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東大に入学して2年間で1単位も取れなかった話
後期(Aセメスター)の休学届を提出した。僕の東大生活2年間での0単位が確定した。一体どうしてこんなことになったのだろう。
こんなはずじゃなかったのに。今頃進振りを終えてキラキラした夏休みを満喫してるはずだったのに。現実は双極性障害と診断され福岡の実家でじっと一日が終わるのを待ち続けている。この2年間で取得した単位数は0。完全なる東大の落ちこぼれだ。
東大に入れば全てが上手くいくはずだったのに。中高イケイケだった僕がなんで引きこもりみたいになっちゃったんだろう。
これは僕が東大生活で感じたこと、僕の身に起きたことをリアルに書き記していく実録・東大ドキュメンタリーだ。
自己紹介&東大受験編
福岡県出身。中学受験して中高一貫校から東大に2023年に現役合格した。趣味は映画鑑賞・料理・PCゲーム。好きな音楽のジャンルはHIP HOP。
中高時代はイケイケだったと前述したけれど、通ってた中高は昔気質で生徒会がかなりの権力を持ってて、学年の1番イケてる奴らが生徒会に入って学校行事を盛大にやるみたいな学校だった。中高通して生徒会の中心メンバーとsしてブイブイ言わせてた僕は、自他共に認める学年の中心人物だった。
自慢みたいだけどかなりの進学校でずっと成績は上位だった。毎年東大に何十人も合格者を出してる学校で、良い成績を取り続けると進学先は東大以外なくなる(文系だったから医学部という選択肢はなかった)。
実際周りの友達もほとんどが東大志望だったから例に漏れず自然と僕も第一志望は東大になった。模試ではずっとA判定だったし、大学受験で特に何か苦労した覚えはない。何なら高3で生徒会を引退してからは多分YouTubeを見てた時間の方が勉強した時間より多かった。
今思い返せばこの大学受験への姿勢が良くなかったのかもしれない。楽々東大に入ってしまったことで、頑張って大学に通わなければみたいな使命感とか、大学に入ってこれがしたいみたいな強い意志もなく、何となく東大に入ってしまった。
もちろん合格した時は死ぬほど嬉しかったし、PCの画面で自分の番号を見つけた時の瞬間は今でも鮮明に覚えている。でもこの時の僕は東大でこれがしたいとかそういう具体的な思いはなく、東大に入ればエリートコースを邁進出来る。東大に入れば毎日が刺激に溢れててキラキラした毎日が待っていると、東大を半ば盲信していた。これが今後の悲劇に繋がるのである。
入学編
さあ待ちに待った東大生活の始まりだ。東大は入学式の前に授業が始まるし、さらにその前にクラスでの顔合わせ、オリエンテーション合宿等々がある。クラス分けは第二外国語の選択によって行われる。クラス毎に受ける必修の科目も決まっているし、試験対策や学園祭での出店までクラスで行う。前期課程(特に1年次)はクラスが超超重要になってくるのだ。僕は何となくスペイン語を選んだ。
結論から言うと、僕はこのクラスに全く馴染めなかった。浮いていたとかコミュニケーションが取れなかったという訳じゃない。多分他の人から見たら馴染んでいたように見えただろう。でも、僕自身はかなり無理をしていた。自然体ではいられなかった。何というか、空気感が苦手だった。
メディアでもしばしば言われているけど、東大は地方の学生が行く大学というよりかは東京生まれ東京育ちが行く大学になりつつある。文系では特にそれが顕著だ。僕のクラスも40人中25人ぐらいが首都圏出身だった。僕は彼らが醸し出す空気感にずっと馴染めなかった。今も苦手だと思う。
とても言語化し難い感覚なのだけど、所謂名門進学校と呼ばれる男子校やら女子校から東大に入ってきた人には独特の空気感がある。ひよこのオスメスみたいに見分けるテストをしたらほぼ当てれる自信がある。独特のエリート意識と、異性を異性としてしか見ていない感じ、この2つの特徴はこのような人種と少なからず関わったことがある人にはピンとくるかもしれない。
独特なエリート意識と表現したものの本質は純粋性なのかもしれない。多分、彼らは恵まれた環境にいることにあまり自覚的でない。と同時に、世の中の恵まれていない人への解像度がぼんやりしすぎている。(僕は田舎育ちで小学校の頃は所謂貧困家庭みたいな友達もいたし、生きていく上でずっと環境の優位性みたいなものにはある程度自覚的なつもりだ。)別に彼らに悪意があるわけではない。ただ、努力は必ず報われると言わんばかりの眩しいほどの純粋性が僕の価値観と中々合わなかった。
後者の異性を異性としてしか見ていないと言ったことはシンプルだ。これは別に東大生じゃなくても男子校、女子校出身者は大体そうなのかもしれないけど、異性を全員恋愛対象かそれ以外かで見てる節がある。友達という視点が抜け落ちてるというか、過激な言い方をすれば人間として見ずに男か女かで見てるというか。僕自身があまり恋愛的に人を好きになるタイプじゃないから、これもかなり奇妙に思えた。
かなり長くなったけど、これが僕がクラスに馴染めなかった原因の考察だ。何というか、根本的な価値観が合わなかった。でも、一番の原因は、今この文章を書いている時でも「僕」と「彼ら」と書いてしまうような僕の自意識の高さなんじゃないかとも思う。
ここで「彼ら」じゃなくて「僕ら」と書けるぐらいに僕が向こう側に価値観を合わせることが出来る柔軟性があれば今こんなことになっていなかったんじゃないかとも思う。結局は僕は高い自意識を脱ぎ捨てることができるほど大人じゃなかったのだ。自分が思っている以上に。
色んなサークルの新歓にも行った。とりあえず興味があるものは何でも覗いてみるかぐらいの感覚で、色んな新歓を訪ねた。でも、これがめちゃくちゃに疲れた。毎日初めましての人と会って、当たり障りのない会話をして、インスタやらを交換する。
これを上手くこなすぐらいの器用さはあると自覚していたが、人間関係で親しくなればなるほど受け身になりがちな僕には、毎日これをやるのはとてもエネルギーが要った。予定がない日には丸一日泥のように眠るぐらい疲れていた(今思えばこれは体からのSOSだったのかも)。
運がなかったのか、トライの回数が少なかったのかは分からないが、自分にバチっとハマるようなサークルも見つからなかった。新歓に行ったサークルの中で比較的面白そうなものに入ってみたものの、それもあまり乗り気ではなかった。クラスもなんか合わない、サークルもハマらないとなると、僕の胸にある考えが去来してくる。
東大、つまんなくね?
