パリ旅行記2024🇫🇷②出発・ヴェルサイユ宮殿•ルーアン大聖堂
パリ1日目。
羽田からシャルル・ド・ゴール空港へ到着。
さっそく観光スタートです。
HND→SDG✈️
羽田22:00発→パリ5:50着のエールフランス機で向かいました。
ロシア上空は飛べないらしく、北極を回るルートでした。
戦争のない世界が来ることを心から願います。
飛行機といえば楽しみは食と睡眠…
夜のフライトは、通常の睡眠時間と同じ時間に眠れるのでよいです。いろいろな快適アイテムを仕込んだ割には、あまり使わず…
エールフランス機内のフリーWiFiで、LINEのテキストとスタンプのやり取りができたのは発見でした。
私は通路側に座っていたのですが、隣に座ったのは若いフランス人女性でした。
トイレのたびに私が席を立たなければいけないのを気にしてくれたのか、ギャレーに行くと私の分までお菓子を持ってきてくれたり、飲み物があるから取ってくるといいよ!と教えてくれたり、やさしくしてくれました。
ディナーとは別に、到着前に朝ごはんも出ました。写真は撮り忘れました。
朝5:30頃にシャルル・ド・ゴール空港に到着。
入国審査とバゲージクレームの後、少し時間があり、空港内を探索しました。
出発ロビーでラデュレを発見。(このあと、どの観光スポットでもラデュレに出くわすとは思いもよりませんでした)
普段、マカロンを買って食べることはないのですが、せっかくパリに来たしとひとつ購入。
ブルーのマリー・アントワネット味は、アールグレイの香りがして、サクッとカリッと同時にいくつかの歯応えがして、食べ終わった後も余韻に浸れるくらいのおいしさでした。朝7:00台、すでに夢見心地です。
この後、バスに乗って移動します。
ヴェルサイユ宮殿
初めに向かったのは、ヴェルサイユ宮殿。
バスがシャルル・ド・ゴール空港からの渋滞にハマり、着いたのは予約時間ギリギリ。
添乗員さんから、石畳の上を小走りで!と言われ、正門前の写真は撮り逃しました。学生の頃の修学旅行を思い出しました。
小さい頃から、宝塚のベルサイユのばらは観ていて、つい先日も雪組公演を観たばかり。いつか本物のヴェルサイユ宮殿を観てみたいなと、漠然と思っていました。
オーディオガイドのデバイスを首にかけ、耳にイヤホンを装着。日本人ガイドさんが生で説明してくれるのを聞きながら見学します。
ヴェルサイユ宮殿には世界中から観光客が押し寄せ、入口でもう朝の山手線を彷彿とさせる混雑。
スリ対策でストラップのついたスマホを何とか持ち上げて、まずはパシャリ。
早速、豪華絢爛。
2階からの眺めです。
ベルばらでのルイ16世ご夫妻、1789でのご夫妻…限られた知識の中で、ここにいるお二方のイメージを膨らませます。
キャプションを見てお分かりの通り、私はフランスの歴史にはあまり詳しくありません。
ガイドさんは、歴史、建築様式、王室の人々、画風、庭の作り方、いろいろな方面から120%の情報量でご説明してくださいました。
「次は◯◯の間です」「こちらは◯◯様式でできています」「この庭の作り方は◯◯」など…
移動しては立ち止まり、ただ一点を見つめながら無表情のまま、ただただ話し続けるガイドさんの姿が妙に印象的でした…
せっかく貴重な日本語で説明してくださっているのに、不勉強につき消化不良で申し訳ないくらいでした。
どこかで観たことのある肖像画は、やはり現物をみるとゾクっとします。これが本物なのか…!
