自然と増え、2010年ごろからは音楽自体からも遠ざかり、仕事しては寝に帰る毎日でした。


父の死から10年近く経った2020年ごろ、幼稚園に通う姪っ子が音楽教室に通い出しました。

姪っ子の練習を聴いていると、微笑ましくありながらも、なぜかもどかしい気持ちになっていました。

ある日、テレビからショパンの英雄ポロネーズが鮮明に聴こえてきました。ショパン国際コンクールの反田恭平さんの演奏でした。

それまで私の頭の中で反芻する英雄ポロネーズは、ブーニンの溌剌とした英雄でしたが、反田くんの英雄はまろやかで、どっぷりした英雄感に満ち溢れていました。

わ、同じ曲でもこれだけ解釈が違うのか、おもしろいな!と直感でワクワクしました。

じゃあちょっと久しぶりに弾いてみようかと思っても、指が動かない。
おもむろに弾きたい気持ちが芽生えました。


なんだかんだでピアノに対して未練があったのかもしれません。

10年以上のブランクの間も、爪を伸ばすことはなかったし、部屋が狭かろうと電子ピアノは持って引っ越していました。


リモートワークなら練習時間も確保できるし、クラシックをやり直そうと思い立ち、新たな先生のもと、2022年からレッスン通いを再開しました。

約20年ぶりのことでした。

記録を残そうと思った理由

レッスン再開からしばらくは、とてもじゃないけれど人前で演奏できるレベルではありませんでした。

楽譜の読み方を忘れ、レガートとマルカートの違いも忘れ、どんな曲だろうが旋律だろうが、曲調度外視で黙々と指の動きを戻すべくリハビリしていました。

再開から1年2ヶ月後。
教室の発表会に参加し、シューマン=リスト「献呈」をひきました。
約5ヶ月間全力で練習しましたが、指が戻らず、納得のいく演奏からは遠いものでした。

再開から2年4ヶ月。
2度目の発表会で、ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」をひきました。
いつか、いや、死ぬまでに弾けたらいいなと思う憧れの曲です。時間をかけて練習しました。

課題はあるものの、前回にはないやり切った感がありましたし、大切な仲間たちに、同じ空間で音を共有できたことに幸せを感じました。

練習は続くけれど、この経験は私の人生の宝物だなと思い、何か記録に残していこうかなと思い立ちました。

というわけで


これは、発表の瞬間に至るまで実はこんなことやってましたとか、紆余曲折あるピアノとの付き合いを、備忘録を兼ねて書いたエピソードです。

私自身、練習につまずいたとき読み返せたらと思いますし、聴いてくださった方は読んでいただくことで、演奏をより楽しんでいただけるかもしれません。

よろしければお楽しみください!

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