勉強はどうなのって思う方もいるかもしれない。でも僕は前述した通りこれを学びたいみたいなアツい想いがあって東大を選んだ訳ではない。さらに、東大の一年次は英語と第二外国語ばかりやらされる。教養課程は文理の枠にとらわれず好きに学べますよ、というのがウリなはずなのに(駒場外国語大学と揶揄されている)。語学が苦手な僕にとって、これは地獄だった。
そんなこんなで、僕は東大に抱いていた希望が打ち砕かれ、消化不良だが疲れる日々を送っていた。
引きこもり編
そんなこんなでGWを迎え、五月祭を迎えた。僕のクラスはスペイン語だったのでチュロスを出した。五月祭は都内の他大に進学した高校の友達なんかも遊びに来て楽しかった。楽しかった反面、五月祭もすごく疲れた。
異変が起きたのは五月祭が終わって一週間ぐらい経った頃だった。ベッドから出られない。大学に行かなきゃ行けないのに体が動かない。面倒臭いとかそういう感覚とは違う、大きな力に引っ張られるような感覚だった。不思議なことに、今日は大学に行かないと決めたらフッと体が軽くなる。
最初は3日に1回だった休みが、2日に1回になりそして僕は大学に行かず家で引き篭もるようになった。生活リズムはぐちゃぐちゃになった。そして映画をひたすら観た。NetflixとAmazon Primeで気になる映画は大体観た。やたら凝った料理も作った。文章にすると楽しそうな生活だけど、引き篭もるに連れて僕の精神はどんどん沈んでいった。
当然友達から心配する連絡が来る。でも僕はそれの一切を無視した。返信できなかった。なんて返したらいいかが分からなかった。自分がなんでこうなってるかも分からなかった。今思い返せば完全に鬱状態だが、まさか自分が鬱になるなんて思いもしなかった。
少人数制の授業の教授からは次欠席すれば単位が取れなくなるというメールもきた。そんなメールは読みたくなかった。一読して削除ボタンを押した。必修の単位を落とすような状況になっても大学に行ける気がしなかった。
友達からの心配の声も、教授からのメールも、家族からの連絡も、全てが僕を追い詰めるように感じた。真剣に何度も何度も自殺を考えた。キラキラした大学生活を夢見て上京してから3ヶ月、僕は死ぬことを望んでいた。
救出編
僕の高校の友達で、東大でも運よく同じクラスになったA君が、心配してインスタ経由で僕の姉に僕が大学に来ていないこと、連絡がつかないことを連絡してくれた。心配した僕の家族は何度も僕に電話やLINEをしたが、全てに追い詰められるように感じた僕はスマホの電源を切り、全ての外界とのコミュニケーションツールを遮断した。ちょうど試験期間に差し掛かる頃だった。
週末に、いきなり部屋の鍵が空いた。心配した母が福岡から駆けつけてくれた。今は感謝しているが、当時の僕は僕のこの状況を責めているように感じ、鬱陶しかった。一緒にジブリの「君たちはどう生きるか」を観に行った。ジブリの粋が詰まった素晴らしい映画だと思ったが、イマイチ入り込めなかった。
ちょうど試験が始まる頃だったので、試験をどうするかという話になった。出席がない、試験だけの科目もあるので受けようという結論になった。僕も母も、まさか鬱病だなんて思いもしなかった。僕は、自分が鬱病だなんて認めたくなかった(今もなお、自分が双極性障害と診断されたことに対して受け入れつつも、肯定的にはなれない)。
とりあえず頑張ってみるということになり、心配なので毎日連絡をするというルールを決め、母は帰っていった。母が帰って2日は頑張った。試験勉強をし、連絡もしていた。でも、2日が限界だった。僕はまたスマホの電源を切り、日がなベッドの上でゴロゴロしていた。また死ぬほど死にたくなった。
ピンポンが鳴った。出てみると、警察が立っていた。連絡がつかなくなったことに心配した母が大家に不動産会社に連絡し、警察を伴って現れたのだ。部屋の中を確認した後、事件性がないことを確かめて警察は帰っていった。親に心配かけるな的なことを言われた気がする。
警察が来てもなお、僕は誰とも連絡を取りたくなかった。この世の全てが僕を追い詰め、責め立てているように感じた。ドアノブにタオルを吊るして首を括ろうかと考えていたとき、ドアノブが回り、ドアが空いた。
今度は両親が揃ってやってきた。前回母が帰ってから丁度一週間が経っていた。僕はそのまま、福岡の実家に連れ戻された。こうして僕は、1年生の前期を1単位も取れずに終えた。
思ったよりも長くなったので一旦ここで区切りたいと思います。
次回、躁転インターン編へと続きます。