途中からは豪華絢爛にマヒしてきて、こんな顔になっていました。
ヴェルサイユ宮殿を見学しながら、日本にいる妹にヴェルサイユなうとLINEを送ってみました。
妹は、ガイドさんの話にあまりついて行けていない私に気づいたのか、ヴェルサイユ宮殿のDVDを見ながらいろいろと説明を送ってくれました。
まるで一緒に回っているかのようで、それはそれでおもしろい経験でした。
極東の島国、日本でこじんまり生きる私には、権力誇示のためにこのような規模の宮殿を造らせること自体想像できず、情報量の多さに、軽く脳疲労を起こしそうでした。
一方で、17世紀に人間がこのようなものを作り出せたことはすごいなと呆然としながら見学していました。
ヴェルサイユ宮殿、まだまだ見どころがあります。プチトリアノンなどはスケジュールの都合で観られなかったのは残念でした。
ミュージカル「1789」が大好きな私としては、テニスコートも観に行きたかったですが、またの機会に。
ちなみに、ヴェルサイユ宮殿で最もテンションが上がったのは…
2024パリ五輪の開会式で、ジャンヌダルクのような人が乗ってセーヌ川を走り抜けた馬です。
一体どうなっているのかと気になっていましたが、じっくり観ることができて夢みたいでした。
ベルサイユ宮殿の見学はあっという間に終わり、ガイドさんともここでお別れ。
近くのレストランでランチを取り、再びバスでの長距離移動が始まりました。
〈脱線記録〉
ひとりは何かと不安。勇気を出して、同じツアーに一人で参加していた女性に話しかけてみました。
いろいろお話ししていると、先日の雪組のベルサイユのばらを観たとのこと!私も!とうれしくなりました。
おともだちができただけでもうれしいのに、ヴェルサイユ宮殿でエキサイターを歌うなんて!真飛聖さんファンだった私はいろんな意味で感無量でした。
ルーアン市街
パリに行ったことのある人に話を聞いても、ルーアンへ行ったという方はなかなかいませんでした。
地球の歩き方にもルーアンは掲載なく、ネットで予習して向かいました。
ルーアン大聖堂
モネも描いたルーアン大聖堂です。
今年7月に尖塔が火事に遭ったそうです。
この3日後、オルセー美術館でモネのルーアン大聖堂を観ることができました。繊細かつ素晴らしい色彩感覚に鳥肌さえ立ちました。そういうときは、写真を撮り忘れます。
大時計台
ルーアンの観光名所のようです。
ルーアンのモノプリ
ルーアンの自由行動は、大時計台の左脇にあるモノプリ(スーパー)への立ち寄りがメインイベントだったりしました。
モノプリはルーアン発祥と見かけたような⁈(出典を失念しました)
フランスに着いてから初めてのスーパーでしたし、モン・サン=ミシェルのホテル周辺にはスーパーがないということなので、ゆっくり物色したかったのです。が、時間が限られていました。
とりあえず、おみやげにもらっても困らないであろうモノプリのエコバッグとカフェイン渇望につきスターバックスのラテを持ってレジに並びました。
レジでは、同じツアーのおばさまが前に並んでいました。「あ!私もこのエコバッグ買ったわよ!生地がしっかりしてていいわよ!」と話しかけてきてくださいました。
おばさまがこの短時間のうちに、こちらを認識してくださってることにおどろき、かつ、仲間がいると、こういったたわいもない会話ができるのか!とツアーならではの楽しみに気づき始めました。
ジャンヌ・ダルク教会
警備員がいないという理由で入れず、外観だけ観ました。
ジャンヌダルクの処刑場十字架記念碑
ルーアンで一番見ておきたかったのはこれかもしれません。
ジャンヌダルクは本当にこの世に存在したのか?と思うような壮絶かつ非人道的な生きざま。
あまりにも昔のことですし、史跡もリアリティからは遠いです。今やルーアンの観光資源ですが、本当に生きてたんですよね…
ルーアンは滞在時間が限られていたので、心を動かすほどじっくり見学できなかったのが残念でした!
ただ、比較的のんびりしている街で、何となくドイツのとある街を思い出す雰囲気もあって、心地よかったです。
集合場所をGoogleMapに保存しておいたにもかかわらず、よくわからなくなってなんとなく歩いていたら、同じツアーの方を大聖堂近くで発見。
仲間がいるとは心強いものです。
ここからバスは走り続け、モン・サン=ミシェルのホテルへ向かいます。
モン・サン=ミシェル近くで宿泊
19:30ごろ、ようやくモン・サン=ミシェル近くに到着。
ホテル近くのレストランで、夜ごはんを食べました。
日本人ツアーを多く受け入れているのか、日本語の達者なウェイターさんが感じよく迎え入れてくれました。
ここでは親子参加の方と出身地の話などをしながら、楽しく食事をしました。
21:00すぎ、やっとホテル到着。
まだ新しいホテルのようで、壁もタイルも真っ白。
きれいで気持ちよく、あともう一泊してもいいくらいでした。
長い1日目が終了。
2日目につづきます。