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「山笑う」に寄せて
俳句の季語、「山笑う」とは、春先に新芽が出たり・桜が咲いたりして、春の情景が展開することのようです。
自分の思っていることとあっているかどうか・・・と、ネットサーフィン(死後だろうか?)した結論(自分の思いとはだいぶずれていた・・・)
ウィキもまたそういう感じで(↓)。
山笑う(やまわらう)とは、俳句における春の季語で、春の山の明るい感じをいう。
郭煕の画論『臥遊録』の「春山淡冶にして笑うが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧うが如く、冬山惨淡として眠るが如く」に拠るとされている。「鷹化して鳩と為る」「龍天に登る」などと同様、俳句の実作に関わらない者にとっては春の季語といわれてもなかなかわかりにくいかもしれないが、俳句が一定の約束のもとにつくられるものであることを示す一例ともいえる。
<メモ>
【淡冶】たんや:あっさりとして美しい。(コトバンク・以下同じ)
【蒼翠】そうすい:樹木が青々と茂っていること。
<別>中国語で「つやのあるあおみどり色」のことらしい
【明浄】めいじょう:あきらかで、清いこと。 澄みきっていて、清らかであること。 また、そのさま。 清澄。
【惨淡】さんたん:うす暗いさま。
宋・欧陽脩〔秋声の賦〕夫(そ)れ秋の 爲(た)るや、其の色慘淡として、霏(と)び雲斂(をさ)まる。 其の容にして、天高く日晶(あき)らかなり。
※ 霏:ひ ➀雨や雪の降る様。②靄・霧←この場合、林霏・煙霏のように使うのだが「林霏:りんぴ」のように、ぴと発音する
『山笑う、山滴る、山装う、山眠る』という季語になる・・・深い!
この季語を使うっていうことは、後ろにこんなんが堆積している・・・
私の中の「山笑う」は、はじめて夫の故郷へ行ったとき、山が薄ピンクがかって、まるで生きているように感じたこと=あ、わらっているみたい、でした。
北海道の山といっても、峻険な、たとえば大雪山系(大雪山は、山々を指す言葉でこの名の山はない)のような山ではなく、里山と言っていいかと思う山・・・杉など、植林したものを除けば落葉樹でできていると言ってよい、そうした山は、若葉に先立って、樹液があがると赤く染まるのです。
この満天星の枝先のような、去年伸びた若い枝とその先の芽は、赤く染まっていて。
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そして、山全体の若い枝と芽とは、これから来る春の喜びを表現しているかのごとくに光ってみえるのです。
まぁ、若い私には薄赤がかった山がふくらんで動くようにみえた(風が吹いたのかも~~~)のでした。
札幌に住んでいたころ、並木の・・ナナカマドもプラタナスも雪の中にありながら、ほのかに色づいて
「ああ、春になるんだな」
と思わせてくれました。
萎枯れの閻魔様の世界に、ふと、微笑みが忍び寄る、そんな「山笑う」
私にとって「山笑う」は、春の季語ではなく、イエ、春の季語だとしても「早春」の少し前の季語だったのです(使えないやん)。