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オードトワレ

『何の香水を使っているのか教えてください。』
 香りは記憶に残りやすい。一説によると、匂いを司る脳の領域と記憶を司る脳の領域が近くに存在するかららしい。前に何かの番組で言っているのを聞いたことがあって、私はそれを知った上であの人にそんな質問をした。

あの人が使っている香水を知った私はすぐにデパートに向かった。香水なんて初めて買うし、ドラッグストアの安い化粧品しか買ったことが無かったから、デパートの化粧品売り場で買い物をするのは初めてだった。ブランドの化粧品なんて、セレブなマダムが使うものだと思っていたのに、あの人はそんなブランドの香水を使っていると知って、あの人はやっぱりお洒落だと思った。
「香水をお探しでしょうか?」
「えっと・・・はい。」
店員のお姉さんの声に、私はおずおずと頷いた。
「贈り物ですか?」
お姉さんが聞いた。
「いいえ、私が使うんです・・・。」
私はおずおずと答えた。
「そうでしたか。何かお好みの香りはございますか?」
お姉さんはスムーズに会話を進めていった。
「えっと、甘いけれど後味がすっきりする感じ・・・ですかね・・・。」
私は促されるままに、あの人のイメージを答えていた。あの人とお揃いの香水を買うために来たはずで、もう買いたい商品は決まっていたはずなのに、私はお姉さんの流れるような営業トークにのせられて、いくつかの香水を勧められた。
「お客様ですと、可愛らしいイメージですので、こちらの商品なんかお似合いだと思いますよ。少し嗅いでみますか?」
お姉さんが勧めてくれたのは可愛い苺型の瓶に入ったいかにも女の子らしい香水だった。差し出された香水を吹きつけた紙は、甘ったるく香った。私が曖昧に笑って首をかしげると、
「ちょっと違うみたいですかね。では、こちらはいかがでしょうか?先ほどの物よりも華やかな香りですよ。」
次に進められたのはリボン型の瓶に入った香水だった。差し出された紙からは、むせかえるような鼻につく甘さが香った。やっぱり私、初対面の人にはいわゆる女の子というイメージを持たれるのだろうなと思った。大抵いつも、他人が思う私と、私が好きな私は全く違う。私がまた首をかしげると、
「違うみたいですね。それでは・・・」
お姉さんが次の香水を選ぶ素振りを見て、勇気を出して声をあげた。
「あのっ・・・、実はもう欲しい香水が決まっていて・・・」
「そうでしたか。大変失礼いたしました。どちらの香水でございますか?」
お姉さんがにこやかにそう言ったので、
「多分これだと思うんです・・・。」
私がおずおずと示したのは、可愛らしくも華やかでもないブルーのシンプルな瓶だった。
「こちらでございますか?」
お姉さんは驚いたように聞き返した。
「多分・・・。」
私は頷きながらも、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「こちらはメンズ用の香水になりますが・・・、嗅いでみますか?」
お姉さんは戸惑うように言いながら、新しい紙に香水を吹きつけて差し出してくれた。受け取って嗅いだけれど、さっき嗅いだきつい香水のせいなのか、それとも緊張のせいなのか、あの人の香りなのかはよく分からなかった。
「よく分からないけれど、多分・・・、これだと思います。」
自信は無かったけれど、本人からこれだと聞いていたのでそう言った。
「香水ってその人自身の香りとも混ざって、唯一無二の香りになりますからね。つけている間にも、香りは変化するんですよ。」
お姉さんはにこやかに微笑んでそう言った。そうか・・・、これはあの人の香りそのものではないんだ。当たり前だけれど、少し切なくなった。だけど、あの人に繋がるものを手元に置いておきたかった。
「これください。」
私が言うと、
「かしこまりました。あの、確認なんですけれど、こちらはプレゼントではないんですよね?」
お姉さんは遠慮がちにそう聞いた。やはり、私とメンズ香水のイメージが、ちぐはぐに思えたのだろうと思った。
「はい。やっぱり・・・、私には似合わないでしょうかね・・・。」
私が小さな声で聞くと、
「いえ、ご自分の好きな香りを纏われるのが一番お似合いだと思います。」
お姉さんは今日一番の笑顔でそう言ったので少し安心した。社交辞令でもいいと思えた。会計を済ませ、ブランドのロゴが入った小さな袋を下げる私は、少し大人になったように思えた。

 香水がふと香るたびにあの人に包まれているみたいな気持ちになる。その香りをお守りのように感じているから、大事なことがある日はいつもつけていくことに決めている。

香りが記憶に残りやすいなら、例えもう二度とあの人に会えないとしても、私は一生あの人を忘れないだろう。この先もずっと、この香りを嗅ぐたびにあの人のことを思い出すのだ。それは一生消えない呪いを、この鼻に刻み付けたみたいだと思った。
――あの人が好きだ。一生呪われていてもいいくらいに好きだ。
だけど多分叶うことは無いから、私は絶対にこの気持ちを伝えない。一生誰にも言わないつもり。

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